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アイスティーは零れて  作者: 良夜 未黒
5/17

5 さあ、海に行こう1

 凛子の条件は『電車で行ける海』だ。

 そして、『日帰り』である。


 この革命には複数の目標が設定されている様だ。


 入念に話し合い、買い揃える物をリストアップし、行動を確認した。決行は1週間後である。

 最後に俺が提案した。

「音楽担当を決めよう。」

「音楽?」

「そう、音楽。楽しい思い出にはそれを彩る音楽が必要だ。その音楽を聴くと映像が浮かんでくるんだ。」

「そうかー。ドラマや映画も音楽と繋がっているものね。それでどうするの?」

「行きと帰りで音楽担当を決めて、選曲する。それを聞きながら電車に乗るんだ。」

「おぅ、行進にも楽隊が有るからね。」

「何で決めようか。」

「じゃんけん? コイントス?」

「ん~、何かつまらないな。」

 その時、アイスティーに残った氷が溶けて崩れる乾いた音がした。

  カラっ

 その音を頼りに振り返ると、冷たい汗をかいた透明なプラスチックカップに視線が止まる。

「よしっ。これで決めよう。」

「何々?」

「アイスティーの早飲み競争。」

「えー、僕が圧倒的に不利じゃん。」

「1杯を2つに分ける。体重比率でね。」

「げっ、僕の体重が知りたいだけじゃないの?」

「凛子のは聞かないよ。俺のを教えるから凛子が計算して分けてよ。」

「うん分かった。でも何で体重比率なの?」

「スポーツだって体重別でしょ。身長じゃおかしいし。」

「そうかー。そうだね。じゃあ早速買いに行こう。」

 有名なコーヒーチェーンでアイスティーを買って公園のベンチに戻る。

 俺は体重を凛子に教えて彼女が比率を計算して2つのカップに分けた。

「へー、紳士君って以外と細いんだね。」

「特に運動もしていないから、筋肉が少ないんだ。」

 分けたアイスティーを受け取る。

「ええ? 凛子、これ本当に計算合ってるの?」

「合ってる!」

「こんなに君って軽いの?」

「ちょっと、失礼ね。軽いのよ! 今度、海に行って水着になったら見られるでしょ。」

「ああ、良く見る。」

「えっ? いやらしい視点で見ないでね。」

「いや、医学的な視点で見るよ。こんなに軽くても健康なのかってね。」

「じゃあ、紳士君がカウントダウンして。」

「分かった。 3・2・1・・あっ、ズルいぞ!」

 ゴーという前に凛子が吸い出した。俺も急いで吸う。


 ズズ ズズズズズーー


「やったー! 僕の勝ちー!」

 少し遅れて、ズズズズー。

「凛子、ズルい。 ゴホゴホっ。」

「へへへー。でも、僕の勝ちッ。」

「ゴホっ、しょうがないなー。で、どっちにする?」

「行きの音楽。」

「じゃあ俺は帰りか。」

 公園を後にして家へと帰る。歩きながらも1週間後の海に向けての話題は尽きない。

「ん~~ん、難しいぞ、帰りの音楽。夏の海で楽しんだ余韻を残しながらもクールダウンしなきゃいけない。かと言って静か過ぎる音楽じゃ物足りない。夏休み最大の課題だな。」

「ふふふ、楽しみだなー、海。」

「ねぇ、担当、交換しない?」

「しな~い。」

「ケチ。」

「だって、私が勝ったんだもん。」

「?」

 あれっ。今、凛子が【私】って言ったような。【僕】ではなく私って。聞き違いかな。



 朝の紅茶を飲みながら今日の計画を確認する。決行日の天候は良さそうだ。

「やっぱりガイドブック買うの?」

「そうよ。ガイドブックっていいよねー。同じ所でも出版元によって違うし、それを本屋さんで選んでいる時もワクワクするんだよねー。決めた本を買う。自分の物になって、それを手にして一歩外に出ただけでもう旅行が始まったって感じがするんだ。スマホとかで見るのも悪くないけれど、あの大きさが良いな。ページを開くっていう動作もね。ガイドブックには夢が詰まっているんだよ。」

