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アイスティーは零れて  作者: 良夜 未黒
15/17

15 ラブレター

 凛子は学校を休んだ。


 理由も分からず、カズが連絡しても返事が来ない。俺はまた熱でも出して倒れているんじゃないかと思い学校を早く出たかった。

 今日の授業も終わりさっさと帰ろうとした時、担任が入って来て緊急の連絡がるとの事だった。

「えー、朝は黙っていたんだが小鳥谷君は外国に住んでいるお母さんと暮らす為に学校を止めました。本人の希望で皆への連絡が今になった事はスマン。」

 教室が止まる。皆、何の事かを理解できないでいる。突然カズが立ち上がり叫んだ。

「先生はいつから知ってたの!」

「学校に申し出が有ったのは去年の12月だ。お母さんが来られてね、でも、皆には言わないでいて欲しいと小鳥谷君から頼まれていたので今まで黙っていた。」

 一気に女子達は泣き出した。カズ達四天王は特に声を出して泣いている。中でもあんなに大人しいスズが一番大きな声を出していた。俺は泣けない。遠くの席からカズが俺を睨んでいるのが分かる。でも、俺だって知らなかった。知らなかったんだ。まだ1週間あると思っていた。だって凛子は3月になったら日本を離れると言っていたから。それに、

『さようなら』

を言っていない。言われていないじゃないか。悔しくて拳を握りしめ、立ち上がると先生の制止やカズ達の罵声などは耳に入らないまま、ただ、直ぐにでも確認するために凛子の家へと向かった。廊下を走り、階段を駆け下り、駅まで走った。駅や街にはまだ多くの人が行き交い、まるで俺が急いでいるのを邪魔しているかのようにゆっくりと歩いている。サラリーマンや買い物帰りの主婦の自転車等にぶつかりそうになりながらも走れる所は全て走って何としてでも短時間で着いて確認したかった。


 凛子の家の玄関が開くかどうかを。


 恐る恐るカードを差し込み暗唱ボタンを押す。


 ランプは『赤』。


 心のどこかで呟く。『やっぱり』。


 それでも何度も何度も繰り返し、カードを挿してボタンを押す。気付けばドアを叩いていた。叩いて叩いて叫んでいた。中にじっとしている彼女に届くようにと叫んで、叩いて叫んで涙を流していた。居るはずも無いのに。こんな別れ方はないだろう。寂しすぎるよ、さよならぐらい言わせろよ。その時にもう一度この腕で君を抱きしめさせて欲しかった。

 やがて力尽きる様に、廊下にへたり込み、玄関ドアに頭をもたれさせてもなお、涙を拭う事もせず弱々しく腕を振ってドアを叩きながら彼女の名前を呟いていた。


 どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 部屋に入ると力無くベッドへと倒れ込んだ。

『だから嫌だったんだ』この言葉が頭の中を駆け巡る。

 だから嫌だったんだ、女の子と付き合うと別れが来るから。

 だから嫌だったんだ、女の子と付き合うと別れが悲しいから。

 だから嫌だったんだ、それは俺の意思に関係無くやって来るから。

 だから嫌だったんだ、こんな気持ちに左右されるから。

 そんな事がずっと心の中を渦巻いて身体は動くことが出来ず、思考も止まったままになる。凛子との別れが必ず訪れる事は分かっていた筈なのに、それなのにやっぱりこんな気持ちに支配される。


 だから嫌だったんだ、凛子に本当の気持ちを伝える事が。


 別れが突然だったから?

 最後に『さようなら』を凛子に言われなかったから?

 もう一度凛子の細い身体を抱きしめて安心できる香りに包まれたのならこんな気持ちにならなかったのだろうか?

 

 ずっと今まで彼女の為に楽しい思い出を一緒に作って来たのに、何も言わずに突然居なくなった凛子を恨んだ。ベッドに倒れ込んだままの俺は、もう泣けなくなっていた。頭の中を『どうして?』と『だから嫌だったんだ』だけが繰り返し巡り、思考を支配されたまま眠りに落ちた。


 翌日、どこまでも真面目な俺は休む事無く学校に行った。

 こんな時でも普通に学校へと通う自分に呆れている。直ぐにカズ達が集まり俺をなじる様に問い詰める。俺は何も知らない。俺だって聞きたい事が沢山有った。何を聞いても「知らない」と言い続ける俺に、遂には呆れて自分達の机に戻って行った。昼を過ぎたころ、カズ達四天王のスマホに凛子から謝罪と今までの感謝のメールが届いた。連絡先を交わしていない俺の所には何も来ない。放課後になり、四天王は揃って俺の所に来て、

