ろく
ご覧頂きありがとうございます。
いつか見た夢のように、断頭台に昇る。
眼下を見遣れば、いつか愛した民たちが、目を釣りあげて罵倒をしている。
飛んできた小石が体にあたり、あちらこちらに擦り傷を作る。
ここに来るまでも、色んな兵士に殴り蹴られ、辛うじて貞操を守っているに過ぎない状態だった。
嘗て天使と称されたその美貌は見る影もなく、顔は窶れ、体には骨が浮いている。
光輝かんばかりだった美しい髪も、手入れ不足で廃り縮れている。
そんな状態でもスフィレーアは胸を張った。
スフィレーアを尊敬の目で見つめ、手となり足となり動いてくれた部下たちに、聞くに絶えない罵詈雑言を投げられても。
スフィレーアと友情を結び、交流をして共に笑った友人達に、恥知らずだと罵られても。
スフィレーアに期待を寄せて、貴女がいればこの国も安泰ねと微笑んでくださった王妃殿下が、信じられないものを見る目で睨めつけてきたとしても。
スフィレーアを称え褒めていた、多くの貴族たちが侮蔑と嘲笑を向けてきても。
スフィレーアを慈しみ育んでくれた母に、頬を平手で叩かれた時も。
スフィレーアと共に育ち、なんでも話し相談してきた兄弟たちに居ないものとして扱われても。
スフィレーアが出来れば褒め、出来なければ何度でも教え、優しく導いてれた父に、お前とは家族ですらないと絶縁状を叩きつけられたとしても。
それでも、スフィレーアは前を見た。
スフィレーアはやった覚えのない罪を、擦り付けられ、それが違うのだといくら声を挙げても、誰にも信じて貰えなくても。
何だか会話が噛み合わない気がして、不安になって調べるようにと進言したのに、小娘の戯言と取り合ってすら貰えなくても。
それでも、スフィレーアは口元にいつも微笑をたえ優雅にカーテシーを披露した。
味方がひとりもいなくなって、冷たい牢獄のなかから、こちらを見下した目で見つめるリンに何故かと説いている時も。
それに対して、嘲笑だけを返されたとしても。
謝罪をすれば許してあげると、この国の衣装に身を包んだ彼女か高飛車にそう言っても。
それでも、スフィレーアはスフィレーアである事を辞めなかった。
スフィレーアの矜持が粉々になっても。
もうなんの自信もなくても。
それでも、スフィレーアは己のやってもいない罪を認めようとしなかった。
スフィレーアは間違った事はしていない。
スフィレーアがスフィレーアとして生き、その中で教えられてきた事に反すような行いはしていない。
純粋に慕ってくれるもの達の目を真っ直ぐに見れなくなるような事はしていない。
誓ってそう言える。
もしかしたら、スフィレーアの言葉がリンを傷つけた事があったかもしれない。
もしかしたら、スフィレーアの態度がリンを悲しませたのかもしれない。
もしかしたら、スフィレーアの押し付けてしまった価値観が、リンにとって受け入れ難いものだったのかもしれない。
でも。
スフィレーアはスフィレーアが間違っていると思ったことをただの1度もやったことはないのだ。
だから、スフィレーアは絶対に頭を下げない。
謝らない。
自分のやっていない罪で、自分自身を貶めたくないから。
それは、スフィレーアがスフィレーアである為の最後の矜恃だった。
だから、スフィレーアは断頭台の前に立ち、民たちの行き場のない怒りを一身に受け、国王たちの無機質な視線をその背に受けても顔を上げて、胸を張り、骨の浮きでた体で必死に立ち、貴族令嬢らしく綺麗なカーテシーをした。
片足を少し後ろに引いて、両の足が地面に着くくらい下げて、スカートを片手で持ち上げ、もう片方の手を胸の前に置き深く一礼をする。
その所作は言い表せないほど美しく、民たちの喧騒も止んでしまうほどだった。
継ぎ接ぎだらけの彼女の服が、一流のドレスに見える程だった。
