この星の最後の日
北十字の方向に五つの光が消えていった。二つは輸送船の大きな白い光。片方ではそれに重なって赤く点滅している。敵意のない船であることの証だ。黄色も二つ。これは護衛機。そして青い小さな光。先進機と呼ばれるそれは文字通り先導を務める。母星を囲む重力井戸を突破するのも、敵対する船と交戦するのも、いつも真っ先に堕ちていくのも、役目である。感傷をこめて「流星」とも呼ばれる。僕はその流星の操縦士だ。
視界いっぱいの展望窓にはどこまでも広がる宇宙がある。黒と、ところどころにぽつぽつした星。静かに、永遠にそこにあるだけの点。足元には丸い母星。赤茶けた大地と白い雲の渦。
「どうだ、調子は」
「まあまあですよ」
僕は振り返らない。彼が展望室に入ったときから気配を感じていた。
母星の周回軌道船だから、ここの住人は多く、室内には同じように景色を眺める人々がいる。どれだけいても、うるさくはならない。ここはそういう場所だ。耳を澄まさなくても聞きたい声が届く。
ジェドの金属的な足音は僕の後ろでちょっと立ち止まり、それから横にきた。
「出歩くなと言われたんじゃなかったのか」
「だから休んでます。何もしてないでしょう?」
「お前は……」
呆れた声と、楽しんでいる微笑と。横目でジェドを見上げる。
「何しに来たんですか」
「ん」
彼はまだ目を合わせない。僕が小柄なのと、ジェドが背が高いのとで、隣り合うとかなりの差ができる。それは嫌ではなかった。大人になっても、ジェドは実の兄のような存在だ。
「いいんですか、こんなところにいて。次の仕事があるでしょう。それとも僕がいないとだめですか? あなたも案外不器用ですからね」
「オリがお前の分も埋め合わせてくれている」
「感謝していると伝えてください」
また沈黙。一体何をしに来たのだろうと本気で疑いはじめた。言い出しにくい、というのはわかる。何がジェドの口を閉ざしているのかがわからない。
先進機の操縦士に休日などない。母星をはなれる輸送船は日に日に増えるし、遅れるほどに危険は増大する。食料は減り、定住できる星を見つける機会も消えていき、優秀な操縦士も死んでいく。
周回軌道船にいるのは、輸送船待ちの移民を除けば、逃げ遅れた人々を救済するための政府関係者、技術者、医療関係者がほとんどだ。
僕は操縦士である。そして患者でもある。足止めをくらっているという点では移民と変わりはない。
だからなおさら、自由に先進機を乗り回せるジェドがここにいるのが解せない。
辛抱強く横顔を見つめていると、根負けした彼がようやく言った。
「ソウが死んだ」
「どうやって?」
「三番航路で交戦して輸送船をかばったそうだ」
最も重力井戸に近い航路だ。あの難所を抜けたなら、体力も残っていなかっただろうし、船をかばったなら本望だろう。
とくに付き合いが古かったジェドには痛手だ。そうしてわざわざ、過酷な毎日の隙間に、僕に会いにきたわけか。
「僕が復帰したら」
明るい声で言った。
「成功率はぐっと良くなりますよ。間違いなく。だから、大丈夫です」
母星を取り囲む重力井戸が一体いつから存在するのか、記録にはない。あるいは消去されている。自然に発生することでもないから、巷では、連合政府の実験によるものと考えられている。手っ取り早く移住が成功するようにワームホールをつくろうとして失敗した産物、というものだ。
もっと悪い噂の中では、あれは政府の陰謀である。母星から脱出できる船を減らし、環境のいい星に移民が殺到してしまわないように。
どちらにせよ誰もあれを消す方法を持ち合わせていない。
一つの星を修復不能にさせたり、恒星間航行を自在にしたりはできるのに、目下一番の邪魔者をどうにもできないのが僕たち人類だった。もしも、この数千年の国々の小競り合いをなくして、すべての知恵を集約させることができたら、状況はもう少しよくなったかもしれないと僕は思っている。
ジェドが帰っていき、僕もしばらくして自室に戻ることにした。
展望室を出るとき、すれ違った男女が指差してきた。あれ、サク・オルタだ。僕の名を囁く。気付かないふりをしてそのまま通り過ぎる。
