7 自由な金魚
いつの間にか眠ってしまった。目を覚ますと、もう朝になっていた。
俺はソファーの上で横になり、体にはタオルケットが掛けられていた。
床に両手を突いた凛子の顔が目の前にある。
「お は よ う。」
凛子が笑顔で優しくゆっくりと朝のあいさつをする。
「おはよう。いつの間に寝ちゃったのかな。」
「僕も気が付いたら眠っちゃっていたからね。紅茶入れるね。」
凛子は立ち上がりながら話す。
「うん、ありがとう。」
「ごめんね。また紳士君の課題だった音楽、最後まで聞いてやれなくて。」
「ああいいよ。どうも俺の選曲には睡眠効果が有るみたいだ。」
「あはははは。ねえ、それ売り出したら? ヒットチャートの上に行くかもよ。」
「止めとくよ。3曲目以降のアーティストからクレームが来そうだ。」
「ねえ、後で曲教えて。カズに教えるから、彼女ねー寝つきが悪いんだって。」
「人体実験するの?」
「大丈夫。カズがよく眠れるようになったって売り出すような事はしないから。」
凛子が紅茶を持って来て隣に座る。
「昨日は楽しかったなー。」
「また行く?」
「行きたいけれど無理ね、他にもやらなきゃいけない目標が有るから。」
紅茶を飲みながら楽しかった事を振り返り、その日俺は自宅に戻った。
翌日、いつもの公園のベンチで待ち合わせをする。
参加条件はアイスティーを持って来る事。
自宅から向かった俺はいつものコーヒーチェーンでアイスティーを買い公園のベンチへと向かう。ベンチには既に凛子が来て座っていた。
これはチャンスだ。俺が凛子の背中を突く機会を与えてくれた神様に感謝しなければ。
手に持ったアイスティーに音を出させない様に気を付けてゆっくりと進む。人先指を伸ばしもうちょっとで突ける所まで来た時に、
「それって紳士の人がする事?」
と突然凛子が振り向きもせずに喋った。
「どうして分かったの?」
俺が聞くと、凛子は無言のまま視線の先を指差した。そこには以前にブランコの所で凛子のパンティーを見た男の子がこちらをジッと見て立っていた。凛子が手を振ると男の子も手を振り何処かへと駆け出して行った。
「未来の紳士君が教えてくれたんだよ。」
「あいつ凛子のパンティー見たガキだろう、いつ手懐けたの?」
「この前ここに来た時にね、あの子より小さな女の子がブランコに乗りたいって駄々をこねていたんだ。そうしたらブランコに乗っていた彼が降りてその女の子に譲ってあげたんだよ。それで傍に居た僕が彼の頭を撫でて、『君はいい紳士君だね』って、それと『男の子は女の子を泣かしちゃいけない』ってのを教えて上げたんだよ。そこからかな。師匠になったのは。」
「師匠?」
「そう、それ以来あの子、僕が公園に来ると『俺、紳士?』って聞いて来るから色々と教えて上げているんだ本当の紳士君になれるようにってね。きっとお母さんにあの日の出来事を話したら凄く褒められたんだろうね。」
「へー、紳士を育てているのか。気を付けないと多重人格者になっているかもよ。」
「あははは、それは大丈夫。あの子には色々求めないから。基本だけだよ、女の子は泣かしちゃいけないって言う基本だけ。」
「ほぅ、内の家訓がどんどん広まって行くのか、じゃあ俺は大師匠で俺の親父は創始者って事になるな。今度あいつに俺が直々に指南してやろうかな。」
「あはは、一体何を教えるの?」
「女の子の下着を見ても見えなかった振りをして黙っているって事。あ、いや、それじゃあダメだな、むっつり何とかに成っちゃうかもな。」
「あはははははは。」
凛子は笑いながら少し涙をこぼしていた。
アイスティーを飲みながら凛子の次なる目標を聞く。
「次はお祭りに行くのです。」
「お祭りかー。そこで何するの?」
「色々。色々楽しんで日本の縁日を満喫したいの。」
「いいね! 夏らしい。良しっ、そうと分かれば買い物をしながら話そうか。」
「うん!」
ベンチを後にしアイスティーを飲みながらスーパーへと向かう。公園を出る時に凛子は例の男の子と手を振っていた。お母さんなのだろうか、近くに居た女の人が軽く会釈している。