その瞬間だけ、誰もが我を忘れ、誰もにかけられた魅了がとけて、素直な反応が現れた。
ただ、もう一度彼女が顔を上げた頃にはそれは終わり、また元のように野次が飛ぶ。
最後に申し開きはあるかと聞かれ、スフィレーアは小さく首を振る。
王妃教育の一環で教わった、大勢に声を届ける発声方法でできるだけ多くの人に、彼女の言いたいたったひとつを届ける。
「それでも、私は間違えてはおりません。」
ただのひとつも。
スフィレーアに出来ることは、いつだって全部やってきた。
スフィレーアが正しいと思えたことしか、選んできていない。
だから。
いつか夢で見た結末と同じだとしても。
私は間違えていない。
視界の端で国王がひとつ頷く。
兵士が、私の頭を押え、ギロチンにかけようとする。
そこで、だれかが言った。
「その通り。貴女はなにも間違えていない。」
ギロチンの刃が襲ってくると、スフィレーアはキツく目を閉じ、衝撃を待った。
ところが、それは、いつまで経ってもやってこない。
不思議に思ってスフィレーアは目を開いた。
目の前で、いつかのスフィレーアの王子様がニカッと笑う。
1年半前までそばに居て、何時だって眺めてきたその笑顔に、酷く安心を覚えた。
スフィレーアの王子様、もといこの国の王位継承権第1位の男が、スフィレーアを腕に抱いたまま呆れたようにため息をついた。
「いやあ、僕のいなかった1年半の間に一体何があったのさ。」
あっけらかんと笑ってそう言ってのけた彼は、聖女と称えられる異世界からの来客を見た。
「ああ、そうだクドウさん。きみに朗報があるよ。」
「な、なんですか?」
今まで、放心したようにこちらを見ていたリンが、名を呼ばれて身じろきをする。
彼女の瞳の奥に確かな恋情を見て、スフィレーアはリンが自分を目の敵にしていた理由を垣間見れたような気がした。
そんなスフィレーアを知ってか知らず、彼女を腕に抱いた男は言う。
「きみを故郷に返す方法が分かったんだよ!これで家に帰れるね。おめでとう!」
リンは、家に帰れることへの喜びと自分の理想となりかけているこの世界を捨てることへの未練とが綯い交ぜになった顔をしていた。
そんなリンを横目に、スフィレーアの婚約者は続ける。
「ああ、それから。父上ったらダメですよ〜?こんな簡単な魅了にすら気がつけないなんて。」
そう言うと彼は胸ポケットから、四角い箱を取り出す。
それの蓋を開けて空中へ放り投げると、広場にいた人やそれを眺めいていたもの達が、一斉に憑き物が堕ちたようになった。
それを見て目を丸くするスフィレーアを愛おしそうに見つめて、彼女の婚約者は彼女の額に口付けた。
今度は間に合ってよかったと、心の中で呟いて。
安堵で満ちる彼の胸中とは異なり、スフィレーアの心の中は暴風が吹き荒れていた。
いままで散々辛酸を舐めていた時ですら、強風くらいだったのに、今じゃ台風だ。ハリケーンだ。
それくらいスフィレーアにとって、初恋の王子様に口付けされることは大事件だったし、そうでなくても今まで貞操を重んじてきたスフィレーアは男性に対する免疫がびっくりする程無かった。
だから、瞳を閉じていたスフィレーアの婚約者たる男は気がつかなかったが、口づけられていたスフィレーアの顔は茹でダコのように真っ赤で、今までたえていた微笑はどこかへ飛び、貴族の矜恃なんて裸足で逃げ出してしまっていた。
そんな事を知ってか知らずか、彼女の婚約者は、恥ずかしさとほんの少しの嬉しさが入り交じって、落ち着かないスフィレーアの瞳を見つめ、静かに言った。
「大丈夫、君は何も間違ってない。」
これで一応本編は終わりですが、王太子さんがあまりにも謎な人物過ぎるので、そちらについての補足も後日上げていこうと思います。
今のところなんだコイツな、リンちゃんの事も少しはわかると思います…
2022/11/27 ちょっとした修正入れました。