先進機操縦士、つまり「流星乗り」は希望である。人々を導くから。そして敬遠される。あっという間に死んでしまうから。
名も顔も知られている僕は両方の視線にさらされながら通路を歩き、昇降機に飛び乗って息をついた。人口重力の中でふわっと体が浮き、一瞬後に下層階へと動き出す。
昇降機にもいろいろと種類がある。上下に動くものをリフトと呼ぶ。乗ってから、区画移動もできるゴンドラの方に乗ったと気づいて、あらためて座標を入力した。つまり横方向にも動けるのだ。
区画十二、医療用専門施設。
隣り合ったリフトから人が降りてきた。顔を合わせたくなくて、ゆっくりと、その小さな女性の後ろに続く。
そういえばこの区画に女性が残っていただろうか。
「あの、失礼。お嬢さん」
呼びかけてから、お嬢さんはないなと後悔した。ぱっと振り向いたのは見たことのない顔で、上気した頬と、つやつやした瞳をしている。
「なんでしょう?」
「いや、あの……区画をお間違えでは、と思って」
医者でも収容者でもなさそうな服装だからだ。それは外出していた自分も同様だった。周回軌道船内ではすっかりめずらしくなった普段着である。同僚の他に、妙齢の女性に会うのは一体いつぶりだろう。耳が熱くなるのを感じた。彼女がにっこり微笑んだので余計に恥ずかしくなってくる。
「大丈夫です。あなたは? ご用事でも?」
「僕は、たまたま……」
あとが浮かばない。冷や汗さえにじんでくる。
「スーヤさん、お帰りですか」
通路の奥である。いくつもある部屋の一つから男の顔が現れた。彼女が飛び跳ねるように振り向いてから、もう一度僕を見た。
「失礼しますね」
どうも、と小さく呟いた。ぱたぱたっと小走りで去る背中を見届けて、僕もゆっくりと歩き出す。彼女が消えた部屋を盗み見る。「宿直」と、書かれていた。
ほぼ毎日、展望室に通うようになった。
病室に籠っていては体力が戻らない。まずは自分の足で歩くこと。言い訳を唱えながら、丸々一区画分もあるこの場所をゆっくりと巡る。あれからジェドは一度も来ない。他の操縦士も。一人の病人をかまう暇など彼らにはないのだ。
一時間前に発った船団は、干潟星雲の方角に向かった。その先進機に誰が乗っているのかも僕は知らない。名前を知っているうちの誰か、というだけだ。操縦士はそれくらいに減ってしまった。
午後――地上でいう、日が傾く半日の間――その気怠い時間をたっぷり宇宙を眺めるのに使い、それから、淡い期待を楽しみながら戻る。それが僕の日課だ。
昇降機に乗って座標を打ち込む。かすかに振動する壁にもたれる。
はやく宇宙に戻りたい。
意のままにあやつる流星のスピード。機動力。毎晩夢に見るほど恋焦がれるとは思わなかった。夢の中では、かつての僕に戻る。どんな難所も切り抜ける天才。交戦すれば負け知らず。戦いが好きなのではなく、賞賛が欲しいのでもない。ただ力を発揮できるのがたまらなく楽しい。それが輸送船を助けることになるなら何を躊躇うこともない。
今の僕でも十分に役割を果たせると医者に訴えてもなかなか聞き入れられない。完全に治すことだけ考えろ、と諭される。操縦士仲間も、実力が半減していようが僕に復帰してほしいと切実に望んでいるが、専門医に反論することなんてできない。
いつまで足止めされているのだろう。その間に、流星乗りは何人死ぬだろう。
がこん、と昇降機が止まる。区画十二。
ふらふらと自室の寝台に倒れ込む。なんだか顔がほてっている。熱があるらしい。
ぐっすり眠った。夕食に合わせてアラームを設定したはずが、なぜか、目を覚ますと医者が僕を覗き込んでいた。
「無理をしたでしょう。あんた。くれぐれも休むようにと……」
「それじゃあ僕を閉じ込めなきゃ。歩けるなら、歩きたくなるのは当然です」
時計を盗み見ようとしたが、医者の後ろにある。
医者は手元の光を明滅させる。白い光が目を焼く。僕のまぶたを開かせたり、頬を触ったり、脈を確かめたり。
