6 さあ、海に行こう2
「そう来たかー。うんうん、やっぱり1曲目はこれだね。」
「えー本当、紳士君もそう思う。」
「思う思う、これだよこれ。ワクワクの始まりって感じだね。」
俺と凛子は選曲の共感に笑顔で向き合った。顔の近さに一瞬戸惑い、お互いに正面を向いて俯いた。しばらくの間沈黙する。触れ合っている腕から伸びる手のやり場に困った。
俺は何とか言葉をしぼり出す。
「凛子。いっぱい笑おうね。」
「うん!」
特急列車の窓の外を景色が飛ぶように過ぎ去って行く度に、耳に刺さる軽快な夏の音楽が俺達の会話に楽しさを増して行く。
「駅に着いたら、先ず予約した海の家に行って水着に着替えよう。」
「ねえ、紳士君は僕がどの水着にしたのか分かる?」
「う~ん・・・。」
「よしっ。賭けをしようか。もしも紳士君が当てたら僕がかき氷を奢る。」
「はずしたら?」
「自分で買ったかき氷を一気に食べる。」
「え~~~! 俺ってああいうの食うといっつも頭がキーーンってなるんだ。」
「僕と一緒だ。」
「うち、家族全員キーーンってなるんだぜ。」
「あはははは。どうしてなるんだろうね。でも食べたくなっちゃうんだよね。スズなんて平気で氷をバリバリ噛んで食べるんだよ。」
「えっ? あのスズが? 意外だなー、君といるのを見ていると大人しそうなんだけれどな。」
「この前も皆で行ったフレッシュジュースの店で飲み終わった後の氷をバリバリ食べてた。」
「もしかして彼女ってガツガツ行くタイプ?」
「ううん、大人しいよ。」
「それとなく言って上げた方がいいよ。男性の前ではしない様にってね。」
「あははは。うん、言っとく。」
「おっ、2曲目はこれかー、これは考えて無かったな。」
「ふっふっふ、2曲目は悩んだんだよねー。それより、水着。紳士君はどれだと思う?」
「う~ん、今年流行りのオフショルダーってやつかな、黒っぽい生地に大きな葉っぱの柄が有って、白い花模様のスカートが付いていたやつ。」
「ほ~ぅ、そう来ましたか。」
「えっ? 違うの?」
「それは海でのお楽しみ。」
「お願いします。キーーンとなりません様に。」
「あはははは。」
終点は竜宮城。
駅から出る人達は大半が右側の道に進んで行く。
俺達もその列に加わって進む。まるで本当に革命を起こす為に行進しているみたいだ、楽しい大きな声が響き渡りそれがシュプレヒコールの様に聞こえる。新たな世界に向けて皆が興奮しているのが分かる。
予約していた海の家に行き、水着に着替える。当然、着替える物の少ない男性の俺は凛子よりも先に海の家の中で待っていた。
凛子が現れる。
青いワンピースの様な水着だ。青色のビキニタイプの水着の上から胸をふっくらと包む様に上下をゴムで止め、透き通ったきめの細かい柔らかな青色のレース生地で出来たワンピースの服とセットの水着だ。その青色の生地には夏らしく白い錨の模様が散りばめられている。
凛子は俺を見つけるなり、
「キーーーーン!」
と言いながら腕を広げて飛んできた。白く細い腕が眩しい。
「紳士君、残ね~ん。僕が選んだのはコレでした。 どう?」
また1回転しながら上目遣いで聞いて来る。
「凄くいい。」
「本当に! いい? 似合ってる?」
本当に似合っていて、可愛かった。あの水着売り場で目を細めて想像していた以上だ。大きく開いた背中とそこから伸びる細い腕。レース生地の下にみえる可愛い形のおへそが海に来たことを実感させる。
「行こう!」
海の家から眩しい海岸へと飛び出す。太陽に連日照らされ熱が冷めない砂が今日もさらに熱くなっている。凛子は叫びながら走って行く。
「キャ~~熱~い!」
体を太陽の光が刺し、ビーチサンダルを乗り越えた砂が足を襲う。俺達はロッカーと同時に予約していたビーチパラソルの下へと駆け込んだ。レースのワンピースを脱ぎながら凛子が言う。
「これは思っていたよりも強敵だね。」
ビーチサンダルを脱いで俺を鋭い視線で見る。