「今夜は何にしようか。」
いつもの様に凛子は俺の顔を覗きながら聞いて来た。
「和食、洋食、中華、どれがいい?」
「和食。あぁー北海道行きたいなー。きっと涼しいだろうね。」
「北海道で和食? 何だ? 刺身? 海鮮丼? ちょっと違うなー。」
「牛乳。じゃがいも。アスパラ。ヒグマ。」
「ヒグマ? ジビエじゃないんだから。だったら和食じゃないけれど『なんちゃってチーズフォンデュ』にしようか。」
「えっ? 何々?」
「ホットプレートを使ったチーズフォンデュ。それで北海道フェア。どんなのかはお楽しみ。」
「うん、楽しそう。ワクワクする。僕も手伝う事有る?」
「ああ、大いに期待しているよ、凛子の包丁さばき。」
「えっ?」
必要な物を買い揃えて帰る。荷物は俺が持っているので手が自由な凛子はいつも以上に大きな手振りで楽しそうに話しをしながら歩いている。
キッチンに立ち例のエプロンをして凛子は包丁を立てて持っている。胸のウサギの可愛いイラストと対比しこれから殺人でも起こしそうな緊張気味に立っている姿が可笑しいい。
「僕、包丁ってほんと下手なんだ、大丈夫かなー。」
「凛子にそんな難しい事させないよ。怪我でもされて泣かれたら俺ん家の家訓に響くからね。」
凛子の家には調理器具や道具が一通り揃っている。これも一人暮らしをする娘の為にと揃えたのだろう。使われていない道具は綺麗で切れ味も良かった。
「凛子はとろけるチーズを十字に切って小さな四角いチーズをいっぱい作って。」
「な~んだそんな事。任せて。」
そう言うと、買って来たとろけるチーズの個装になっているシートを取ろうとしている。
「ちょっと待ったー。シートはそのまま。上から包丁を押し付けるだけで良いんだ。」
「こう?」
「そう。ほらね、包丁を抑えた所が千切れているでしょ。これで包丁も汚れない。洗い物も楽になる。」
「へ~、これが生活の知恵って奴か。」
「チーズが終わったらバゲットを一口大に切ってね。使う包丁はコレね。」
「やったー、包丁の使い分け。料理しているって感じがする。」
「考えて切る事。一口大だからね。」
野菜はラップと電子レンジで蒸す事が出来る。なんて便利な世の中なんだと思っていると、凛子は切り分けたバゲットを1つ口に入れ、
「これで良いな。」
等と言っている。
「凛子、つまみ食いはダメだろう。」
「へへへー、紳士君の口の大きさはどうかなー。」
バゲットを1つ摘まんで、俺の口に運びながら言う。俺はそのまま口を開けそのご褒美を頬張る。
「うん、丁度良い大きさだし、美味しい。」
「これで君もつまみ食いの共犯。はははは。」
テーブルの中央にホットプレートを置き、その上で蒸したじゃがいもやアスパラ等の野菜を温める。その横には北海道産のソーセージ。そして自分の前のプレートに凛子が切った『とろけるチーズ』を乗せてしばらく待つ。
「こういう風にチーズがとろけてプクプクと膨らみ始めたらこの竹串にバゲットを刺してチーズに押さえ付けるんだ。」
すると押さえ付けたバゲットのクラム部分にある気泡の窪みに溶けたチーズが入り込み、とろけたチーズが絡まってあたかもチーズフォンデュに浸したようになる。それをフーフーして口に入れるとチーズの美味しさと温められたバゲットの香りが口いっぱいに広がる。
「ん~~、美味しい。」
俺が手本を見せている間中凛子は目を輝かせていた。直ぐに凛子もとろけるチーズを乗せてバゲットを付ける。同じ様にフーフーして口に入れた瞬間、
「あふぃ。」
と言って口をはふはふしながら食べた。
「美味しー、こんなに手軽にチーズフォンデュ出来るんだね。」
「言っとくがこれは『なんちゃって』だからな。本家を舐めたらいけない。」
「うんうん。でも本当のやつはチーズの加熱が難しいんだよね。強いと焦げちゃったり、弱いと固くなっちゃたりで。お店で食べた時に結構苦労したもん。でもこれなら簡単だね。食べたい時にチーズを乗せればいいから。」
「そっ、簡単が一番。次はソーセージに行こうかな。」
「じゃあ僕はアスパラ。」