「このままじゃ命を縮めてしまう。いいかい、じっとしていれば治るんだ。少しの辛抱で、この先何年も長らえることができる。仕事が好きなのはわかるが我慢してもらわないと。焦らずとも、あんた一人抜けたって構わんだろう、管制官なんて余るくらい残ってるじゃないか」
「働いてないと生きてる心地がしないんですよ。先生」
ジェドは僕をここにあずけた時、わざと職業を偽った。もちろん登録コードを確かめればばれる嘘だ。この医者は忙しいせいで世間に疎いし、僕のコードを確かめない。他の医者は気づいているかもしれないが言わない。流星乗りとは関わらない、というのが常識である。どうせすぐ死ぬのだから、と。
「難儀な性分だね、あんたも」
「先生もね。僕たちは似た者同士でしょう」
ぼうっとした視界に眩暈をおぼえつつ、僕は微笑んだ。医者の表情はわからないが、つられて笑ったようだった。
「さて、そろそろ……」
言いかけて、医者は通路の方を振り向いた。半透明の戸口にふっと影がよぎる。
「ああ、スーヤ! ちょうどいい」
僕の心臓がはねた。部屋をのぞいたのはあの女性だった。
「なあに? 呼びました?」
「食事を運んでくれないか。私もここで摂る。この人には消化のいいものを」
「わかりました」
明かりを落としているので暗く、スーヤは患者の顔を見るために目を細めた。反対に、僕の目は丸く開かれていただろう。
あっと口元を押さえて、少ししてから、スーヤの表情は花が咲くように明るくなった。
「ここの方だったんですね。あの時はご親切に」
「いいえ、まあ……」
小さく手を振って笑みを残し、スーヤはいなくなる。
医者はさっさと椅子を引いて何やら探っている。これだ、と呟き、右手を伸ばす。壁についたモニターが鮮やかに光り出した。
――修復には時間がかかるとのことです。そのため、次回の探索には旧型機が――。
音量はすぐに小さくされた。船内で流れる報道番組のようだ。
「あんたは少し眠っていなさい。調理機の具合が悪いから待つことになる。失礼して私もここで食べさせてもらうよ、あっちはどうも人が多くて」
「さっきの人は、スーヤさんは」
「うん?」
「先生の、娘さん?」
「そうだ」
呼びかけた調子がいつもとは違ったから。
腰をうかせてモニターをずらし、僕には見えない角度に変えて、医者は興味なさげにそれに見入る。僕もしばらく、青白く反射する彼の横顔を眺めた。
前触れなく僕のことを思い出した医者は、横向きになっていた僕を仰向けに転がし、まるで拘束具のように毛布を丁寧にかけなおした。首をさわり、額に手をのせ、ふんふんと納得している。
「眠りなさい」
もともと体が眠りたがっていたのだろう。抗えない眠気が襲ってきた。薬を飲まされたのでも、医者が何かしたわけでもないのに、僕はすとんと意識を手放した。
――危険な水準に達しました。
――輸送船もわずかです。移民が増える可能性も低くなり、連合政府は、周回軌道船の完全な撤退も視野に入れ――。
夢うつつに声を聞いていた。
なぜ誰も返事をしないのか、と不思議に思って目を開ける。部屋は暗いままだった。水面のようにちらちらしているのはモニターの明かり。浮動式の机はまだ器を乗せたままで寝台の上にある。医者も、僕に食べ物を押し込んでいたときの椅子に座ったまま、首を傾けて寝入っていた。
――完全撤退に向け、地上では最後の探索作業が行われるでしょう。
――全市民はすでに各輸送船に割り当てられています。危惧されるのは操縦士の不足です。五番航路が閉鎖されて以降、操縦士の減少はさらに進んでいます。
暖かいスープをさましながら医者は少しだけ娘の話を漏らした。どんな父親もそうであるように、照れながらも誇らしげに。
――スーヤはね、惑星探査に参加していたんだが、私がいつまでもここに居座っているのが心配になって、手伝いにきたんだ。医学の心得もあるものだから。
僕の体調のこと以外ではじめて世間話を交わした。
――来てくれてよかった。私も、娘が今頃どこの星にいるかと気を揉まなくて済む。
だから、あの人だけは雰囲気が違っているのだ。周囲を明るくする。取り残された周回軌道船の、仕事に追われる一員ではないから。安らかで、暖かい。船内でも地上でも失われて久しい、穏やかな家族の日常を思い起こさせる。