「うん、悪くない。」

「その後は水着を買いに行くの。」

「去年のは?」

「去年は行っていないから持っていないの。それに、今年は紳士君っていう男性の見立てが出来るからね。」

「ふ~ん、って、俺も女性の水着売り場に行くの?」

「そうよ、だって一緒に来ないと見立てが出来ないじゃない。」

「やだよー、俺、高校生だよ。」

「だめー、一緒に来てくれないと。一緒に選んで決めるの! じゃないと、泣くよ。」

「脅迫? ずるいなー、内の家訓、教えなきゃ良かったよ。」

「へへへへー。じゃあ、決まりね。」


 夏休みの朝食はゆっくりだ。

 ほんのり温めたクロワッサンに横から切れ目を入れて、その間にレタスとハムを挟んでマヨネーズを少々。後は冷たい牛乳と皮をむいて輪切りにカットしたみず々しい緑色のキウイフルーツ。新たに紅茶を注げばちょっと気分のいい朝食となる。

 凛子はご機嫌だ。俺も家訓を守れている。

「ねえ、音楽の課題は?」

「帰りの音楽の事? 難しいんだなー、電車で1時間ちょっとは掛かるだろう、そうすると20曲ぐらいを選ばないといけない。同じ様なのだけじゃあつまらないし。凛子の方は?」

