16 アイスティーは零れて
気付けばいつものベンチに来ていた。手にはアイスティーを持っている。
ゴールデンウィークで都心からは多くの人が離れて行き、いつもの街中にも人が少なかったがこの公園には小さな子供と一緒に遊ぶお父さん達が居て、いつも通り賑わっている。平日は居ないお父さんと遊んでいるのがとても楽しいのか子供達の声は大きくて、それがやまびこの様に反響しているようだ。
そんな光景を俺はただボーっと見ていた。以前なら横に凛が居て、楽しい会話と弾ける様な笑顔と子供達に負けない程の笑い声がここにも有った。広すぎるベンチの端に座り、時折思い出したようにアイスティーを飲む。その度に思い出が1つ蘇り、それを辿って必ず凛の顔が浮かぶ。そして、時折高音で響く子供のかん高い声に今の寂しい現状へと戻される。そんな繰り返しだった。うつむき、手に持っているアイスティーのカップを眺めていると聞きなれた声がした。
「おねえちゃんは?」
例の男の子だ。そう凛の弟子。
「引っ越したんだ。」
その子に向き合って答えた。しかし俺の答えに男の子は首を傾げている。
「ああ、遠くに行っちゃたんだ。」
そう答えても理解できないのか、また首を傾げる。
「おれ、紳士だから。 ウオオオオーーー。」
会話が成立しないまま、将来の紳士君は言いたい事だけ言って、勢いよく走って行った。ここにも、この子の中にも凛が残っているんだと思ったら涙が出て来た。涙を流しながら、俺はいつからこんなに泣く様になってしまったのかと別の事を考えていた。
5月の連休も終わり、普通の受験生は時間を惜しんで勉強に励んでいる頃なのに、塾の無い日曜日に俺はまたこの公園のベンチに来ていた。当然アイスティーを持っている。
相変わらず公園には多くの子供達が駆け回り楽しい声を響かせていた。そこだけは何も変わっていなかった。
凛と座って次の目標達成の作戦会議をしたベンチ。ここも何も変わっていない。変わってしまったのは俺達だけだった。次の一歩。それを踏み出さなければいけないと思いながらも出来ない。楽しかった思い出が俺を過去に縛っている。凛はどうしているんだろう。きっと彼女は時間と周囲の状況が無理やりにでも次の一歩へと押しやっているに違い無い。だがそこに彼女の意思が無い事が判っているだけに苦しい。アイスティーを1口飲み、頭を項垂れて居る。
突然、背中を突かれた。
この感覚。凛子だ。分かる、直ぐに分かった。まだ身体が覚えている。
俺は確信を持って立ち上がり振り返った。
「やあ、僕の紳士君。」
笑顔の凛子が立っている。いや、本物の凛が立っている。俺を見ている。突いたままの人差し指を俺に向けている。
持っていたアイスティーを落とした。中身が零れ地面へと浸み込んで行く。
言葉が出ない。
「瞬、帰って来ちゃった。」
まだ声が出ない、身体が動かない、信じられない。
「瞬、聞いてる? 会いたかった。」
その一言が俺を動かした。凛に駆け寄りその身体を抱きしめた。凛も俺の身体に腕を回ししがみ付くように抱き付いている。
「お帰り。」
「ただいま。 ごめんね、黙って行っちゃって。」
「分かってる。君の気持ちは手紙で読んだ。」
「届いて良かった。何回も書き直したのよ。」
「ああ、とてもいい手紙だよ。俺の宝物だ。」
俺達は抱き合ったままで話し続けている。
「あーー、おねえちゃんたち、ダメなんだよーー。」
聞き覚えのある例の少年が傍に居た。俺達は抱き合うのを止め、その少年に向き合う。
「こんなところでエッチしちゃいけないんだよ。」
真剣な表情で言う男の子に凛が答える。
「そうね、エッチはダメよね。」
「ダメなの。」
「判りました。もうしません。うふふ。」
「俺、紳士?」
少年は凛にいつもの質問をぶつけた。
「はい、君は立派な紳士君です。これからも頑張ってね。」
「おおー。」
素敵な笑顔を見せると、何処かへと駆け出していく。少年はいつも走っているんだなと思いながらその姿を見送った。俺達は向かい合わせて微笑むと、以前の様に手を繋いでベンチに座る。凛は俺の手を自分の膝の上に乗せ、両手で触りながら何かを確認するように指の1本1本まで触れている。