安寧を知らない僕にとっては憧れそのものと言っていい。
手を振るスーヤの顔を浮かべつつ、もう一度まぶたを閉じた。どんな夢を見ても、目覚めればまた優しい一日になるような気がした。
「眩暈もおさまったのか」
先進機の装甲をばんばん叩きながらジェドが問う。これは彼の癖だ。船と自分に気合を入れるための。
「何度聞くつもりなんです? 大丈夫ですよ」
「体力は? 医療区画じゃろくに歩けもしないって聞いたが」
「そんなこと」
僕は笑う。
「歩行リフトなんて贅沢はありませんよ。全部自分でやってます。部屋でも軽い運動はするし、毎日外に出かけるし」
「外って?」
「展望室。前に一緒に話したところ」
ああ、とジェドは相槌を打つ。ぴんと来ないのは僕にもわかる。操縦士にとって「外」とは宇宙である。船内は決して外ではない。
ばーっと太い獣のなくような警告音が響いた。
僕たちには聞きなれた音だ。急いで機体から離れ、透明な密封壁の内に駆け込む。これは軽くて柔らかくて耐久性に優れたガムリル素材でできている。船のあらゆる窓に使われているのと同じだ。
格納庫に散っていた人々が、密封壁なりバリア壁なりの向こうに消え、しばらくすると、最奥の壁が天井から床までまっすぐ裂けた。それからそれと直角に筋が現れる。壁全部が十字にばらけるように、格納庫の扉は外へと開かれる。
音の消えた真空の中をしずしずと入ってきたのは、まずは護衛機が二機。左右の翼の下に、まばゆい黄金色の光を明滅させているが、船自体はほとんど真っ黒だ。
それから青い光の先進機が二機。一方は姿勢がやや傾いている。右の翼が半分もげていた。宇宙では必要ない翼だが、まれに惑星の大気圏内まで飛ぶこともあるから付いている飾りのようなものだ。
着陸させるときも、人工重力で影響がないわけではなく、操縦士は微調整をして傾きを減らしてから着床させた。
また警報が鳴り響き――鳴っているのだが、扉が閉まるまでは赤い警告灯が回っているだけだ――格納庫が再び密封され、空気が戻ると、最初に飛び出していったのは整備士たちである。はしごが掛けられ、護衛機から操縦士たちが降りてくる。
無事な方の先進機から、顔を見たことのある操縦士が降りてくる。もう一機は沈黙している。これもすっかり黒く焦げているから、模様も何も判別できない。
傍らのジェドを小突いた。
「誰の機体ですか」
ジェドはじっとして耳に手を当てている。操縦士は操縦していないときでも、片耳に通信機を付けていて、いつでも連絡し合えるようになっている。正式に復帰していない僕は持っていない。
「まさか。……ソウのコードだ」
操縦席のガムリルがゆっくりと上がっていく。そこにはしごをかけた整備士は、振り向いて何か指示を出している。他の整備士が担架を抱えて走っていく。
ジェドと僕も密封壁から出てそれを追いかけた。
操縦席の人物は下にむかってひらひら手を振っている。いかにも大儀そうにはしごに足を降ろし、一歩一歩確かめながら、それでも整備士が手を貸そうとするのを跳ね除けた。
僕たちが機体の下につくと、彼はようやく頭から防振メットをはぎとった。
「ソウ!」
「ソウさん」
まぎれもないギトリ・ソウだった。死んだと聞いたのはついこの間だ。ちゃんと自分で立っている。疲れ切っているが、元気である。生きている。
「オルタ?」
僕を見とめてむしろ彼の方が怪訝な顔をした。
気づけば流星乗りが何人も僕たちを取り巻いていた。
喜びで抱きつこうとした仲間もいたが、本人はそれを律儀に断った。汚れっぱなしの体に触れてほしくないという、普段から身だしなみを気にする彼らしい理由だ。そして代わりに僕がもみくちゃになって何人もに抱きつかれることになった。理由もなく。
「久しぶりにオルタが顔出したと思ったら、お前も戻ってくるなんてなあ」
「何があったんだ」
「そこまでだ、みんな」
見かねてジェドが声を張り上げた。
「休ませてやれ。それからだ」
