19)エーリヒの暴走
「ここではいろいろあります。今日、いらっしゃっている方のことは、決して口外されませんように」
「無礼者」
ハインリッヒの言葉に、兄のエーリヒが噛みついた。食堂が静まり返った。全員の手が止まっていた。
兄は伯爵家の当主だ。男爵家の次男、あるいは竜騎士に忠告されるとは思っていなかったのだろう。
「エーリヒ殿。ここは竜騎士団の宿舎です。彼は王都竜騎士団で副団長を務める私の片腕です。彼の言葉は私の言葉でもある」
静まり返った部屋に、ルートヴィッヒの声は響いた。
「あなたは、私の客人に連れられてきた方々。むろん、客人として扱わせていただきますが、私の部下への無礼を許すものでもありません」
「しかし、私は伯爵だ」
「爵位は問題ではありません。ここは王都竜騎士団です。我々竜騎士は国王陛下の剣と盾。我々の忠誠は、国王陛下のためにあります。我々は竜騎士として、国王陛下にお仕えする身です。身分など何の意味もない」
「わたしを侮辱するつもりか」
「いいえ。どうやらあなたは諫言を耳に入れられる方ではないようで残念です」
ルートヴィッヒの静かな落ち着いた声が響いていた。
「腕が立つというなら、私と手合わせしろ、そこの竜騎士」
ライマーは慌てた。副団長のハインリッヒの腕は相当なものだ。他の竜騎士団であれば団長になっているだろう。兄が敵うわけがない。
「兄上、おやめください。皆、私にとって恩義のあるかたです」
「だまれ、ライマー、お前、兄に意見するのか」
眉根を寄せていたルートヴィッヒが、溜息を吐いた。
「ハインリッヒ、木剣を二本取ってきてくれ。他は、廊下を片付けろ。食事中にすべき話題ではないから、さっさと終わらせる」
ルートヴィッヒは立ち上がった。
「お料理が冷めてしまいます。食後でよろしいではありませんか」
「どうせすぐ終わる」
アリエルの言葉に、ルートヴィッヒは短く答えた。
ルートヴィッヒが立ち上がった時点で、エーリヒが真っ青になっているのが見えた。最強の竜騎士と言われるルートヴィッヒだ。かつて騎士の御前試合に参加し、優勝したこともある。刺客を何人も葬ってきたことは、有名だ。
「ルーイ、君が怒るのもわかるけれど、ちょっと相手が君では」
さすがに、ベルンハルトが止めに入った。
「いえ、私は相手などしませんよ」
ルートヴィッヒは、アリエルを見た。
「竜丁、相手をしてやれ」
「え、私ですか」
「一般的な貴族の男の腕前を知っておくいい機会だ。落ち着いてやればいい。危なければ止めてやるから、大丈夫だ」
戻ってきたハインリッヒが、アリエルとエーリヒに木剣を渡した。
「竜丁、これは、我々竜騎士や護衛騎士への、お前の誤解を解く良い機会でもある。存分に相手をしてこい。落ち着けば問題ない」
「そうだね。竜丁ちゃんの相手って、ここにいる人だけだもんね」
「竜丁は、賢いが、時々ものを知らないからな」
ベルンハルトとエドワルドも落ち着いていた。
「なぜ、女の相手などせねばならん。私をどこまで愚弄する」
エーリヒが叫ぶが誰も注意を払わない。
「兄上、あの方は、国王陛下から、長剣を賜ったお方です。人を愚弄しているのは兄上です」
「エーリヒ、おやめなさい。ライマーは、ここで世話になっているのですよ。みな恩人ではありませんか」
「姉上もお黙り下さい。伯爵である私を」
竜騎士が身分よりも、実力を重んじ、国王陛下への忠誠を誓う集団であることを理解していない兄が、滑稽に思えてきた。
「随分と珍しいものを見せていただいたな。王都竜騎士団団長であらせられるラインハルト侯爵を愚弄する伯爵など、いやはや、初めて見ましたよ」
勘当されたとはいえ、辺境伯の息子のヨハンが、笑顔を浮かべていた。エーリヒはルートヴィッヒの爵位を失念していたのだろう。蒼白になっていた。
「廊下も片付いた。二人ともこちらへ」
それに気づいた風もなく、ルートヴィッヒが二人を廊下へといざなった。
二人の間の距離を測り、互いに並んだ。
「上半身への有効打を取った方が勝ちだ。腰から下への攻撃は禁止だ。以上。構え」
アリエルがその言葉に、木剣を構えた。遅れてエーリヒも構える。
「竜丁ちゃん、構えが綺麗だねぇ。この国選りすぐりの人に教えてもらっているからかな」
「そのせいか、いろいろと。誤解させていたのもあります。そろそろ少し、知っても良い頃でしょう」
ベルンハルトとルートヴィッヒは緊張した様子もなく、二人を見ている。
「始め」
ルートヴィッヒが開始を告げたが、最初二人は動かなかった。緊張に耐えられなくなったのか、エーリヒが動いた。
「なんだ、つまらない」
ベルンハルトの言葉通り、勝負は一瞬だった。
「え、当たっちゃったの。ごめんなさい。さすがに避けると思ったから」
エーリヒの突きを避け、アリエルが放った突きがエーリヒに命中したのだ。
「では、竜丁の勝利。さぁ、食事に戻ろうか」
ルートヴィッヒの言葉に、みな食堂と廊下に机と椅子を並べ直そうとした。
「黙れ、今のはなんだ、もう一度勝負だ」
エーリヒが叫んだ。
「兄上、今のはあなたの負けです。突きが入ったのですから。それもわからなかったのですか。何が起こったかもわからないあなたが、勝てるとお思いですか」
エーリヒが兄であることがライマーは情けなくなってきた。
「女なんかに負けて、おめおめと帰れるか」
エーリヒが木剣を床に叩き付けた。
「では、そんな女なんかのつくったお食事は、あなたは食べなくてよろしい。お忍びでいらっしゃっておられる方々の御前で何という無礼ですか。全く勝負にならない程度の腕前なのに、負けを認めないなど。どれほど恥さらしですか。廊下に立って反省していなさい!」
アーデルハイドが、幼い頃のようにエーリヒを叱りつけた。
「なるほど。よい采配ですね」
ルートヴィッヒの言葉を合図に、エーリヒ以外は食事に戻った。




