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アイスティーは零れて  作者: 良夜 未黒
3/17

3 紅茶の香る朝

 凛子の自宅が有るタワーマンションへと向かう。

 フロントに24時間コンシェルジュが待機する高級マンションの12階にある3LDKが彼女の家だ。綺麗な玄関ドアを開けると広い大理石調の玄関が有り、その先に広々としたリビングが見える。

「どうぞ入って。」

「お邪魔しまーす。」

 少しおどおどして玄関を上がる。

「誰も居ないからゆっくりして。」

「両親は?」

「母親だけ、離婚したんだ。それにずっと海外で仕事しているからここには僕1人。」

「寂しくないの?」

「寂しく無いって言ったら嘘になるけど、自由で楽だよ。僕は1人でも羽目を外す事は無いからね。信用されているんだ。」

「俺と一緒に住むって、それ、羽目を外しているじゃない。」

「大丈夫。もうお母さんには言ってある。同級生の男の子と住むって事も、君の事も、全部伝えてOK貰っている。」

「寛大なのか放任主義なのか微妙な所だな。結婚前の娘が餌食になるかも知れないのに。」

「それも大丈夫。」

「どうして?」

「さっきも言ったように君は紳士君だから。」

「どこまで自分の観察眼に自信が有るんだろうね。」

「それより君の方は大丈夫なの?」

「ああ、きっと大丈夫。君の言う所の紳士君は日頃の行いも良いので両親からは信頼を得ているし、凛子の事を話したらきっと全力で応援してくれる筈だ。」

「へー、代々の紳士君なんだ。」

「そうじゃない。俺の親父の口癖なんだ『女の子は泣かせちゃいけない』っていうのが、小さい頃から何度も聞かされているし、両親のやり取りを見ているから俺にもその考えが染みついちゃっている様なんだ。」

「やっぱり由緒正しき紳士君なんだ。」

 凛子はそう言うと自分の部屋に入って着替えてやって来た。

「それでいつからここに住めるの?」

「明日からでもいいよ。ただし、週の内3日は自分の家に帰るから。」

「いいよ。でもどうして3日なの? もっとここに居ても平気だよ。」

「洗濯物を持って帰るんだ。」

「一緒に洗えばいいのに。一緒に暮らすってそう言う事でしょ。」

「だめ。その一線は越えられない。それに衣類だけじゃないんだ洗濯物って、高2男子の心の洗濯もある。女の子と離れて過ごす時間が必要なんだよ。」

「へー、でも家のシャワーじゃ煩悩ぼんのうは落とせないよ。」

「くっ、言うなー。実はこれを機に写経を始めようと思っているんだ。心を落ち着かせるために静かな自分の部屋でね。」

「あはははは、分かった分かった。自分の時間は必要だからね。じゃあ、よろしく。」

 凛子は手を伸ばして俺に握手を求めて来た。しっかりと握手する。大きな窓の向こうには都会のビル群が広がり、さながら大企業同士の重要案件の締結を思わせる景色である。


 翌日、街は土曜日という事もあり、俺は3日分の着替えが入った大きな荷物を抱えて人混みの中を進んでいた。

「おーい、紳士くーん。」

 遠くから手を振って凛子が駆けてくる。

「はぁはぁ、待ちきれなくって来ちゃった。」

「どうでもいいけれど、こんな街中で大きな声を出して俺の事を紳士君などと叫ばないでくれよ。」

 凛子は『はっ』っとした顔で大きく広げた口を両手で塞いで周囲を見回している。こんなマンガみたいな事が本当に有るんだと逆に感心してしまう。俺達は歩きながら今日の予定を話し合った。

「早速、今日のご予定はいかがいたしましょうか、お嬢様。」

「うん、今日は一緒に買い物に行って、夕飯を作って食べるのです。」

「それだけ?」

「それだけ。」

「それが目的なの?」

「そう、それが目的なの。一緒にお買い物をして、お料理をして、一緒に食べる。それがしたいの。それで1つの目標が終わる。」

「ふ~ん、その目標って幾つあるの?」

「それは秘密。」

「どうして?」

「真面目な紳士君。貴方は夏休みの宿題っていつやってる?」

「子供の頃から絵日記以外は前半にさっさと。」

「だと思ったんだ。」

「それが?」

「もしも僕がやりたい事の数を教えたら、さっさと終わらせて仕舞おうとするでしょ。それじゃあつまらない。やりたい事もその順番も秘密にして最後まで全力を出してもらわないと。」