「行く?」
「行こう!」
一気にパラソルから飛び出して海を目指して駆け出す。
「キャ~~~~~!」
素足を襲う焦熱の砂を巻き上げながら大声を出す事で熱さを吹き飛ばすかのように凛子は叫んでいた。裸足とサンダルを履いているのとでは全然違う。
海に足を浸して笑った。
「あははは、えーやっば~い。熱すぎるよー。」
「戻れるかな。」
「ねえ、紳士君。さっきの水着の賭けの事だけど、勝った条件変えてもいい?」
「えっ? 何にするの?」
「へへー、パラソルに戻る時、僕はここで待っているから、紳士君がビーチサンダルを持って来るってのはどう?」
「鬼。」
凛子は自分の水着を指差して笑いながら言う。
「はい、青鬼です。はははは。」
「どちらにしても俺に地獄を味わわせたいんだな?」
「ふふふふ。」
「じゃあサンダルを持って来るよ。」
「へー、どうして?」
「灼熱地獄の方が短い時間で済みそうだ。」
「あはははは。」
海では海水に浸かったり、掛け合ったりと普通の事をした。でもそれが楽しい。凛子は笑いっぱなしだ。
海を満喫した俺達は海の家に行く。サンダルを持って来る灼熱地獄も海に浸かっていたせいかあまり熱く感じなかった。凛子には内緒だ。
「ここのかき氷も凄いんだよ。」
「やっぱりここに決めた理由はそれかー。」
「へへへー、あらゆる角度から判断した結果だよ。」
「本当かね。」
「いいから食べよう。」
俺は思う。年々かき氷が大きくなっているじゃないかと。氷のボリュームだけでなく乗せられているモノの数もだ。頭がキーーンとなる俺は好んでかき氷は食べたくならないが興味はある。特にこんな暑い日には食べ切れなかったとしても口に入れたくなる。
「写真で見たのより大きくない?」
凛子は持ち上げて満面の笑みを浮かべている。
「それ1人でいける?」
「いけるいける。美味しそー。」
大きなかき氷をこぼさない様に熱い砂の上をゆっくりと歩いてビーチパラソルの下にもぐり、チェアーに座って向かい合い食べる。凛子はふわっふわな氷に鮮やかな黄色のマンゴーソースがかかったもので、俺のはレモンミルク。
「ん~~ん、美味しー。ねえ、紳士君のも食べさせて。」
「いいよ。」
俺が差し出すと、凛子はスプーンの先端を差して氷を掻き上げた。
「あ~~~。」
凛子の声と一緒にかかっていたミルクが砂の上に落ちる。
「ごめ~ん。」
「いいよ、いっぱい有るから。」
「ごめんねー。僕のマンゴー1つ上げるから。」
そう言うと、掬った俺のかき氷をパクッと食べ、そのスプーンで自分のかき氷に乗っているマンゴーをすくって1つ乗せた。俺の口に向けてスプーンを伸ばしながら、
「ごめんね、どうぞ。」
と笑顔で勧める。自然に俺は口を開けてそれを受け取る。
口に広がるマンゴーの甘さと氷の冷たさが絶妙だ。
「ん~~、美味しいねー。」
「あっ。」
凛子は急に俯いて呟く。
「間接キッスしちゃったね。」
時間が止まる。何とかしなきゃと思う程言葉が出ない。思考も止まる。
「凛子はキスしたこと無いの?」
何を言っているんだ俺は。
「えっ? 紳士君は有るの?」
「い、いやっ、俺は無いよ。」
「ぼ、僕も無いよ。」
マズイ、余計に会話が続かなくなる。
「ねえ、じゃあ、僕とが初キッスって事?」
「間接だけどね。」
「ありがとう。日本での思い出になったよ。」
「こんな間接キスでいいなら・・・。」
「いいよ、こんな間接キスで。こんな間接キスで十分。本当のキスは、好きって言い合った人とだからね。でも紳士君は高校生の時には恋人を作らないんでしょ。僕には恋人を作る時間が無い。恋人になっても楽しむ時間が短くて直ぐに別れの時が来ちゃうから・・・。」
「・・・もう一口貰えるかな。俺のも分けて上げるから。」
俺はレモンミルクのかき氷をすくって凛子の顔に近づけながら語りかけた。驚きながら顔を上げた凛子は目の前にある俺のスプーンに乗ったレモンミルクのかき氷をパクッと口にする。