なんちゃってチーズフォンデュのお供は、冷製のコーンスープとカットしたメロン。卓上は北海道フェアそのものだ。これにビールかワインでも有ったら良かったのにと思っているのは大人位で、未成年の俺達には無用である。何せ若者はどんな飲み物でもいいからだ。俺達はウーロン茶を飲んでいた。時間に急かされない食事は会話を弾ませる。
「それで夏祭りの計画って?」
「そうそれ何だけど、僕は浴衣を着るんだ。紳士君は?」
「俺も何か着た方がいいの?」
「出来ればだけど、着て欲しいな。」
「分かった、何とかするよ。でも浴衣を買うのには付き合わないよ。」
「ふふ、それは大丈夫。ちゃ~んと持っているから。」
「それで、目的は?」
「お店を全部回るの。」
「全部って、食べ切れないよ。」
「全部食べるんじゃないよ。射的をして、輪投げをして、綿あめを食べる。キラキラ光る物を持って、甘い物を食べて、お面をかぶる。」
「日本のお祭りが目に見える様だね。」
「でしょ! それで最後に金魚すくい!」
「えっ? 金魚飼うの?」
「ううん。そうじゃない。金魚を救うの。すくうって、水から掬って取る方じゃなくて救い出す方ね。ああ日本語ってややこしい。」
「何それ。」
「それは秘密。その時になったら教えて上げるね。」
「良からぬ事でも考えているんじゃない?」
「へへへへー。」
「でもあそこのお祭りって内の生徒も来るんじゃない? 一緒に居るところを見られたら嫌じゃないの?」
「う~~ん、嫌じゃないけど面倒くさいかも。そうねー、たまたま会ったって言おうか。」
「そんな言い訳通じるかな。」
「でも、僕達付き合っている訳じゃないんだし、単なる友達だから。」
「そこが問題だな。単なる友達なのに一緒に暮らしている。凛子が友達に言われたら信じる?」
「じゃあさ、変装して行こうか。」
「浴衣にマスクとサングラス? 余計に目立つんじゃない?」
「じゃあじゃあ、一番にお面を買って着けて歩くってのは?」
「ごめん。俺の紳士としての心が許さない。」
「あはははは。 でも、楽しみだなー。」
食事は楽しく進む。熱いチーズフォンデュを冷製スープが爽やかにし、カットメロンがさらに次の温かい物を求める。お祭りは3日後だ。
「ベビーコーン美味しいね。」
「バゲットにはチーズを2枚使って両面に付けるともっと美味しいんだ。」
「僕もやってみよう。」
お祭りの日。俺達は凛子の家から一緒に行く事にした。
それぞれの部屋で着替えてリビングでお披露目。
やっぱり着替えに時間の掛からない俺は先にリビングで待つ。俺は親父から借りた甚平を着ている。体つきもほぼ同じ位なのでサイズも合い、色やデザインも大人らしく落ち着いたものだ。少し昔の感じの色が良い。
凛子の部屋のドアが開き彼女が出て来た。
綺麗だ。昭和レトロのデザインで【矢羽根に梅】の柄である。白地に黒く細い縦の線が引かれそこに矢に付けられている飛ぶ方向を保つための鳥の羽の形が同じ色で描かれている。その上に赤色と水色で大きく描かれた梅の花が散りばめられているが、その色使いは鮮やかな赤や水色ではなく、何処かくすんで見える様な落ち着いた色が昭和という少し前の時代のレトロを感じさせている。帯も浴衣の赤い梅の花と同じ落ち着いた赤一色の物で、それが彼女の全体を引き締めて落ち着いた感じを与えていた。それに今日はいつもの黒髪を上げ、その細く綺麗な曲線の首を浴衣から覗かせている。少し身体に撓りを付ける様に左足を爪立たせ、右手を上げて袖の柄を俺に見せる様に立ち、
「どう?」
と澄ました笑顔で俺に視線を向けた。一瞬言葉が出ない。
「凄くいいよ。」
「本当! これ気に入ってるの。お母さんはもっと明るい色の方がいいんじゃないって言っていてけれど、これが好きなの。」
「ああ、凛子にとても似合っているよ。少し大人っぽいかな。」
「紳士君のと合いそうね。」
何故だか動きもいつもと違って淑やかさを感じる。手に持っているバッグも何かで編んだ物で浴衣にぴったりの雰囲気だった。
電車に乗ってお祭りの場所へと向かう。