「ごめん。凛子からメールが来た。一ノ瀬君も知らなかったんだね。凛子のメールに誰にも言っていないって書いてあった。本当にごめんね。」

「いいよ。もう凛子は居ないんだから。」

と何も手に着かない俺は上の空で答えていた。羨ましかった。彼女達の所に凛子の気持ちが届けられている事が羨ましかった。俺には何も届かない。だって連絡先を交わしていないから。それは俺が決めた事だ、凛子ではない、俺自身がだ。凛子が日本を離れた時に気持ちがここに残らない様にと俺が言い出した事だ。今更ながら、何であんな事を決めてしまったのだろうと悔しんでもしょうがない。凛子が俺に気持ちを伝えたくてもそれを拒んだのは俺の方からだから、何であんな事を決めたのだろう。



 凛子からの手紙が届いたのはその翌日で、俺の部屋の机の上に置いてあった。



 切手には飛行機の絵があり『成田空港1ビル内』の消印が押されていた。出国直前に投函されたものだ。裏を見ると、懐かしい凛子の文字がある。住所は無く、彼女の名前だけが丁寧に書かれていた。

 抱きしめた。大切な物が戻って来たように、両手で包んで自分の胸に押し付ける様に抱きしめ、泣いた。床に両膝を突き、手紙を抱え込む様に体を丸め、声を出さない様に押し殺して泣いた。最後の夜に凛子を抱きしめた時と同じ位に力強く、同じ位に大切な物をやっと手にした様に愛しく、何故か切なくて泣いた。家族も察してくれていたのか、いつもなら夕食の時間には必ず呼びに来るのに、今は静かに誰も声を掛けないで居てくれている。


 死に別れでも無いのに会う事が出来ない。生きているのに連絡さえも取り合う事が出来ない。そんな強制的な別れから立ち上がるには時間が必要だった。あっという間に3学期が終わり、4月に入って3年生になると進路に沿ったクラスに別れる。四天王とは別クラスで、元居たクラスの人も少ない。どこかホッとしている自分に気付いた。クラスの奴等の顔を目にすると否応なく凛子を思い出してしまう。特に四天王はそうだった。休み時間に彼女達の声が聞こえただけで空席となっていた俺の後ろの席から背中を突かれそうな気がしていた。いや、突いて欲しいと思っていたのかもしれない。今は見慣れない多くの顔の中で机の位置も変わり、当然後ろには別の人物が座っている。それが男でほっとしている。何とか気持ちを切り替えて受験に向けてのスタートを切った。毎日、受験勉強に集中する事で彼女を忘れようとした。記憶を薄れさせ、思い出しても懐かしい彼方へと追いやるには新しい記憶と忙しい日々が必要だった。俺は没頭し、頭を疲れさせることで悲しみを端に追いやっている。そんな4月も早く過ぎ、ゴールデンウィークになる。

 朝から部屋に籠って紅茶を飲みながら確認した。もう大丈夫なのか、もう何を見ても悲しまずに済むのか、もう何が書いてあっても平気なのか。


 俺は凛子からの手紙をまだ開封していない。


 どんな内容が書いてあっても、どこか遠い事の様に思える様になるまで、どこか客観視して読める様になるまで、どこか他人事の様に思える様になるまでと心に決めて時間を掛け今まで生活して来た。机の中の奥に押し込んだまま、目に着かない様にして来た。


 そして、今日、開封すると決めた。


 心配していた以上に手の震えも無くナイフで開けている自分に驚いている。中から便箋をゆっくりと引き出し、一度大きく深呼吸してから開いた。


『大好きな 瞬へ』


「くっっ・・。」

 既に便箋を持つ手に力が入り、涙がこぼれる。端っこに押しやっていた筈の凛子の記憶が俺の中の全てを吹き飛ばし、あの頃の気持ちへと引き戻していた。


『大好きな 瞬へ


 ありがとう。おやすみのキスの感触が残っているの。好きと言ってくれた声もよ。

 楽しい思い出もいっぱいあるけど、もしかしたら私はあなたからの『好き』という一言を待っていた気がするの。その一言が全ての思い出を輝かせてくれるの。一番の宝物。』


 俺の中にも最後に『おやすみ』と言って交わしたキスの感触が蘇って来る。これはその後で部屋に入って書いたのだと思うと余計に苦しくなる。涙が溢れ、次の文字が読めない。幾度となく涙を拭いて落ち着くまで深呼吸を繰り返した。