排煙口に吸いこまれるように、ソウを先頭にして同僚たちは奥に引っ込んでいった。ついでに僕もつれていかれそうになったが、ジェドがつかまえて、用意された先進機の操縦席に押し込んだ。部屋に戻る時間が決められているから、目的はさっさと終わらせなければいけないのだ。
使うのは予備機だから座席や計器の感覚が少し違う。防振メットをかぶり、手早く自分用に合わせて、管制官に通信をつないだ。前回、三日前にジェドの後ろに乗せてもらったときには客のように乗っていただけだから、これも久しぶりのやり取りだ。話は通してあるから問題なく送り出される。
格納庫が開く。僕は先進機をすべらせ、機首を宇宙へと向けた。
体中が歌をうたっているようだ。流星乗りの本能が目覚める。
加速させて、背もたれに押し付けられるのはほんの一瞬だ。先進機が床をはなれ、軌道船の重力圏を離れ、空っぽの宇宙に包まれれば、もう縛るものはない。僕はふーっと息を吐いた。興奮よりも安堵を感じた。ここは僕の場所だ。ここでは僕は無敵で、薬漬けにしようとする医者もいないし、人々の視線も何もない。
さっそく、軌道船から距離をとってぐるぐる進んでみた。宙返りもしてみた――これは難しくもない。慣性装置はあるが、重力下で試みるのとはわけが違う。流星乗りには必須技能でもある。
船団にいるつもりでいろいろと動いてみる。中心には輸送船。のそのそとしか飛べない。後方の護衛機が急に前方に位置を取ろうとする。索敵機能は抜群だ。続いて、僕の先進機にも座標が送られてくるだろう。敵までの距離。その数。重力井戸に突っ込まないように、船団が航路をはずれないように……。
耳の裏でかすかに気配がし、すぐにジェドの声が聞こえてくる。
「どうだ、調子は。サク」
「まあまあですよ」
いつかもした会話だ、と思っていると、また別の声が入ってきた。
「見ないうちにすっかり戻ったな」
「ソウさん、休まなくていいんですか?」
「いや、休んでる、今」
二人は他の仲間を追い払ってどこかに籠っているらしい。ジェドの職権濫用だ。入れ替わりで出ていった僕のことが気になって、通信をつなごうと提案したのはソウのようだ。
「僕のことより、そっちのことを聞かせてくださいよ。どうやって戻ってきたのか」
「話すほどでもない。損傷を受けて、座標も読み取れなくなって航路の外をさまよってた。そうしたら別の船団が通りがかって、一度惑星までついていってから、復路に加えてもらったんだ。機体を直す時間がなくてああなったが」
「ほら。大したことですよ。ソウさんじゃなきゃ気力が続かないですもんね、そんなの」
操縦桿を右に引きながら速度を上げる。前方では想像の敵が待ち構えている。いつでも真っ先に敵とぶつかるのが役目だ。最高速度ではないまでも、架空の船団を置き去りに、流星は先頭におどりでる。
「サク、無理はするな」
「もしかして見てるんですか?」
「模擬戦じゃないぞ。勘を戻すための試運転だ、許可したのは」
「僕を見くびらないでくださいよ」
準備体操に徹しているつもりだ。胸が躍るままにとにかく走らせて、束の間の解放を楽しむために。腕は重いし、足は踏ん張りがきかないし、頭は熱い。宇宙に帰るのを望んで、やっと今再び飛んでいるのに、焦がれる。もっと飛べる。もっと遠くへ行ける。だけど、できない。
つないだままの通信では二人の会話が続いている。時々、僕がすばやく横転したりするとかすかな歓声が上がるのが聞こえた。
約束の時間の少し前になって、僕は機首を周回軌道船に向けた。ジェドにあまり心配をかけるのも悪い。
広大で冷たい景色が一転し、軌道船の背景は、青と赤がまだらになった母なる星である。展望室からのぞくのとは全く違う。それは観賞物ではなくて、圧倒的に迫ってくる美しさだった。死にゆくだけの星と知っているが、それでも。
青と緑が残っている北極のあたりには、地上を離れようとしない一派が住みついているという噂があった。本当かもしれない。一握りくらいは、星を捨てない人々がいたっていいじゃないか、と思う。彼らもそのうち死に絶える。そうすればここは本物の「死の星」となるのだろう。それは一年後かもしれないし、百年先、ひょっとすると数世代は持ちこたえるかもしれない。それが母星での僕たち人間の歴史の終わりだ。誰も見届けることさえせず、忘れられて。