昼の明るい時間を避け、夕方近くの少し暗くなりかけの時間を狙って出掛ける。この時間からは出店の灯りも綺麗に映え、浴衣を着ていても涼しくなるからだ。祭りの最寄り駅に着くと俺達と同じ様な目的の人達で賑わっていた。
「凄い人だね。」
多くの人の楽しいざわめきにかき消されない様に凛子は俺の耳に顔を近づけて話す。
電車から降りると改札から地上に向かう通路は同じ方向へと進んで行く人で更に混雑していた。
「あっ。」
人波に飲まれて凛子が俺より先に押しやられそうになり声を出した。俺は直ぐに凛子の手を握り彼女を引き寄せた。
「大丈夫? 手を繋いで行こう。」
「う、うん。」
そのまま人の流れに任せて俺達も地上へと出た。狭い所から広い地上へと出たがそこにも多くの人達が行き交い、出店の灯りと共に人々の楽しい声が輝いている。
「凛子。このまま手を繋いでいよう。」
「うん。放さないでね。」
「ああ、大丈夫だ。俺の運命も掛っているから。」
「何? どうして?」
「凛子が迷子になったら、あそこにあるスピーカーから変な呼び出しが掛るだろう。『紳士君と言う方、迷子の女性が事務局に来ています』ってね。そうしたら迎えに行った時に恥ずかし思いをしなきゃならない。」
「ふふふふ、それは考えていなかったわ。手を放したら直ぐにでも放送してもらおうかしら。」
「止めてくれ。同級生に会うよりも恥ずかしい。」
「あははは。」
スピーカーからは既に迷子の親を求める放送が繰り返し流れていた。
俺達は商品を手にする以外はずっと手を繋いでいる。そう言えば手を繋いだのも初めてだった様な気がする、一緒に暮らし始めてひと月以上が経っているのにだ。きっかけは偶然だったけれど、その後勇気を出して手を繋ぐ事を言い出したのは良かったと思っている。もしもどちらかがはぐれて迷子になって離れてしまったら今日を楽しめずに、凛子の目標を達成する事が出来ない。一緒に住み始めてからも俺の希望でスマホの連絡先を交換していないので、迷子になった時の連絡手段が無いからである。それは、きっと必ず来る別れの時に俺よりも凛子の方が悲しむと考えたからだ。俺との別れよりも日本との別れをだ。少しでも過去に繋がる連絡先は残さない方がいい、そう考えていた。
夕食を兼ての夜店回り。見た物、気になった物を食べながら進む。凛子の希望通り綿あめを摘まんで口に入れ、海でのかき氷と同じ様に摘まんだ物をお互いに食べさせ合い、人とぶつかって上手く口に入らず鼻の頭に付いては笑いながら進む。キラキラ光るブレスレットをして輪投げの参加賞をもらう。射的では凛子が欲しがっていた物は当然落とす事が出来ずにプクッと頬を膨らませた後に笑顔に変わる。直ぐに次の場所へと向かって進んで行った。俺達は2人だけの世界で楽しんでいると、やはり現実へと引き戻す声が掛かる。
「凛子?」
振り向くとそこには凛子がいつもクラスで仲良くしている4人の女友達が立っていた。氷をガリガリ噛んで食べる【スズ】こと【曽根崎 涼花】と寝つきが悪いと言っていた【カズ】こと【宮前 和葉】と他に2人だ。いつもリーダー格のカズが凛子を見つけて声を掛けてきた。
「あれ~、2人は付き合っていたの?」
「そうじゃないよ。一緒に居るだけ。」
「だって、手を繋いでいるじゃない。」
「ついさっきからだよ。はぐれちゃいけないからって。」
「それを付き合ってるって言うのよ。いいわ、休みが明けたらしっかり聞かせてもらうからね。いい、凛子、全て正直に答えてもらうからね。じゃあ、2人で楽しんでねー。」
終始カズだけがしゃべり4人は人混みに紛れて行った。スズは凛子が言っていた様に控え目で3人の後ろに隠れる様に立っていた。
「あーびっくりしたー。急に声かけるんだもの。カズが言っていたお祭りってここの事だったんだ。」
「これで俺達の事がクラス中に広まったな。彼女達が来るって知ってたの?」
「ううん。誘われたけれど断ったの、まさかここだったとはねー。でも彼女達に会ったからってクラス中には広まらないでしょ。」
「何言ってるの、同じクラスの女の子が4人も知ったら、明日中には広まっているね。俺の所には男子連中から抗議のメールが届く。」