「もう大体終わってる。」

「早っ。」

「簡単よ。ガンガン行くだけだから。楽しい曲ばかりを集めているわ。」

「やっぱり良かっただろう、音楽を共にするって決めて。」

「うん。あっそうだ、コード式のイヤフォン買わなきゃ。」

「コード式じゃなきゃダメなの?」

「そうよ、だって歌にもあるじゃない『♪片~耳ずつのイ~ヤホン~♪』って。いいよねー、繋がっているって感じがするの。」

「ふ~ん、音質は無視か。」

「心で聞くのよ。」

「にしても、凛子って意外と歌上手いな。」

「意外とって何よ。僕の目標に2人でカラオケってのは入っていないよ。もし、どうしてもって言うなら加えるけど。」

「いや、結構です。俺、そんなに歌上手くないし。」

「ふふ~ん、目標にしちゃおうかな~。」

「止めてくれ。俺を泣かせたいのか?」

「それは困る。僕も釣られて泣いちゃうかも。」

「よ~し、出掛けるとしようか。」

「うん、行こ行こー。」



 目的の海水浴場は決まっていたので、本屋さんでも比較するガイドブックが直ぐに揃った。俺達2人はそれぞれ別のガイドブックを手にして中身を吟味する。

「これは駅から海水浴場までのお店の情報が多いな。」

「このかき氷食べた~い。」

「こっちのは海の家の設備情報が詳しいんだな。」

「あっ、このアクセサリー買って来ようかなー。」

「これは写真はいいけれど、あまり内容が詳しくないなー。」

「このソフトクリーム美味しそー。」

「ねえ、凛子さん? いったい君は何の情報を集めているんですか?」

「へへ、色々です。」

「海水浴に行くんですよ。食べ歩きじゃなくって。先ずは海水浴に関する情報を集めませんか?」

「ごめんなさい。しっかり見ます。」

「よろしい。俺は今お嬢様の執事として監視しますので。」

「ひえ~~っ、キビシ~~。」

「ふふふ、君が望む多重人格の登場だ。」

 俺達はいつの間にか体を寄せ合って、本屋さんの静かな世界を壊さない様に耳元に口を近づけひそひそ声で話していた。

「それでね・・・。」

「本当だ・・・。」

「うふふふふ。」

「へえ~・・・。」

「くくくっ、そうなんだ・・・。」

 やっとの事で2冊に絞り込んで、最終決定を下す。

「僕はこっちのがいいと思うんだけれど、紳士君はどっち?」

「ん~~ん、凛子が持っているのはお店の情報が多いし、こっちのは海の家の情報が詳しい。どうしようかな。」

「さぁ、どっち?」

「ん~~ん、良しっ! 凛子が持っているガイドブックにしよう。こっちのはこの場で海の家の情報を丸暗記しちゃおう。気に入った海の家を決めてそれを覚えよう。」

「え~~、それってホニャララ万引きってのにならない?」

「凛子と俺の頭脳が有れば平気さ。写真を撮ったりしたらいけないけれど、暗記はグレーだ。」

「え~、紳士としての君の振舞いは?」

「分かった。クールな笑顔で暗記するよ。」

「あはははは。」

 静かな店内に凛子の笑い声が響き渡った。ガイドブックを持ち上げ顔を隠すように近づけた恰好で急いで暗記し、決めていたガイドブックを買って走る様に本屋さんを出る。

「もう、紳士君が笑わせるから恥ずかしかったじゃない。」

「でも、内の家訓は存分に果たす事が出来たよ。素晴らしい。親父に聞かせてやりたかったな~、店内に響き渡った凛子の笑い声。」

「もうぅぅぅ。」

 凛子は俺に叩くような仕草で向かって来た。顔は満面の笑みで有る。

「凛子、切符切符。切符買いに行くぞ。」

 逃げる様に駆け出す。

「あっ、ちょっと待てー。逃げるなー。一回くらい叩かせろー。」

 俺の後を凛子が笑いながら追って来た。



 今俺はカバンを引っ張られ連行されていく。足取りは重い。数時間前に白旗を上げたのだ。


「今日は絶対に水着を買いに行くからね! 今日買わないと間に合わないから!」

 朝から凛子は俺を追い詰める。

「水着を一緒に買う事も目標の1つなの。分かってる?」

「修正、訂正、削除は?」

「そんなのありません! 一緒に買いに行く。決定事項なの!」


 そして多くの女性と僅かなカップルの中に男子高校生の俺は立っている。

 大人の女性はそうでもないが、同じくらいの女の子達にはあからさまに敵対か或いは汚いものを見る様な目付きを向けられる。

 凛子はご機嫌だ。

「ねえ、紳士君はどれを僕に着せたい?」

「先ずは凛子が着たい物を選んだら?」

「それじゃあ紳士君と来た意味が無いじゃん。」

 周りの視線が気になる俺は凛子の言葉に曖昧な返事ばかりを繰り返していた。すると突然、凛子は俺の頬を両手で包み自分の顔の正面に向ける。

「君は僕の紳士君なんだ。僕だけの紳士君なんだよ。だから他には目を向けない事。いい、高い所にある吊り橋も周りや下を覗けば怖いけれど、視界を狭くして自分の渡る所だけを見ていれば怖くないでしょ。だから、ここでは僕だけを見ていて。僕から視線を外さないで。」

 そうだ、俺は凛子に楽しい思い出を残すって決めたんじゃないか。凛子の事だけを見て、凛子の事だけを考えよう。でも、吊り橋のたとえは良く解らないな。

「分かった。凛子の言う通りだね。でも、この状態、かえって周りの注目を集めているよ。」

 はっとした凛子は慌てて手を引っ込めると少し俯いた。顔は赤くなっている。今度は俺が凛子の頬を両手で包んで俯いた顔を上げさせた。

「笑顔、笑顔。」

 にっこりと微笑む凛子は可愛い。

 女子高生が選びそうな可愛い水着の所にはやはり同年代の女子達が集まってはいたが、催事場が広い所為か他人とぶつからずに選ぶことが出来た。メーカー毎に陳列場所が分かれているものの、今年のトレンドとなると大体どのデザインも同じ様なのである。と、思う男性の俺は、やはり凛子にため息を吐かれた。

「やっぱり男の人ってビミョーなデザインの可愛さが分からないのよねー。だから内の学校の制服の可愛さにも気付かないのよ。」

「はぁ、そんなものなのですか。」

「そう。 あっ、これ可愛いー。」

「凛子、それってハイレグだよ。」

「えっ? ダメダメダメ、ハイレグはダメ。」

 やっぱり俺には微妙な感性が備わっていない。『これはどう?』と差し出す水着には、『やだー、そんな子供っぽい物。』とか、『ちょっと地味ね。』とかの評価が下される。それでも自分なりに真剣に凛子に似合う物を探している。

「ねえ、僕が着ている姿を想像してみて。」

と言われたので、凛子の前に水着をかざし、少し目を細めると、

「もしかして、透視で僕の裸を想像していない?」

等と言って来る。

「してないし、出来る能力も無い。有ったらどんなに良かったは以前に考えた事は有る。」

「えー、いやらしいー。」

「だから前にも言っただろう、高2の男子には時として不健全な精神が宿るって。」

「TPOってのは無いの? ここで不健全な精神を宿したらまずいでしょ。こんなに多くの女性がいる中で。」

「不健全な精神てのは突然宿るんだよ。神のお告げと一緒で、だから俺は日々鍛錬を重ねているんだ。その積み重ねた鍛錬を君がちょくちょく壊すんだ。だから一向に積み上がらない。」