「練習機、着陸を許可します」
はっと我に返る。周回軌道船を包んでいたバリア壁が開き、牽引光が機体をつかまえてどんどん床が迫ってくる。
着陸動作は手が覚えていて、僕は何も考えずに無事降り立った。
すぐに部屋に戻る気にならなくて、僕はその足で展望室に向かった。
ジェドと復帰後の打ち合わせをしたかったし、ソウの話も聞きたかったが、これ以上平気なふりをしているのは難しい。歩いているだけで汗が噴き出る。
とにかく体力作りだ、と心に決めた。
さっきまで飛び回っていた宇宙空間には、相変わらずの空虚な闇と、その背景にぽつぽつとした白い点が浮かぶ。
展望室が主として向いているのは母星の方だが、人気のない側の窓はその反対、漆黒の宇宙を映している。永遠の沈黙のうちにある星々と、その手前をすうっと流れていく四角い箱のような塊。あれは、まだ恒星間航行の技術がなかった昔、移住先発見のために使われていた探査機だ。周回軌道船とは高度が違うからぶつかることはない。
卵に似た椅子に座りこむ。もたれる重さに反応して、椅子はゆっくりと後ろに傾いた。つま先が床を離れるくらい。背中が自分を支える。視界には外の景色しか入らない。こうしているとまるで飛んでいるような気分になれて、好きだった。
このまま眠ったら風邪を引くだろう。
興奮が収まったら部屋に戻るつもりでいた。左手で、椅子の音声を起動させようと探ってみたが、なかなかたどりつかず、頭を起こして左の手すりを見た。すると、左斜め前方、窓のすぐそばに立つ人影に気が付いた。
横顔でわかる。スーヤだ。
今日は髪をまっすぐ伸ばしている。展望室で見かけるときはいつもそうだった。医療区画内では、束ねているか、ひっつめている。それが彼女なりの気分の入れ替え方かもしれない。めずらしく一人のようだ。
視線を感じたのか、スーヤは僕の方を振り向く。まばたいた瞳が星のようにきらめいた。
「あら。またお会いしましたね」
「どうも。……ええと、お一人なんですね」
話しかけられて、慌てて背もたれを起こした。別の汗をかきそうだ。そんな僕をなだめるように、スーヤは微笑みながら近づいてきた。
「たまに来るんですよ。父の同僚たちが気晴らしをするのに付き合って。あなたも、ここがお好きなんですか? 時々、このあたりを歩いてましたね」
僕は軽く驚いた。スーヤはいつも誰かと一緒にいたから、声もかけなかったし、近づかなかった。それでなくとも隅にいる癖がついていたから、向こうが僕に気づいているとは思っていなかった。
スーヤは、立とうとする僕を片手をあげて抑え、自分が隣に立った。小柄だから、頭の位置はそれほど遠くない。
「先生の、娘さんなんですね」
「そうです。スーヤといいます。あなたは、管制官なんですってね。父に聞きました。お名前は?」
「オルタです」
僕はあいまいにほほ笑んだ。本当に管制官だと思い込んでいるなら、そのままがいい。さいわい、彼女は僕とサク・オルタを結び付けなかったようだ。
「管制って、最近は大変でしょう? 人手が足りなくて移民のお世話もなさってるとか。今日も仕事が気になって見に行かれてるんだって、父が言ってました」
「まあ……どこも同じです。人が足りないのは。あなただって、お父さんを手伝っていらっしゃるんですよね。わざわざ他の惑星から戻ってきてまで」
「父は、誰かが引っ張っていかないと、本当の最終便まで残りそうですから。心配になって。この軌道船からの完全撤退も迫っているようですし。うっかり搭乗手続きを忘れないように見張ってるんですよ。オルタさんは? もう、居住星は決まりました?」
「はっきりとは……」
「それはだめですよ! 船はどんどん出発しちゃうんですから、早くとっておかないと。わたしも父を焚きつけたところなんです。患者さんを残していけないなら、いっそ患者さんも一緒の船で、一緒の星に渡ればいいじゃないって。空きを確保できるかは交渉中ですけど。父はそのつもりになったみたい。よかったら、オルタさんも一緒に乗りません? 決めてないんでしょう? 新しい星で顔なじみが一人でもいると嬉しいでしょう、きっと。わたしは嬉しいです」