「そんな事、考え過ぎよ。」
「あのなー、凛子、お前は結構男子に人気あるんだぞ。」
「えー本当? 誰からも告白されたこと無いよ。」
「当たり前だ。学年2位の成績優秀者で、しかもカズ達四天王が守っているんだ。それなりの覚悟がなきゃ君に近寄る事さえ出来ないんだぞ。」
「あははは、カズ達は四天王なの?」
「見ただろう、さっきの俺に対する視線。周りに一般人が居なかったら殺されていたよ。」
「あはははは。」
「学校が始まったら絶対に呼び出し食らうね。それも人目に付かない所。」
「彼女達は優しいわよ。そんな事しないよ。ふふふふ。」
もう気にしてもしょうがない。それからは誰にも合わずに回った。もしかしたら近くに居て気付かれていたけれども声を掛けられなかっただけかもしれない。
やがて少し広いスペースに綺麗な水槽の水が輝き、その中に宝石の様な鮮やかな金魚が泳いでいる【金魚すくい】の所に来た。凛子は喜んでいるかと思っていたら何処か寂しい表情をしている。じっと立ち、水槽の中をゆっくりひらひらと泳ぐ金魚を見つめている。一瞬、俺と繋いでいる手に力が入った。
「どうしたの?」
俺が声を掛けるとその表情を元に戻し、
「金魚って幸せなのかな。」
と何処か寂しい笑顔で呟く。
「僕ね、 僕はこの国を離れて異国で結婚する。囲われた所でこれからの一生を過ごすんだ。だから、何でもいいから、少しでいいから、一匹でも自由にして上げたいんだ。」
「それで金魚すくい?」
「ペットショップで小鳥を買って、空に放っても良いんだけれど、僕の力で、僕が救い上げて自由にして上げたいんだ。」
「金魚をどうするの?」
「川か池に放つの。」
「それは可哀そうだ。」
「えっ? どうして?」
「金魚はその環境では長生き出来ない。他の魚の餌になるか環境に適応できずに死んでしまうよ。」
「そうなの?」
「ああ、泳ぐ事よりもひらひらと可愛く泳ぐ様に品種改良された物だからね。餌だって自分ではきっと捕れない。誰かに与えて貰っているだけだから。」
「この中なら幸せなの?」
「分からないな。でも金魚はこの中しか知らない。僕達が日本の中だけで生きているようなものかも、外国の生活や厳しい環境は分からない。もしかしたらこの国の中でも違う環境に移ったら違う気持ちになるかも知れない。」
「そうかー、僕は自分の事だけしか考えていなかった。」
「凛子は自分の事で精一杯だ。しょうがないよ。自由になりたい、して上げたいって言う気持ちは分かった。」
俺は寂しそうに言ってしまった。凛子が気になり彼女に視線を向けた。
「どうしよう、目標が。」
「取り敢えず金魚すくいしたら。助ける努力をした、それでいいんじゃない。」
「ありがと。」
凛子は笑顔になり、
「おじさーん、1回。」
そう言って金魚すくいに向かった。
「どれを狙うの?」
俺の問いに、
「一番大きいの。川に逃がしても生きていけそうなのを救うわ。」
「まだ川に放そうとしてるの?」
驚く俺に笑顔を向けた。
「えいっ!」
態とだろうか、勢いよく掬おうとしたポイは直ぐに破れて凛子の救出作戦は終わった。
「おじさん、これ貰ってもいい?」
凛子は破れた安っぽい水色のプラスチック製のポイを貰い、紙を剥がして楽しそうにクルクル回している。
「金魚は救えなかったけれど、これは僕の努力の証だ。」
俺を見て明るく笑った。凛子はポイの枠をまるで虫眼鏡の様にして持ち、丸い穴から覗き込むように辺りを見回していると、突然俺と繋いでいる腕を押して夜店の脇に押しやった。
「カズ達が居た。」
2人でじっと隠れ、何だか可笑しくて笑った。
少し喧騒を避けて休憩するかのように静かな所でジッとしている。手を繋いだままに狭い夜店の間の通路に立っていた。
凛子がポイを虫眼鏡の様にして店先から人混みを見渡す。
「カズ達何処かに行ったよ。」
「ねえ、凛子は探偵にでもなったつもり?」
「また会ったら気まずいでしょ。」
「いや、探偵は追う方だし、ポイを持っていたら余計に目立つと思うんだけどな。」
