14)蝙蝠
ルートヴィッヒは二人を見送ると、薬湯に口をつけた。独特の香りと味がする。飲んでしばらくしないと効果は無いことは、今までの経験で知っている。
「なぁ、殿下」
「カール、蝙蝠はやめたんだろう」
「結局、王妃が怪しいんだよな」
ルートヴィッヒの小言をカールは無視した。
「そうだ。だが、証拠もない。下手に王妃を糾弾できない。処罰も難しい。有罪となれば、ベルンハルトの統治に悪影響が出かねない。エドワルド殿下にも影響があるかもしれない。母君であるからな。逆に無罪になった場合や、中途半端な処罰に終わった場合は、糾弾したこちらの身が危ない」
それこそ、ルートヴィッヒ単身であれば、行方をくらませてしまう方法もある。ベルンハルトに似た顔も、髪形を変え、髭でも生やせば違って見える。国境を越えるのも手だ。
だが、アリエルにはそんな日々の宿に事欠くような生活の苦労はさせたくなかった。かといって手放すなど考えられない。目が届かないところで何かあっては、守ってもやれない。知らない間に殺されていた顔も知らない母のように、殺されてしまうかもしれない。それを思うと恐ろしかった。
「じゃぁ、殿下、前と一緒だよな。あのときも、逃げてるだけだった。黒幕もわかってたのに何もしなかった。殿下と黒幕が殺し合っていたら、この国の政治がひっくり返った。内乱だし、そうなりゃどこかの国が攻めてくる。民が死ぬ。今の俺なら、それくらいはわかる。あの時はわかんなかったけどな。殿下、あんた、あの時俺を止めたよな。黒幕には手を出すなって。今のあんたは国王陛下の剣と盾だ。えらい貴族は、今の殿下には手が出せない。殿下がそれを狙ってたのは知ってる。上手くいっておめでとうだったな。それでも手を出してくる奴には、どうするんだ」
カールの言葉に、ルートヴィッヒは答えられなかった。
「下手な糾弾ができないなら、上手な糾弾は何さ。証拠か。中途半端じゃない処罰ってなんだ。死刑か、幽閉か。あんたの大事な弟、王様のお妃だもんな。あの女の醜聞で弟と甥が苦労するのは可哀想ってか。女の嫉妬は面倒だ。あんただけじゃなく、あんたの大事な竜丁も狙われる。どうするんだよ。あんときのあんたみたいになってみろ、女一人で、身を守れるわけないだろ」
まくしたてるカールの言う通りだ。ルートヴィッヒにもわかっていた。だが、弟のベルンハルトも、甥のエドワルドも、側にいてくれるといったアリエルも、騎竜であるトールも、乳母のマリアも、世話になったゲオルグも、部下達も、ルートヴィッヒには、護りたい人が多すぎる。
「手放したら」
「女一人でどうやって生きていくんだよ。候は馬鹿か」
誰をと言わなかったが、察したカールは、容赦なくルートヴィッヒの言葉を切り捨てた。
「そのくらいなら、連れてどっかへ逃げろよ。もともとどっかの村育ちだろ、候が思っているほど弱くないよ」
「ベルンハルトと約束がある」
この国を治めるベルンハルトを竜騎士となって支えると、約束したのだ。
「弟とるか、女とるか。今のままじゃ、どっちも無くすぞ」
カールの言う通りだ。
「選べというのか」
「候は、どっちも大切にしているようで、そうじゃない。どっちからも逃げてる」
「それは」
「違うとは言わせねぇ」
違うといいたかった。だが、カールの言う通りでもあることはわかっていた。
「俺ちょっと、蝙蝠に戻る。俺のトルナードは頼んだ」
「おい」
ルートヴィッヒが止める間もなく、カールは兵舎から出て行った。
「どうした」
ほぼ同時にアルノルトが戻ってきた。
「カールが、蝙蝠に戻るといって、いったい何を」
「わかっているんじゃないのか。ルートヴィッヒ・ラインハルト侯。お前とあの娘を守るために必要なものは何だ」
「無茶を」
「蝙蝠なりの、お前への義理だろう」
「無茶だ。もう、足を洗ってから長いはず」
「無茶をしている怪我人が言っても説得力は無いな。部屋へ送ろう。歩けるか。背負ってやろうか」
「いえ」
アルノルトの申し出を断ったルートヴィッヒは、立ち上がろうとして止まった。傷が痛んだ。
「無理するな」
「しかし」
「担架がないから仕方ないだろう。あっても俺一人では使えんしな。お前、昔の訓練忘れたか。何のための訓練だ」
傷病兵を背負って走る訓練で、互いに背負って走ったこともあった。
「申し訳ありません」
「お前が南に来た時も背負ったな。暫く振りだ」
アルノルトはルートヴィッヒを背負ったまま、階段を上った。
「部屋は隣か」
「狙われているようですから」
「お前は手を出さんのか」
「やめてください」
「俺はお前に似合いのいい女だと思うぞ」
アルノルトの言葉に、背負われていたルートヴィッヒは答えなかった。