窓の向こうを眺めながら話す彼女の首筋が、ほんのり赤く見えた。気のせいかもしれない。暗めに設定された照明と、光のない宇宙しか、ここにはないのだから。
僕は言葉を探しながら、一度上を向き、頬をぼりぼりかいて、もう一度スーヤの方を見た。彼女はこっちを見ない。顔がどんどん熱くなるのを感じて、これは体調のせいじゃないなと、馬鹿みたいに考えた。
「ありがとうございます、スーヤさん。僕は……」
ゆっくり振り向いたスーヤの瞳は、やっぱり、星のようだ。
目の前の人とは、同じ気持ちがくすぶっているに違いないと確信した。
急にスーヤが視線をそらし、僕のうしろに声をかけた。
「どうされました?」
さっきまでの口調と少し変わって、事務的な温度になっている。答えたのは僕も知っている声だった。
「いや、失礼、このあたりに――」
ジェドだ。椅子を回転させると、飛行服から普段着になっているジェドが、ばつが悪そうにしていた。
「次の打ち合わせをしておこうかと。邪魔したな」
「お仕事の? じゃあ、わたしが邪魔ですね。どうぞ」
スーヤはさっと離れる。きびきびした動きがまったく医者らしい。
また今度とか、さよならとか、挨拶をぐるぐる巡らせてスーヤの背中を見送っていると、近くにきたジェドが言った。
「大丈夫か? ――おい、なんて顔してる」
「え?」
ジェドは笑い、僕はびっくりして、自分の顔をぴしゃりと叩いた。やりとりが聞こえたのか、スーヤが振り向きかけて、ぱっと笑顔になって、昇降機の方へ小走りで去っていく。
「かわいらしい子だな」
かすかな駆動音を聞きながら、ジェドがつぶやいた。
「お前によさそうじゃないか。どうやって知り合った?」
「医療区画で……先生の娘さんなんです」
「へえ。大人しくしてると思ったら」
ジェドはひじで僕の頭を小突いた。僕も笑ってやりかえし、立ち上がる。
「戻るんでしょう。さっさと行きましょうよ」
「疲れてないか?」
「大丈夫ですって。ソウさんは?」
「部屋で寝てる。熟睡するのも久しぶりだろうからな……そういや、お前、昔からソウのことが好きだったな」
「僕はみんなのことが大好きですよ」
格納庫の方へいく区画ゴンドラへ、ジェドの背中を押した。
何度か調整を繰り返し、航路の手前まで送って帰ってくるだけの任務もこなすようになって、ようやく僕の正式な復帰が決まった。
そのころになると、周回軌道船完全撤退の噂は噂ではなくなり、期日に向けていっそう慌ただしくなってきた。連合政府の関係者もどんどんいなくなり、物資は輸送船に積みなおされ、不要資材は奥底にしまわれるか、封鎖されている五番航路から重力井戸に投げ捨てられた。
僕は、区画十二の部屋を引き払い、区画八にある、操縦士用居住区画に戻った。医療区画への出入りも減った。ただ、展望室には、暇さえあれば寄っている。
残されていた移民は貨物のように次々と船を割り当てられ、詰め込まれ、それぞれの居住星へと送られていく。格納庫にいた船も、それに伴ってどんどん消えていった。輸送船はもちろん、護衛機も、先進機も、航路をエスコートするだけではなくて、最後までついていくからだ。彼らはもう戻らない。たどりついた星で生きていく。
船の数も目視で数えられるほどになると、ついに僕の番もやってきた。
船団の内訳は、輸送船一、護衛機三、先進機二。
政府の高官が乗っているから護衛機が手厚いのだと騒ぐ声も聞こえたが、そんなことより、技術者を安全に届けるのが狙いだと僕は思っている。連合政府には、振りかざすだけの力があるとは考えにくい。そもそもが崩壊した組織だ。
先進機二機のうち、もう一つは、ソウの船だ。組み合わせが発表されたときに、流星乗りたちが一番騒いだのはこの点である。僕もソウも操縦士として古参だし、実力も実績もあって、だから僕たちが一緒に飛ぶのはめったにない。ベテラン操縦士は分けて飛ばせた方が、ほかの操縦士の生存率が上がるからだ。