「はいはい、馬車馬の様に最後まで全速で走り回ります。まぁ賢い凛子の事だから期限までには丁度終わる様に配分するだろうし。任せるよ。でもそれじゃあ紳士の振舞は出来ない、まるで執事か従者だな。君は一体どちらを俺に求めているんだ。」

「両方かもね。女の子は時に王子様を求め、時に可哀そうな子犬を抱きたいものなのよ。つまりは気分ね。」

「それじゃあ世の男性はみんな多重人格になってしまうな。」

「日本が平和だからよ。」

「良く解らないな。」

「いいの、いつか分かるから。」


 凛子の家に荷物を置き、2人で買い物に出かける。

 少し前を歩く彼女は上機嫌なのだろうか。いつも学校の廊下で見るより髪の揺れが大きい様に感じる。きっと少しばかりスキップを踏む感じで歩いているのかもしれない。その髪の揺れを眺めていると突然振り向いた。

「ねぇ、何作ろうか。」

「そこは決めて無いの?」

「うん、僕は2人で作れれば何でもいいんだ。」

「じゃあ、凛子は何を食べたいの?」

「えっ? 紳士君は何でも作れるの?」

「そんな事は無い。でも大抵の物は市販のレトルト調味料が作ってくれる。」

「じゃあ、ねー、パスタ! パスタがいい! トマトソースを使ったやつ。」

「ナポリタン?」

「僕はそんなお子様ではないです。ナポリタンではないトマトソースで。」

「分かった。」

「へー、それで出来るの?」

「ああ、俺の家は共働きだからたまに妹の夕食を作って上げるんだ。じゃあ、後はそれに合いそうな2品位でいい?」

「すごーい、凄いよ。今夜は豪勢だね。」

「普通だよ。」

「いいや、豪勢だし、楽しいよ。うん、うん、やっぱり君を選んだ僕は凄い。」

 買い物は大変だった。見る物全てが欲しくなる凛子の手から商品を棚に戻しながらスーパーの中を回る。ベビーリーフの袋を見ては『可哀そうだね君達、大人に成れなくて』と涙ぐみ、それは『間引き』といって他のを大きくするために必要なんだとかを説明したり。鮮魚売り場では生きたままの貝が水に浸かったパックに『いつまで息が出来るのかな?』等とどうでもいい事を話して来る。