俺達は通路に出て再び夜店を渡り歩いた。それにしても凄い数だ。都会から繰り出す人手を見越しているのであろうが、いつもは店舗を構えている店も車両を止めて歩行者天国となっている車道沿いに簡素な組み立てテーブルの店を出し、何処までも夜店が繋がっていた。俺達はそこを2往復位はしただろうか、もう十分夏まつりを満喫して帰る頃凛子がポツリと言う。
「都会のお祭りって最後が寂しいね。」
「ん? どこが?」
「ドラマやアニメだとお祭りの最後は土手で花火を見て終わるじゃない。でも都心に近いこの辺はお祭りと花火大会とが別れているでしょ。何かお祭りの終わりがぼやけてしまう様な、寂しいような。」
「そうだね。道路で花火も出来ないし。実際にはドラマの様な訳にはいかないね。」
そう言って俺達は帰りも賑わう人の波に飲まれながら最寄り駅まで来た。
「凛子、ちょっと遠回りしようか。」
「えっ、どうしたの?」
「何かさ、もうちょっと手を繋いで歩きたいなって。」
「ふふ、ありがと。」
俺達はいつも作戦会議をする近くの公園を回った。そこには、本当は禁止されているのだが、数組の親子が手持ち花火で夏を楽しんでいた。
「凛子、祭りの締めくくりがここに有ったよ。」
「本当だ。やっぱり最後は花火だね。綺麗だな~。」
「あそこに君の弟子が居るぞ。」
ブランコのある近くで小さな男の子と両親が楽しそうに花火をしていた。男の子は花火に夢中で俺達の方なんかは見る事も無く、手持ちの花火が終わると直ぐにお母さんの所に行って次の花火を貰い、お父さんに火をつけて貰っていた。明るく輝く花火を振り回して楽しそうにはしゃいでいる。それを見つめる両親も楽しそうだ。
「ママもやろう。」
遠くからでも男の子の興奮していつもより高めの声が響き渡って来た。お母さんの花火にも火が着くと傍で一緒に並んで花火を持ち、それをお父さんがスマホで撮影している。お母さんはスマホに向かってにこやかに手を振っているが男の子は花火に夢中で何か呟きながら揺らしているのが分かる。きっといい思い出の動画になっているんだろうなと思い、凛子と向き合って微笑んだ。
結局、玄関に入るまで手を繋いだままで来た。
「ただいまー。」
「お邪魔しまーす。」
いつもの挨拶をして家に入る。
手を繋いだまま凛子は俺を見つめて何か言いたそうにしていた。
「あの・・・」
「凛子、初めて俺からのお願いが有るんだけど。」
「えっ? 何?」
「そのぅ、これからも良ければ出掛ける時は手を繋いで欲しいんだ。」
「えっ。」
凛子は繋いでいない手を口に当てて泣きそうな声で、
「ありがと。」
と小さく呟いた。それを見た俺は慌てて考えた。泣かしちゃいけない、何とかしなければと。
「いや、あの、凛子が迷子になると困るんだ。町内のスピーカーで俺の事を紳士君って呼び出すだろう。」
「プっ、本当ね。僕を迷子にしたら直ぐに放送させるからね。でも、本当にありがとう。」
「着替えて紅茶でも飲もうか。」
「うん。」
翌朝。
相変わらず間の抜けた声を出しながら凛子が起きて来た。やっぱりパジャマの上だけと今日は水色のパンティーだ。
「おはよう。」
「あ、紳士君おはよう。 えっ!」
そう言って驚くと急いで部屋に戻り、入り口から顔だけ出して、
「えっ、今日は家に帰る日だよね。まだ居たの?」
と目を大きく見開いて聞いて来た。
「まだ休みだから、ここに居られるだけ居てやろうと思ってね。紅茶、飲みたい?」
「うんうん、着るから是非。」
俺が紅茶を入れている間に凛子は洋服を着て部屋から出て来た。
「どうしたの?」
「折角の楽しいお祭りの次の日だから、少しは余韻を味わいたいかなと思ってさ。それにもう直ぐ夏休みも終わりだからね。」
「ふふー、まだ僕と手を繋ぎたいって正直に言えばいいのに。」
「じゃあ、手を繋ぎたいから、紅茶を飲んだら何処かに行こうか。」
「えっ?」
まだ凛子と手を繋ぎたかった。本当にそう思っていた。
お祭り、大好き!
お店を回るのも好きです。特に射的は必ずやっちゃいますね。
あと、見たことの無い食べ物の登場にも心が弾みます。