2)竜侯と領民1
数か月あれば、王都から離れたこの北の領地にも、王都の噂は届く。彼らが竜侯様と呼び敬愛する領主、王都竜騎士団団長の周囲で、何か不穏な出来事があったことは村人達も知っていた。
特に御前試合での事故は、村の話題をさらった。事故のあらましを聞いた村人達は、竜侯様のその後について何も伝わってこないことに不安を覚えていた。竜が住むパンドゥーラ山脈に、この村は接している。村に住む者には、事故の様子から、落下した竜騎士の下敷きになったルートヴィッヒの怪我の程度が軽いものではないことくらいは予想出来た。
例年より遅かった去年より、さらに遅れてやってきたルートヴィッヒの無事な姿に村の者たちは安堵した。異例の少人数で来た領主は、早急に王都に戻らねばならないと、砦を預かる執事に告げた。
氷室からの氷の運び出しも、氷を遠方へと運ぶ竜騎士たちも大忙しだった。氷室の氷は、村の大切な現金収入源だ。若い双子の竜騎士たちは、よく働き、よく喋り、元気に飛んでいった。
お喋りな双子からは、竜侯と黒髪の娘の二人が、互いに想いを伝え合ったことも聞いた。だったら結婚すりゃいいじゃないかという村の男たちに、双子は顔を見合わせた。
「多分、そんなことしたら、竜丁が今度こそ、殺されるかもしれない」
「団長だってさ、無敵ってわけじゃないし」
「何があったかは、言えないんだけど」
「竜丁が殺されかけたのは本当だし、団長も大怪我したんだ」
「王都を長く空けて、貴族が何か、物騒なこと用意してたら大変だろ」
「だから、今回すぐ戻るんだ」
「そりゃ、僕達も、二人が結婚してくれたら嬉しいけど」
「貴族って、毒殺とか、刺客使ったりとか、冤罪とか、何するかわかったもんじゃないから、大変なんだよ」
二人の話は曖昧だった。だが、敬愛する竜侯様と、想いを通わせる黒髪の優しい娘とが、貴族の妨害で結婚できないことだけは、分かった。
双子のお喋りを止めたのは、貴族出身のハインリッヒ副団長だった。
「お前たち、わかっているなら、要らぬことを口にするな。どこで誰が聞いているかわかったものではない」
王国の外れであるこの地の、さらに山の中にある氷室のところまで、余所者が来るとは思えなかった。
「ハインリッヒ副団長、竜なしで、こんな遠くまでわざわざ来ますか」
双子の片方の言葉に、ハインリッヒが渋面を作った。
「金と権力に魂を売った者を侮るな。東方の副団長が王都に単騎で来たのは、かの地まで貴族が手を伸ばしたからだ。姿を消したのは、貴族が後ろ暗い連中と手を組んでいると察したからだ。お前たち二人の常識で対応できるような奴らなら、団長が警戒するわけがないだろう。村の者も不用意に、団長、竜侯のことを話題にしないように。見知らぬ者を警戒するだけでは無駄だ。見知った者を殺して服を奪い、成り済ます奴らもいる」
ハインリッヒの言葉に村人たちは顔を見合わせた。全員、子供の時から、生まれる前からの知り合いと言っていい村だ。市の立つ日に商人がくる以外、人の出入りはほとんどない。
「西が関わっていたのは」
「貴族の領地がどこにあるか覚えていないのか、お前達は。有力者くらい知っておけ。だから、あの事故が起きたのだろうが。お前達、危機感が無さすぎだ。去年、村の女とあちこち出かけていた竜丁が、一切砦から出ない理由が、執務だけと思うか。考えが浅い」
ハインリッヒは双子を叱ると、村人たちを見た。
「気を付けることだ。村に妙な噂を立て、争いごとを起こさせることを稼業とするような連中もいる。疑心暗鬼も問題だが、人を無闇に信用するな。お前達とて、親や子供を捕らえられ、家族の命が惜しくば、村に火を放てと言われたらどうする。そういうことをする者がいるのだ。気をつけろ。手を打つために、今回は王都に早急に戻らねばならない」
ハインリッヒが立ち去ってから、双子の一人が口を開いた。
「あの人の妹が、その問題の貴族の侍女だったんだ。最近ようやく、別の人の侍女になった。だから、あの人のいうことは、本当にあることなんだ」
「気をつけてね。僕たちも、ここの村が好きだから、何かあったら嫌だ」
双子の言葉に、村長を含めた村人達は、顔を見合わせるしか無かった。