「そんなに買い物が楽しいの?」

「楽しい。うん、これは想像していた以上だ。」

「買い物したこと無いの?」

「うん。母は忙しいから大抵はマンション1階のレストランか出来た物を買って帰って食べてた。高校に入ってからはいつも僕1人だったからね。」

「そうか。」

 そう言って俺は真鯛のさくが入ったパックを取り凛子に渡した。

「凛子、あのおじさんにこれを頼んで。」

「やったー、ついに僕の出番だ。」

 凛子はスキップしそうな位に跳ねていき、

「お願いしまーす。」

「はいよ、嬢ちゃん。これをどうする?」

「カルパッチョにするから薄くスライスしてっ。」

「はいよ。これ番号ね、出来たら呼ぶから。」

「はーい、お願いしまーす。」

再び跳ねる様に戻って来て瞳を輝かせる。

「凄いね。紳士君に言われた通りに言ったら通じたよ。初めて知った、楽しいね。」

「君が知らなさすぎでしょ。」

「そんな事無いよ。それよりも高2男子が知っている方が不思議だよ。」

 そんな学校では見せない凛子の反応は新鮮だ。俺も知らない内に笑顔になっていた。


 使っていなさそうな広いキッチンで夕食の準備をする。

 元々計画していたのか2人用にエプロンが買ってあった。胸の所にワンポイントのイラストの入った可愛いものである。

「エプロンなんてして作る程手の込んだ料理じゃないよ。」

「いいの。気分を盛り上げていきましょうよ。」

「何で俺のは『狼』なの? 始めて見たよ、狼のイラストの入ったエプロンなんて。」

「僕のはウサギ。可愛いでしょ。」

「まあね。」

 買い物の楽しさもあって俺も気分的には盛り上がっていた。

「そう言えばさ、このエプロンをネットで探していたら『はだかエプロン』何てのが出て来たんだよ。」

 俺は吹いた。

「凄いね、新婚さんはやらなきゃいけないって書いてあったよ。」

「俺達は新婚じゃないだろ。」

「ふ~ん、そんな紳士君も興味ある? 僕達2人で作る最後の料理の時には僕が『はだかエプロン』を見せて上げようか?」

「お前、からかうなよな~!」

「キャ~~!」

 俺達はリビングを1周してキッチンへと戻った。彼女の瞳は生きいきとしている。

「さっさと作るぞ。」

「は~い。」

「凛子は皿に鯛を並べて。綺麗な輪になる様に敷き詰めて。」

「フグの様に?」

「あれは菊盛りって言うの、普通に平らにね。」

「ほ~ぅ? 違うんだ。僕って知らない事が多いんだね。」

「日頃からやっているかいないかの違いだけさ。1度やれば誰でも出来るし覚えるよ。特に凛子は成績優秀だからさ。」

「勉強だけじゃね、生きて行く上で何の役にも立たないよ。」

「凛子ってさ、特に授業中もノートとかって取っていないよね。」

「嫌味の様だけれど、僕は優秀なんだ。」

「だったら何で内の高校に来たの? もっとレベルの高い進学校が有るのに。」

「言った様に僕は来年3月には日本を出る。大学へは行かない。だから進学校かどうかなんてどうでもいいんだよ。」

「ふ~ん、だったら何で?」

「ズバリ、制服が可愛かったから。」

「そんな理由?」

「そうだよ。重要な事だよ、女子にとってはね。」

「ああ、鯛を並べ終わったらラップして冷蔵庫で冷して。」

「了解。」

 そんな他愛もない会話をしながらでも夕食はサッと出来た。まあ、茹でたパスタにアラビアータのレトルトを絡めるぐらいと鯛を並べた上にベビーリーフを盛り付けてドレッシングを掛けるぐらいで出来るものを選んできたから当然なのだが。


 テーブルに料理を並べて向かい合って座る。凛子は終始感動しっぱなしである。

「いっただっきま~す。」

「いただきます。」

「ん~~、美味しい、鯛のカルパッチョ美味しいよ。さすが僕だね、鯛の切り方の指示と並べ方が絶妙だ。」

「はいはい。」

「その言い方は紳士君らしくないね。もっと女性が喜ぶ言い方をしないと。」

「ん~~ん、本当にそうですね。凄いですお嬢様。」

 俺が大げさに言うと、突然凛子は俯いて肩を震えさせた。

「ご ゴメン。そんなつもりで言ったんじゃ・・・。」

 慌てて謝ると、凛子は顔を伏せたままで横に振って話し出した。

「違うの。楽しすぎて、嬉しくて、  誰かと一緒に話をしながら作って食べるってこんなにも楽しいのかなって思ったら急に涙が出て来て・・・。」

「君が楽しければそれでいい。でも困るんだなー、君が泣いたら。俺は父さんに叱られる。家訓は絶対だ。女の子を泣かすなってね。」

「くくくっ。やっぱり君は紳士君だね。」

 涙目のまま顔を上げ、素敵な笑顔を向けた。

「食べよう。温かいものは温かいうちの方が絶対に美味しい。たとえ2人であってもね。」

「うん。」


 夕食の片付けも2人並んで行う。俺がやるからいいって言ったのだけれど、どうしても一緒に洗い物がしたいという凛子の思いで並んでいる。立派な食洗器が備わってはいたが専用の洗剤が無かったので今夜は乾燥機として使った。これにも凛子は驚いて、普通の洗剤を入れようとしていたので慌てて止めた。泡だらけになって食洗器が使い物にならなくなるって言ったら、量を少なくすれば等と言って来たので泡切れの問題だと言ったら納得し、やっぱり会話って楽しいね等と笑っている。良く今まで壊れなかったものだと思いながら明日は洗剤を買いに行く事で隣にいる凛子は盛り上がっていた。


