39)姉アーデルハイドと末弟ライマー
食後、片付けもすんだ食堂で、姉アーデルハイドとライマーは向かい合って座っていた。ベルンハルトとエドワルド親子は、護衛騎士を連れ、ルートヴィッヒとアリエルと一緒に、執務室のある二階へ行った。
「あのように、御仲がよろしくていらっしゃるとは、思っていませんでした」
アリエルが淹れてくれた茶を飲みながら、アーデルハイドは感慨深げだった。
「父からは、ラインハルト侯爵様に関して、身の程知らずとか、恐ろしい方だということばかり聞かされていました。私、あなたが王都竜騎士団への配属を希望しているという手紙を受け取りましたけれど、信じられませんでした」
「姉上」
「私、それこそあなたが罰として、移動させられるのではないかと思っていたのです」
「そんなことはありません。私は自分で希望しました」
「えぇ。今日になってようやくわかりました。あなたが受け入れられているようで安心しました」
本来、責められても仕方ないはずだ。だが、誰もライマーを責めなかった。騙されて利用され、危うく殺されかけたと受け入れてくれている。ルートヴィッヒとアリエルが、最初にそう説明してくれていたからだ。
ライマーはあの日の出来事を、アーデルハイドに説明した。アーデルハイドにとっては、妹のシャルロッテの犯罪を聞くことになる。アーデルハイドへの説明には言葉を選んだ。
「ラインハルト候は、今回の件に西方竜騎士団がどこまで関わっているか判るまでは、ここにいたほうが安全だとおっしゃってくださいました。私は、シャルロッテ姉上の企みだったと考えております。でも、竜丁さんは、誰かがそう見せかけようとしているだけかもしれないと、おっしゃいます。あの方も、お命を落としかけたことがあるそうです。証拠も無い今、シャルロッテ姉上を犯人と決めつけてはいけないと言って下さっています。私の心労を気遣ってのことでしょう。私は、この王都竜騎士団の方々への御恩を返したい。それに、王都竜騎士団のこの国を守るという心意気に、本来の竜騎士の心得を知りました。私は、この王都竜騎士団の一員になりたいのです」
ライマーの言葉に、アーデルハイドは微笑んでくれた。
「私は、あなたの事故を見ていました」
アーデルハイドの言葉にライマーは驚いた。
「私、今回の御前試合は夫の弔いでした。去年亡くなった夫が、毎年楽しみにしていた御前試合です。子供のようにはしゃいでいた夫を思い出していたら、叫び声がして誰かが落ちて、竜騎士達が次々急降下したのが見えました。大きな音がして、沢山の怒鳴り声や叫び声がして、恐ろしかった。私の席からは、何が起こったのかは、見えませんでした。会場が静まったのは、ラインハルト侯爵様が竜から降りて歩いて、会釈したときです。陛下が試合の中止を宣言されました。大事故を防いだラインハルト侯爵様を表彰するとの発表を聞いて、私は会場を後にしました」
ライマーにとって恐ろしく長かったあの時間、観客からは一瞬のことだったのだ。
「落ちたのがあなたと知ったのは、事故の翌朝でした。王都竜騎士団の方が訪ねていらっしゃいました。事故に不審な点があるから、あなたを王都竜騎士団で預かっている。あなたと会わないかと言われました。その時、私は断ったのです。竜騎士の方が恐ろしかったのです。連れていかれたら、私がどうなるかと思ったのです。あの事故で、ラインハルト侯爵様がお怪我をなさったことくらい、私にもわかりましたもの。そのあと陛下に、あなたのことをお願いするために、謁見を申し込みました。あなたが王都竜騎士団にいることが怖かったのです」
シャルロッテ王妃の姉だが、アーデルハイドは子爵家の未亡人だ。突然の拝謁が叶ったのは、ベルンハルトの配慮があってのことだろう。
「陛下から、本来は、あなたは死ぬはずだったと言われました。落ちて致命傷を負っていたはずだ。即死する高さではないから、西方竜騎士団団長があなたに手を下すことになっただろうと。ラインハルト侯が、あなたを助けることができたのはほとんど偶然だ。あなたの命を狙う人に、心当たりがないかといわれ、私は妹のシャルロッテしか思いつきませんでした。あなたを守ってほしいと、陛下にお願いしました。王都竜騎士団が保護しているから、当面は安全だと陛下はおっしゃいました。父から聞いていた冷酷なラインハルト侯爵様の元が安全とは思えないのに、そこにあなたをという陛下のお気持ちがわかりませんでした」
アーデルハイドの言葉に、ライマーは子供の時の父の言葉を思い出した。第二王子だったルートヴィッヒに対して、父を含めた貴族達は、罵詈雑言を尽くしていた。ライマーも竜騎士になるまでは、父達の言葉を信じていた。
「陛下のお言葉を聞いて、もう、王宮の誰が信頼できるのか、どこが安全なのかわからなくなって、恐ろしくなってしまって、私は領地に戻りました。自分には何もできないと言い訳をして。陛下にお願いしたのだから大丈夫、私も嫁いだ身、亡くなった夫と私との間に子はない以上、なんとしても子爵家を守らねばなりません。それが自分の役目だと、自分に言い聞かせて、あなたのことを忘れようとしていたのです」
アーデルハイドの恐怖には、根拠がない。だが、父の罵詈雑言や、氷の竜侯というラインハルトの二つ名から、アーデルハイドがルートヴィッヒを恐れるのも無理はない。
「忘れようとしていたら、領地にあなたの手紙がきて、王都竜騎士団への配属を希望しているという内容で驚きました。正直、無理やり書かせされているのではないかと思ったのです。返事を書くのも怖かった。あなたを王都竜騎士団から助けてほしいと、陛下にお手紙を書きました。妹の嫁ぎ先とはいえ、陛下にこんな個人的なことでお手紙をしたことを後悔したころ、陛下からお返事をいただきました。あなたに会わせてあげられるだろうから、来るようにと言われて、王都に参りました。元気なあなたに会えるとは思っていませんでした」
アーデルハイドは微笑んでくれた。
「あなたが、本当に、王都竜騎士団に所属したいと思っていることもわかりました」
「姉上、私は、命の恩人であるラインハルト侯の下で竜騎士としてありたいのです」
「えぇ、あなたの気持ちも私はわかりました。今日は会えて本当に良かった。エーリヒには、私からも手紙を書いておきます。エーリヒは私以上に心配しているようでしたもの」
「ありがとうございます。姉上」
転がるような楽しそうな女性の笑い声がした。アリエルだ。階段を下りてくる足音もする。
「あの方が、噂の女竜丁さんだったのですね。噂と違って、ずいぶんと可愛らしい方で驚きました。御前試合のとき、お見掛けたときには、わかりませんでしたけど」
気性の荒い竜が多いことで知られる王都竜騎士団の女竜丁は有名だ。好意的な噂は少ない。王都竜騎士団に噂を気にする者はいなかった。