「どう? キスは甘いレモンの味がするって言うけど。」
「ん~~、甘いのはミルクの味だね。ふふふふ。」
良かった。凛子が笑ってくれた。俺にしては中々いい切り返しだったと思う。
それからはお互いに交換し合って食べた。少し恥ずかしがりながらも笑顔で居られた。凛子が何回も連続で俺にスプーンを向けて来る。何も言わずに口を開けて連続で食べた。突然頭がキーーンとして顔を歪ませ手のひらの付け根をこめかみに押し当てた時、凛子が大声で笑った。
「あはははは。」
「凛子。お前、これを狙っていたんだろう。」
「ふふふふ、僕の初キッスを奪った罰だよ。」
「お前が自分からスプーンを俺に銜えさせたんじゃないか。」
こめかみがキーーンとして上手く話せない。
「あらー、そうだったかしら。僕には無理やり奪われた記憶しか無いなーーー。」
「お前本当に鬼だな。」
すると凛子はまた水着を指差して、
「僕は青鬼だからね。あはははは。」
やっぱり笑った。
子供の頃は不思議だ、海に何時間でもプカプカと浮いていられた。高校生の俺達はかき氷を食べた後、もう一度海に駆け込むと既に海を満喫した気分になり、今度は買い物へと出掛ける。凛子は例の青いワンピースの様な水着だ。海岸に近いこの場所では誰もが水着のままで出歩いてはいるが、やっぱりセパレートの水着のままだと恥ずかしいのでこのデザインを選んだらしい。凛子の頭の中に入っているガイドブックおすすめの店を回る。ガイドブックは凄い。掲載されている店には必ず同じ位の年代の子達が集まり、写真にあるアクセサリーを手にしていた。凛子もブレスレットを手にして聞いて来る。
「ねえ、紳士君。これ似合う?」
「うん、似合っているよ。可愛いね。」
凛子が手にしていた物は細い金色のチェーンに1石だけ小さな天然石が付いた物で、その石は橙色がやや赤色に近い色をしていた。
「これってね、【カーネリアン】て言う天然石なんだって。効果はー『目標達成』だって、僕達にピッタリでしょ。」
この店のアクセサリーはパワーストーンと呼ばれる天然石を使った物で、それぞれの意味と効果が小さなカードに可愛い手書きの文字で書かれていた。俺がその【カーネリアン】のカードで目を引いたのは、
『古くから護符として、戦士が戦場におもむく際には【勇気と勝利】のお守りとして身に着けていた。』
という言葉だった。きっと凛子は日本を離れ、遠い異国での長い人生を既に見定めているんだろうと思うと、なんだか無性に愛おしくなると同時に彼女の本当の気持ちが知りたくなった。でもそれは、俺達の関係では聞いてはいけない事なんだと、聞いてしまったらこの関係は解消され彼女の望む日本での楽しい思い出を積み上げる事が出来なくなるんだと思うと、笑顔を作って彼女に言った。
「これで目標は達成出来たも同然だね。」
俺の言葉は何処か空しく凛子からの返しの言葉は無かった。
何を言っているんだ俺は。本当に何を言ってるんだ。
凛子は俺の言った事が聞こえなかったのかそれからも楽しそうにお店を回っている。俺もそんな彼女が楽しんでいるのを見て、言った事を忘れる事にした。
何軒か回った店で俺はハンカチと出会った。それは白い生地に藍染を段々に行った『段染め』という手法で行われたもので、白色から白藍、浅藍、中藍そして極めて暗い藍色の濃藍へと変わって行くものであった。それはまるで白い砂浜から波打ち際の浅い青を過ぎて沖に行くほどに深くなる深海を思わせる色の繋がりである。一目惚れだ。探していた、常に持ち歩くもう一枚のハンカチだ。手に取りじっと見ていると、
「ねえ、そこの紳士君。そのハンカチが気に入ったの?」
と聞いて来た。
「うん。俺はこれを自分の為に買おうと思う。」
「ふ~ん、男の子って海に来てハンカチ買うの?」
「さあ知らない。でも俺は気に入ったんだ。これ、海を切り取ったみたいでしょ。これを見たら今日の楽しかった事を思い出すと思うんだ。」