 凛子にとっての楽しいイベント続きの1日は過ぎ、俺は帰って来ない彼女の母親の部屋で眠りに就いた。



 翌朝。いつもの様に5時に目を覚まし、リビングに行く。

 見慣れないリビングと窓から見える景色。高級ホテルではない凛子の自宅。夏の日差しは既に強く。冷めやらない都会の外気温と共にこのリビングの大きな窓がその明るさを存分に取入れ、部屋の温度を上げていた。


 凛子はまだ起きて来ない。まあ、部活もしていないのに朝5時に目を覚ます高校生の方が圧倒的に珍しいに決まっている。


 勝手に朝の紅茶を入れる。物の在りかは昨夜の内に聞いていたので探し回る事も無く、ゆったりとした日曜日の朝の時間と連動して動いている。湯を沸かす時間、茶葉を蒸らす時間、香りが部屋中に広がって行く時間全てがゆったりと感じられる。それはこのキッチンから続くリビングの広さがそうしているのではないかと思えて来た。

 じっくりと時間を掛けて紅茶を入れ、リビングのソファーで都会を望みながら飲む。

 きっとこんな景色も凛子にとっては空しく、無機質な都会のビルは一層の孤独感を与えていたに違いない。俺と同じ高校2年。もし俺だったら耐えきれたのだろうか、そして彼女に残された自由な時間。昨日の彼女のはしゃぎ方も理解できる。自分は受け止められるのだろうか、彼女が望む思い出を作ってやれるのだろうかと不安になった。そんなまとまりの無い事をあれやこれやと思っていると、凛子の部屋から音が聞こえた。起きたのかな。

「う~~~ん。」

 伸びをする声と共に凛子の部屋のドアが開いて彼女が出て来る。

「ふぁ~~~ぁ。」

 間の抜けた声と伸びをしながら、彼女はパジャマの上とピンクのパンティーだけの恰好で出て来た。

「あ~~、紅茶の良い香り~。」

「おい、凛子、その恰好。」

「えっ? いつもこれだよ。」

「そうかもしれないけれど、俺っていう他人がいるじゃん。」

「見えないからいいでしょ。水着だと思えば。」

「いいから何かはいて来いよ。」

「え~~、朝はこれが気持ちいいんだよ。」

「そうか、寝ぼけているお嬢様は目覚めの紅茶が飲みたくないって言うんだな。」

「えっ? 直ぐに穿いて来ます。着て来ますから、美味しい紅茶を飲ませて。」

 そう言うと急いで部屋へと戻って行った。


 休みの朝らしい柔らかい服装で部屋から出て来ると、紅茶の香りを吸い込みながら話す。

「う~~ん、いい香り。僕が入れるのとは違うわね。」

「そんな筈はない、あそこに在ったティーバッグを入れただけだから。」

「ううん、違うよ。絶対にいい香りがする。朝から気分がいいわ。」

「ふふっ。」

「起きた時に誰かがそこに居る。部屋中を満たすいい香りがする。何て最高なの。」

「それだけじゃない。自分じゃない誰かが紅茶を入れてくれるからだろう。」

「それ、やっぱりそれ。僕は君を選んで良かった。紳士君が来てくれて良かった。」

 ティーカップを鼻先に持って目を閉じ笑顔で凛子は話している。


「2人で朝、こうやって紅茶を飲むのも僕の目標の1つだったんだ。」


 片目だけを開き俺に向けて口角を上げた。何だか俺も幸せな気分を味わっている。

こんな女の子の寝起きの姿は無敵だと思いますよね。


そんな記憶も思い出も当然無いので、文章に取り入れました。

きっと男性の憧れの朝です(私が思うに)。

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