「でも、どうやって帰って来られたの?」
「汚職の事で私の結婚どころじゃなくなったのよ。」
「汚職?」
「瞬、貴方ニュース見ていないの?」
「ごめん、全く。」
「はぁ、私と結婚する予定だった第4王子の企業に汚職の疑いが掛ったのよ。利益の一部が王子の所に入っているってね。それで結婚どころじゃなくなったの。本当に知らない?」
「ああ、テレビもスマホも見ないから。」
「ほんと貴方って。企業の所有は基本、国王なのよ。だから利益は先ず国王の所に入って、それを皆に分配するの。でも、その利益の一部の流れが不透明で調査が入っているって言う訳。そのニュースが流れると直ぐにお母さんが私を飛行機に乗せて送り出してくれたの。後は何とかするからって。」
「それで、いつ日本に来ていたの?」
「ついさっき。着いたばかりよ。それで懐かしくってこの公園に来たら、突きたくなる背中が有ったって事。懐かしーなー。」
「俺の背中が?」
「それもそうだけれど、ここも。瞬は何していたの?」
「凛を思い出していた。」
「ありがとう。私もずっと思っていたよ。」
「そうか。俺は役に立ってた?」
「うん。楽しい思い出ばかりだもん。さっき、瞬の背中見たら泣きそうになっちゃった。」
「でも、背中を突いた。」
「そう、その衝動には勝てなかった、うふふふ。そして瞬はやっぱり気付かなかった。まるで私が突くのを待っているかの様にね。」
「不意打ちは卑怯だろ。おかげでアイスティー零しちゃったよ。」
「ごめんね、後で奢るから許して。」
「君の母さんは大丈夫なの?」
「うん。国内の問題だからね。それに一度流れた結婚は戻らないらしいから、私も自由の身になるんだって。」
「良かった。」
「ああ、お母さんね、今の会社辞めて私と一緒に住んでくれるのよ。日本で再就職するって言ってた。あと、瞬にとても感謝していたの。こんな奇跡の様な事が起こったのは瞬が買ってくれたブレスレットの力だってね。もっともっと好きになっちゃったみたい。」
「親子で俺を取り合うのは止めてくれ。」
「うふふふ、モテ期到来だねー。」
「ある種の家系だけにね。」
「瞬は私をまた恋人にしてくれる?」
「別れていない。学生時代は恋人を作らないって言っていた俺に君は無理やり告白させたから、まだ恋人のままだよ。」
「無理やりって、酷ーい。じゃあ、別れる?」
「い、いや、そう言う・・・。」
「瞬の気持ちを聞かせて。」
「えー、もう言ったじゃん。」
「もう一回、ちゃんと聞かせて。私が帰って来たんだから。ずっと日本に居るんだから。」
「ふーーーー。」
俺は大きく息をして、凛に向き合った。
「一ノ瀬 瞬は小鳥谷 凛が好きです。ずっと傍に居て下さい。」
「はい。小鳥谷 凛は一ノ瀬 瞬が好きです。よろしくお願いいたします。」
俺達は笑いながら強く手を握り合った。
「喉渇いちゃった。アイスティー飲みに行こう。奢るから。」
「分った。」
「飲みながら次の作戦会議しようか。」
「えー俺、受験生なんだよ。勉強しないと大変な事になっちゃうよ。」
「えーーー、一緒に遊んでくれないの?」
「凛と違って俺は勉強しないと成績が落ちるの。実際、落ちてるんだから。」
「えーーえーー、一緒に遊ぼうよー。あはははは。」
凛の笑い声が弾けた。久しぶりに、本当に久しぶりに聞くその声は俺の中に響き渡り、凛が居なかった2人の空白の時を埋めていくには十分だった。
「本当にコイツは。成績優秀者ってのは困るな。」
「いいじゃん、いいじゃん一緒に遊ぼうよー。あはははは。」
「週末だけな。いい?」
「やったー、いいよー、ねぇねぇ何しようか。一緒に食事は外せないよね。買い物もね、楽しみだなー。」
指を絡めて手を結びながらいつものコーヒーチェーンへと向かった。
遂に、遂に次回が最終話です。
んー、良く頑張りました。自分に花丸を上げたいです。
8月初めにYOASOBIさん曲を聞いてから構想を練って、中旬から書き始めました。
9月15日提出(投稿)を目標に約1ヶ月で仕上げたので、少し詰めが甘い所も。
うん、でも、初めてヒューマンドラマを書いたので、とてもいい経験になりました。