「ふ~ん、その思い出に僕との間接キッスも有るの?」
「あるよ。そしてその余韻に浸っているとその次に地獄の様に頭がキーーンとなった事も思い出すんだ。この鬼。」
「へへへー。」
その日から俺は凛子と会うときにはいつでも普通に使うものとは別にこの【海を切り取ったハンカチ】を持ち歩くようにした。
海を満喫した。
帰りの特急列車も指定席を取っていたのでゆったりと座って帰る。
帰りは俺の選曲の番だ。来た時と同じ様にコード式のイヤフォンを片耳ずつに挿して列車の出発に合わせてスタートさせる。
「ほう、紳士君はこれを最初の曲にしたの。」
静かだけれどもアップテンポの曲が流れる。凛子と触れ合っている腕は1日中太陽に照らされていたせいか少し火照った感じが伝わって来る。来るときよりも俺に寄り掛かる凛子の重さを心地よく感じていた。でも、やっぱり腕から伸びる先にある手はその置き場を探して、居心地の良くない所で佇んでいる。
特に会話もする事が無く、2曲目に入った。
「どう? 2曲目悩んだんだ。」
凛子からの返事が無い。そっと見ると凛子は俺に凭れながら眠っていた。頭を俺の肩の方に倒し、唇はほんの少しだけ開いている。横から見る凛子の長いまつ毛が柔らかい曲線を描いて外側に広がっていた。曲のボリュームを少し落とすとイヤフォンをしていない凛子に近い耳には彼女の静かな寝息がゆっくりとした音楽として入って来て、俺に幸せな気分を味わわせてくれる。
会話をする相手も無く、音楽を聴きながら彼女の手首に光る金色の細いチェーンのブレスレットを見ていた俺も知らない内に眠りに落ちてしまっていた。
起きたのはもう直ぐ終点の時。夏と言へども夏至を過ぎ、8月も19時近くになると夕闇も早くなっていて列車の窓の外は建物の明かりがくっきりと見えていた。凛子の肩をそっと叩いて起こす。
「う~~ん。」
腕を下ろしたまま伸びをしてゆっくりと目を覚ました。
「あれっ? もう着くの?」
「うん。もう直ぐ終点。」
「は~~い。あっ、ごめん、眠っちゃた。」
「いいよ、日光に当たっていたから疲れたんだよ。」
「違うよ。紳士君が頑張った帰りの曲聞いていないよね。」
「いや、ずっと流していたから聞いている筈だよ。覚えてないかもしれないけれど。」
「あ~ん、何て酷いんだ、僕って酷いね。君が頑張っていたのを知っているのに。」
「大丈夫だよ。俺も寝ていたから。」
「本当?」
「本当。さっき起きたところ。」
「じゃあさ、僕が紅茶入れるから、僕の家でもう一回音楽聞かせて。」
「え? いいよ。凛子も今日は疲れているだろう。」
「大丈夫だから。音楽聞きながら楽しかった事思い出してお話ししようよ。」
結局俺達は一緒に凛子の家に向かった。
凛子の家に着く。
「ただいまー。」
凛子が誰も居ない家の中に向かって言葉を放つ。当然返る言葉は無い。最初に来た時には家に入っても凛子は何も言わなかったが、この頃は誰も居ないのが分かっているのに『ただいま』のあいさつをしてから玄関を上がる。俺は相変わらず、
「お邪魔しまーす。」
だ。
いつものソファーに座って凛子を待つ。紅茶を持ちテーブルに置くと俺の横に座る。いつからだろうか俺達は並んで座る様になっていた。隣に座るとバッグから白いコード式のイヤフォンを出した。
「部屋の中だからイヤフォンは要らないんじゃない?」
「いいの。帰りの電車の中を再現したいの。」
「紅茶が飲みづらいだろ。」
「いいの。ここは電車の中! 海からの帰り! じゃないと目標が達成できないの!」
「はいはい。」
仕方なく凛子に言われるがままにする。ソファーは電車よりもゆったりとして座り心地が良く、凛子は最初から体を斜めにし、俺の肩に頭を乗せて曲を聞き出した。
気が付くと、やっぱり2曲目で凛子は眠っていた。
海に行くと必ず中華を食べてしまいます。
ラーメン、炒飯。
たまーに、近くの中華屋さんが海の家で作っていたりして、『当り』です。