12)兵舎1
兵舎の一階にある食堂の椅子に体を預け、ルートヴィッヒは目を閉じた。
「大丈夫か」
アルノルトは、ルートヴィッヒの礼服の上着を脱がせた。
「手間を」
「いい」
謝罪しようとしたルートヴィッヒに、アルノルトは最後まで言わせなかった。
「やっぱ、あぁいうのは疲れるな」
カールは、礼服の釦を外して背伸びをした。
「貴族の腹の探り合いか。いつものことだ」
ルートヴィッヒは苦笑した。
「あと、王妃。なぁ、殿下、あんたあの女の恨み買ってないか」
「カール、他に聞かれたら不敬罪に問われる。口には気をつけろ、あと、私の呼び方もだ。お前の質問に答えるならば、王妃様にお会いしたのは数回程度だ。恨みなど買う覚えはない」
「すっげぇ目で見てたぞ」
カールの指摘通りではあった。祝賀会の間中、王妃は、隠そうともしない憎しみか何かのこもった視線を、何度もこちらに向けていた。
「女の嫉妬は怖いからなぁ。候、もしかして、何か恨み買うようなことして、しかも全く覚えてないっていう、結構なことしてんじゃねぇの。王妃に、様相手に」
カールはかろうじて不敬罪は回避した。
「そもそも私は貴族との接点を避けている。ここ数年は祝賀会のみだ。それ以外では警護だから出席はない。竜騎士になる数年前から華やかな場には出ていない。それ以前も、出来るだけ避けていた。先王陛下の誕生会と、当時殿下だった陛下の誕生会くらいだ。出席して必要最低限挨拶してから帰るだけ、そういえばたまに踊らされたか」
ルートヴィッヒは目を閉じた。特に、第二王位継承権などを持たされて命を狙われるようになってから、華やかな場を避けていた。
「俺が知っているのは、竜騎士見習いになってからだしな」
「まぁ、俺はそのちょっと前からだな。候に心当たりがないんじゃぁ、まぁ、余計恨まれるだろうなぁ」
アルノルトとカールの言葉に、ルートヴィッヒは頭痛を覚えた。
「候は、社交界ではどうだったのさ」
「王の血を引くが、身分のない庶子だ。ベルンハルトと一緒にいた。時々、踊る羽目になって面倒だった。私がボウ・アンド・スクレープをするだけで倒れる令嬢もいて」
「倒れる?」
「え、そのボウ・アンド・スクレープって、あの、お辞儀だよな、貴族がやるやつ」
オウム返しのアルノルトに、目を白黒させたカールが続いた。
「あぁ。面倒だった。目の前で倒れたら、何とか支えてやらないといけないし、下手に触ると騒がれるし。窮屈なコルセットなぞつけているからだ」
「その倒れた中に王妃、様は」
「わからない。なにせ、他の場所でも倒れていたから、誰が倒れたかなぞ把握しようもない」
ルートヴィッヒの言葉にカールは首を振った。
「そりゃ、候は覚えてなくても相手は覚えているだろう。そういう逆恨みなんじゃないか」
「お辞儀で倒れるなら、踊ったらどうなったんだ」
「ダンスそのものは、きちんと教師に習っていた。特に問題なく踊らせ」
唐突に思い出した。華美な装飾、強すぎる香水の匂い、そういう令嬢が一人、いた。
「思い出した。踊った」
先王の誕生会だった。ベルンハルトと婚約者のゾフィーが踊った後、ベルンハルトに挨拶してきた父親に連れられていた。飾り立てられた我儘そうな子供がいた。
「一度踊ったことがあった。ベルンハルトに踊れと言われて、だったら相手にぜひ娘を、と父親に言われた。踊ってすぐに帰ったから、忘れていた」
「それで恨むか」
「ベルンハルトと踊りたかったのに、代わりが庶子の私だったから、腹を立てるというのは考えられる。ダンスも平凡で、印象になかったな」
「不敬は候のほうが、ひでぇよ」
カールが口を尖らせた。
「あとは、あちらの竜騎士が、王妃の弟、父親と再婚相手の子供だったということだな」
アルノルトは、今日、エドワルドがもたらした情報を口にした。
「後妻の産んだ弟ねぇ。仲はどうさ」
「調べていない。そもそも、王妃の関係者が、西にいることすら気づいていなかった」
ルートヴィッヒは王都竜騎士団団長である以上、本来そのくらいは把握できるはずだった。
「候、脇が甘い、脇が」
「残念ながらそのとおりだ」
ルートヴィッヒは認めた。現状に頭痛が治まらない。その上、徐々に傷の痛みが増してきた。本格的に薬湯の効果が薄れてきたらしい。
「王妃の実家ってどうなってるのさ」
これから調べねばならないが、西の貴族、侯爵派となると、ルートヴィッヒには伝手がない。
「王妃様のお姉さまは他家へ嫁がれ、後妻様が産んだ息子二人のうち、長男が家を継ぐそうです。事故に遭った方はその方の弟なので、次男です。王妃様には実の弟様が居られたそうですが、王妃様の母上と弟様は、同じ年に流行り病で亡くなったそうです」
するはずのない声に男三人は振り返った。
アリエルが立っていた。
「西方の方々の噂話ですけれど」
正確には、アリエルが、西の竜から聞いた情報だった。