「ふふふ、僕の魅力に君の精神が負けているって事ね。」

「そう え あ、自分で言うかねー。」

 何とか誤魔化した? そう、何とか誤魔化した。素直に答えてしまいそうになっていた。『そうなんだ。』と。


 何とか3着選ぶと凛子は俺に催事場から出て行くように指示をした。

「じゃあ最後は僕が決めるから。何に決めたのかは海でのお楽しみ。」

 そう言うと、手に持った3着を比べながら多くの女性達が声と香りで作り出す男子禁制の鮮やかな結界の中へと消えて行った。


 手提げ袋を持って結界の中から笑顔で現れる凛子。

 結界から出たのだろうか、催事場の入り口を出ると俺の所へと小走りでやって来た。

「お待たせ。」

「何か飲もうか。」

「いいね。細かい作戦も練らないと。」

 凛子は常にガイドブックを持ち歩いている。彼女は俺に手提げ袋を渡すと、早速ガイドブックを手にして歩いていた。自然なやり取りである。

 俺は最初のスーパーでの買い物以来、荷物は必ず持つようになっている。俺の父親がそうであるからだ。母親と買い物に行った時は必ず父親が荷物を持つ。何も言わなくてもだ。だから俺も何も言わなくても凛子の荷物を持つようになっていた。初め凛子は、

「いいよー、僕のお願いなんだから、僕が持つ。」

と言っていたが、今では俺が手を差し出すと彼女もスッと荷物を渡す関係になっている。これも凛子はその観察で解っていた事なのかもしれない。でも、荷物を渡すときには必ず、

「ありがと。」

と言う一言が有る。それだけでいい。気持ち良く荷物が持てる。誤解が有るといけないので言って置くが、荷物を受け取った時に『ありがと』を言われるのである。『ありがと』と言われてから荷物を持つのではない。俺はパブロフの犬なんかではないのだ。自然と、あくまで自然と荷物を持つ。凛子に出会う前から母親や妹と買い物に行った時には必ず俺が荷物を持っていた。そうしていた。やっぱり凛子の観察眼は鋭いのかも。



 全ての物が揃った。

 作戦決行は2日後の水曜日。天候は灼熱らしい。


 それぞれの家から出て、駅で待ち合わせる。

 お出かけの服装を初めてその場で見るのも楽しさを膨らませるイベントだ。

 当然の如く早起きの俺は女性よりも先に待ち合わせ場所に行き待っている。心配は朝に弱い凛子の方だ。電車の切符は指定席。遅刻は許されない。海での楽しい時間を長く過ごせる様に朝一番の特急列車の切符を買ってある。

 まだ早い時間だというのに天気予報の嫌な予言は当り、気温の上昇と共に空気が揺らぐような感じさえ覚える。そんなもやッとした陽炎の歪んだ景色を吹き飛ばすかのように、薄い黄色のワンピース姿の凛子が現れた。つばの広い麦わら帽子を被って近づいて来るその姿に俺は視線を奪われていた。ゆったりと、まるで何処かのリゾートにでも居る様な優雅な歩き方である。

 俺の所に来ると、クルッと1回転して、

「どう?」

とやや上目遣いで聞いて来る。

「あ・・ああ、可愛いよ。」

 何とか言葉を絞り出せた。危なかった、本当は心までをも奪われていた。

「やったー!」

 笑顔の凛子はもっと可愛い。

 後から聞いた話なのだが、ゆったりと歩いていたのは暑すぎて走れなかっただけの様だ。本当は走りたかったらしい。でも、歩いて来て正解だ。



 席に着き、電車の出発と共に音楽をスタートさせる。

 白いコード式のイヤフォンを片耳ずつに差して、車内でクールダウンした身体を寄せ合った。ノースリーブの凛子の腕が俺の腕と密着する。


 ワクワクする。海を目指す革命の始まりだ。

ガイドブックが好きです。書店で眺めるだけでもワクワクします。

もう、何冊位買ったのだろう。写真の綺麗さ、文字情報との比較。

何と言っても見やすさですね。 スマホや電子書籍には無い手軽さがいいですね。


行った先のチケットやパンフも挟んで保存してあります。

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