『何も言わずに日本を出ます。瞬が思っているより早くてごめんなさい。私がお母さんにお願いしたの。絶対に泣いちゃうから、あなたの前で泣いちゃうから。そしたら瞬が困っちゃうでしょ、家訓が守れなくて。ううん、私が離れられなくなっちゃうからなの。

 ずっと手をつないでいたい、瞬の傍にいたい、抱きしめられていたい。そんな気持ちを振り払うには少し早く別れた方がいいと思ったの。

 別れの日に向かって、きっと瞬はどんどん優しい目になる。もっと優しい声になる。そしてあなたは『一緒に逃げよう』と必ず言い出すから。

 だって瞬は私の書いたカードを見ていて、瞬に言われたらきっと私は断れないから。』


 凛子に知られていた。それは俺に衝撃を与えた。実際に俺は凛子と逃げようとしていたからだ。1週間でもいい、いや1日でもいい、高校生がずっと逃げられるほど世の中が甘くない事ぐらいは知っている。それでも、凛子の部屋にあったカードを叶えるには、彼女の切なる希望を叶えるにはダメでもそれを実行に移すしかないと思っていた。だから、1日でもいいんだと。一緒に逃げる事が重要なんだと思っていた。逃げたかった。凛子と離れたくなかった。その思いが鮮明に蘇って来る。何故もっと早く行動に移さなかったのかと悔やまれる。しかも凛子に気付かれていたなんて・・・。

 『逃げよう』と言うつもりだった。それも行動を開始する直前にだ。前もって言ってしまったら凛子は俺から離れると思っていた。何より彼女は母親を泣かせたくないと思っていたからだ。だから誘拐でも略奪でもいい、凛子の手を強引にでも引いて、そのまま何処かへ行こうと思っていた。でも、凛子に悟られていた。俺は記憶の中で『どこで』、『俺の何を見て』、『どうやって』気付かれたのかを探す。何故凛子に感づかれていたのか悔やまれる。


『楽しかったー。本当よ。全てがキラキラと私の中で光っているの。

 きっと私が生きている間は輝き続けているのよ。瞬の思い出と一緒にね。


 お願いがあるの。私との思い出は高校生の間はずっと大切にしていて欲しいの。

 そして、卒業したら忘れて下さい。あなたが言っていた様に生活が変わったら終わりにして、新たな人生を楽しんで欲しいの。

 ちょっと寂しいけれど、新しい恋人を作って下さい。

 その人にも私と同じ様に楽しい思い出を一杯上げて欲しいの。笑顔もね。


 もっといっぱい書きたい。あなたに伝えたい事が沢山あるの。でも、もう無理。

 書いている文字が見えないの。ごめんね。

  きっとこんなに好きになる人はもう現れない。瞬が好き。大好き。愛してる。


                      高校生の時の恋人  小鳥谷 凛より』


 泣いていた。ただ涙が出ていた。俺も凛の手紙の文字が読めなくなっている。

 俺は、俺は凛を忘れよう忘れようとしていたのに、凜は俺の事を大切に持ち続けようとしていたんだ。これから、何度も何度も思い出してその記憶を常に輝かせてくれようとしていたんだ。なんて俺は勝手なんだ。彼女の母親を責めた時もそうだった。俺は勝手だ。身勝手だ。そう思うと凛の優しさが俺を苦しめた、彼女の笑顔を思い出して涙が溢れた。

 うぅぅぅぅぅ・・・・

 声が出る。抑えられない声が漏れる。もう平気と思っていたのに、まだ俺は、まだ俺の中は凛の思い出で一杯だった事を思い知らされた。片隅に追いやった筈の思い出は、そんな小さなものではなかった。追いやる事など最初から出来なかった。



 5月の少しずつ長くなる日も暮れ、いつしか夕暮れ時の赤く柔らかな陽射しが窓から入って来ていた。いつからだろうか、ずっと座ったままで机の上には凜からの手紙が広げられたままになっている。

「お兄ちゃーん、ご飯だよー。」

 階段の下から陽菜の呼ぶ声が聞こえた。

 急いで手紙を封筒に戻し、机の引き出しの直ぐ見える所にそっと仕舞う。引き出しを開ければすぐに取り出せる所だ。涙を拭いて深呼吸を何回も繰り返し、気持ちと泣きはらした目を元に戻そうとした。

「お兄ちゃーーん、ご飯だよーー!」

 陽菜が少し不機嫌そうな声でもう一度叫ぶ。

「はーい、すぐ行くー。」

 何とかいつもの声を出して俺は部屋を出た。

ラブレターって書いた事無いんです。

そもそも、手紙を書いた事なんて記憶に無いなー。


 手紙って、今の時代、少し重い様な気が・・・。

 メールなら気軽に送れるのに。

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