23)鴉
楽し気な声がして五人が二階から降りてきた。
「遅くなってしまった。兵舎に長居するわけにもいかないからね、王宮に戻るよ」
「ライマー、騎士団には連絡しておくから、君も来なさい」
「カールさん、トルナードにお会いになりました。寂しそうにしていたので、会ってあげてください」
「ちょっとだけ、トルナードの顔見たら追いかける」
カールは窓から飛び出していった。
「君が戻るまで待つ。警備兵の手間を増やしたくはない」
窓の外でカールが手を振り、闇に消えていった。
何ら気負いのない会話に、エーリヒは呆然としていた。
「トルナードはしばらくカールさんを離さないでしょうから、少しお茶でも飲みましょうか」
アリエルは厨房に向かい、その後ろをエドワルドが追い、護衛騎士が従う。
「それにしても、ルーイが、やっとまともに。あぁもう、今日はお祝いだ。ルーイあっちで一緒に飲もうよ」
「酒は嗜みません。判断力が鈍る。今のような時期に、私は無理です。陛下御一人でどうぞ」
「いいよ、一人で二人分飲むから。ルーイ、お茶でいいから付き合ってよ」
「明日の執務に差し支えない範囲になさってください。書記官たちが哀れです」
「うーん。午前中、ルーイは来てくれないからなぁ」
「午前の間に当然終わらせるべきものが終わっていなければ、陛下が手を抜いておられたと、判断させていただきます」
冷静なルートヴィッヒに、上機嫌のベルンハルトが纏わりつくのは、この兵舎では珍しい光景ではない。
お茶を淹れたアリエルが食堂に戻ってきた。食堂の外にいる護衛騎士達にまで茶を配ると、アリエルはルートヴィッヒの隣に、エドワルドはベルンハルトとルートヴィッヒの間に腰を下ろした。
「落ち着かれましたか。お話は場所を変えてお聞きしましょう。茶は飲んでおいてください。少々距離があります」
ルートヴィッヒの言葉に、エーリヒは、手元のコップを見ただけだった。
「これからが、いろいろ始まりだねぇ」
「そうですね」
兄弟二人が頷き合ったときだった。
「竜が騒いでる!」
アリエルが真っ先に叫び、剣を抜いた。
「どこだ」
「竜舎です」
「お前はここに居ろ、護衛騎士は陛下と殿下を、ライマーは残れ」
ルートヴィッヒが笛を吹き、先ほどのカールのように窓から飛び出していた。
外からの敵に備える護衛騎士達の剣が光った。
「上は」
「問題ない」
アリエルの声に、天井から返事が返ってきた。
「何事だ」
一人理解していないエーリヒが腰を抜かしていた。
「誰か侵入者です。竜舎に入ろうとしたようです。でも、あそこには竜もいますし、今はカールさんがいて、入ったら危ないのに」
「そうだな」
アリエルの言葉に、一人前に剣を構えたエドワルドが頷く。
数合の剣戟のあと、外は静かになった。
「こいつだよ」
カールの隣に、黒尽くめの別の男がいた。
「これ、鴉。昔の知り合い、今は足洗って左官だ。俺に会おうと思ったらしいんですけど。お前、ずいぶん腕落ちたな」
「こんな、怖いところと知ってたら入るか! 死ぬかと思った」
「俺が止めなきゃ、お前死んでたな」
「死神殿下に出くわすなんて、命がいくつあっても足りねぇよ」
「調べなかったお前が悪い」
「だって、王宮なんて、出入り自由だしさ」
鴉の言葉に護衛騎士達は顔を見合わせた。
「鴉といったな。一応警備も含め、私の管轄なのだが、あまり聞き捨てならないことを口にしないように。お前が蝙蝠と呼ぶ男の都合があるから、出入口の幾つかは残してある」
ルートヴィッヒの静かな声に鴉は首をすくめた。
「だから、入るなり死神殿下にぶち当たるここが使えた訳か」
ルートヴィッヒが鴉を見た。
「要件は」
「俺は蝙蝠に言いに来たんであって、他の奴には用はねぇ」
「そうか」
ルートヴィッヒは鴉の喉元に剣を突き付けた。
「言う気がないなら、その口は役に立たんな。何ならもう一つ口を用意してやろうか」
ルートヴィッヒの低い声が食堂の床を這った。
「いや、ちょっま、俺は蝙蝠の知り合いだぞ」
「私は蝙蝠の上官だ。かつてのお前たちの流儀で言えば、頭だ。蝙蝠に言えるならば、私にも言えるはずだ」
低い声に殺気がこもる。
「蝙蝠、何とかしてくれ」
「お前が言えばいいだけだ。お前、相手が誰かわかってんだろ」
「言うよ。左官仲間に、壁に死体を塗り込んで隠す仕事を請け負って、金払いはよかったって、酒場で言ってて、次の日、死体になった奴がいる。場所は分からねぇ。目隠しして連れて行かれたそうだ。金のかかっていそうな上等などこかの屋敷だったらしい。やつの話が本当なら、多分後宮だ」
鴉の話に食堂が静かになった。
「死体は、男ですか、女ですか、何人ですか」
沈黙を破ったのは、アリエルだった。
「なんだ、嬢ちゃん、あんた随分怖いな」
「死神殿下の嫁、竜丁だから、当然だろ。鴉、質問に答えろよ」
「でかくて大変だったっていうから、男だと思う。人数は知らん」
「仕事を頼んだのは」
「身なりの良い男、腰には長剣だそうだ」
「他に、それを知る人はいますか」
「酒場にいた連中はみんな知ってる」
「他に、同じ仕事を請け負って、生きている左官はいますか。壁など、一人で塗るものとは思えませんが」
「あいつの左官仲間に、いるかもしれねぇ。ただ、一人殺されて、そうそう話すか」
「塗ったその壁は、今頃、もう乾いていますか。乾いていても他と区別がつきますか」
「嬢ちゃん、怖いな」
「質問に答えろ」
アリエルを誂おうとしたらしい鴉は、ルートヴィッヒの言葉に縮こまった。
「俺がその話を聞いてから、今日までってなら乾いたよ。ただ、他とは区別がつくだろう。汚れ具合が違うからな。それに壁の塗り方には癖がでることがある。わかるかもしれん」
「塗った壁を特定できて、壁をはがして遺体を確保出来たら、何かわかるでしょうが」
アリエルは溜息を吐いた。
「最近、王宮内に行方不明になった男性はいますか」
ルートヴィッヒは首を振った。
「竜騎士、騎士、警備兵、一般兵に関しても一切行方不明の報告はない」
ベルンハルトは眉を寄せた
「王宮は侍従長に聞けばわかる。問題は後宮だ。あそこは、侯爵家の息がかかった侍女頭が取り仕切っている」
「依頼人も死体も男性だったそうですが。後宮には男性はいますか」
「後宮といっても、庭は王宮に面している。庭師は男だ。あとは、王妃が伯爵家からつれてきた騎士か。三人と聞いている」
ベルンハルトの言葉に、アリエルが息を呑んだ。アリエルが何に驚いたのか、同じ光景を見たハインリッヒには心当たりがあった。
「私が見たのは二名です。竜丁が王妃に謁見したとき、確かに騎士は二人しかいなかった」
その一人がどこに行ったのか。あまり想像したくはないが、手持ちの情報からは、一つの結論が導かれてしまう。
「一線を越えてしまわれたのでしょうか」
アリエルの言葉を沈黙が包んだ。