予定航路は三番。別名を北十字航路と呼ぶ、前にソウが辛くも生還した難所だ。僕が好きな航路だった。干潟航路や竜骨航路が安全で人気があるが、僕としては、生ぬるいのは好みではない。
北十字航路は通り抜けるだけでも困難で、しかも、逃げ場がないから出口で襲撃される確率も高い。しかし近づく危険は襲撃者にもある。気づけば敵機に囲まれていた、なんていう事態にはならない。先進機の腕さえよければ、操縦技術と火器でしのげる。
同じ日、同時刻、一番航路に出発する別の船団にはジェドとオリが当たった。
僕が機体の下で整備士と話していると、金属的な足音が近づいてきた。見なくてもわかる。ジェドの靴だ。話があると言われて、僕は了解したが、変な感じがした。何か言いにくいときの表情だった。
彼の部屋は荷造りやらなにやらで散らかっているというので、僕の部屋に入った。殺風景だから花でも飾れと、よく口を酸っぱくしていたジェドは、今は見まわしただけで黙っていた。
椅子は一つしかないから、それをジェドに勧め、僕は寝台の端に腰かける。あとは、小さな机と、僕の全財産をつめた鞄が一つだけ。僕たちが座ったのを察知して、空気調整の機械が壁のうしろで動き出す。送風口の埃が動いた。
覚悟を決めるように、ジェドは息をついた。
「なあ、サク。この前、展望室で会ってた人がいただろう」
「いますね」
思いがけない話題だった。雑談とは温度が違う。
「ずいぶん考えたんだが……お前のためかと思ってな。彼女の父親に会ってきた。お前の主治医の先生だ。話をした。健康的に生活してるか心配していた。かなり気に入られてたみたいだな」
「はい」
顔に熱を感じる。落ち着くために毛布を握りしめた。
主題は先生じゃない。彼女だ。どうして、ジェドが思いつめたように彼女について話す必要があるのか、わからない。
「話し合ったんだ。サク。だけど、お互いに気持ちは変わらなかった。――あんたの娘にサクが結婚を申し込んだら、許可してもらえるかと。はっきり訊いた。答えは否だった。婚約中でも船の空きを融通してもらえるのは知ってるだろう。だから頼んだんだ。二人を一緒にさせてほしいと。――結果は、だめだった。すまん。サク」
「僕は……」
身内は、希望すれば同じ居住星に行ける。それくらい常識だ。
頭が空っぽになってしまった。
「諦めてほしい。お前のためだ」
何を言われているのかわからなくなった。諦める。何を?
「そんなんじゃないんですよ。僕は。あの人は……ただ、話したことがあるだけで。僕は、どうかなりたいとか、そういうのじゃなくて」
「あの医者、流星乗りとの噂が立つだけで困るとぬかした。今なら娘も、居住星に連れて行くのに問題ない。でもお前と結婚でもしてみろ、もし、医者でも、医者の娘でもなく見られるようになったら? それが嫌なんだと。サク、お前、そんな奴の娘なんか選ぶもんじゃない。定住先でいくらでも選べばいいさ。わかるな?」
ジェドは前に乗り出して僕を見つめる。目尻に皺が寄った、いかめしくも優しくもある顔が、急にわからなくなった。この人は誰だろう。そんなふうに思ってしまったことに、僕はすっかり狼狽えて、見つめ返すことができなかった。
視線を落ち着かせられない僕を、ジェドはもう一度穏やかにうなずき、黙って席を立った。待ってくれと叫びたかった。
違うんです、ジェド。そうじゃないんです。
僕が欲しいのはそういう関係じゃない。あの人でもない。
僕が欲しかったのは――。
自分でも知らない答えを、口にすることは不可能だった。ジェドの背中が消えたあとも、僕は茫然と座ったままでいた。
どうやって眠ったのか、覚えていない。気が付いたらいつものように毛布にくるまり、温度調整機能をつけるのも忘れていなかったし、ジェドが使った椅子も、元通りに隅に置いていた。机には睡眠剤の入れ物がそのままになっていた。
いつもどおりに機体を見に行き、翌日に迫った出発のために、念入りに調整をした。
同じように調整に出てきていたジェドと会っても、動揺はなかった。彼はそれを、僕が納得したのだと解釈し、あの件には触れることなく微笑むばかりだった。僕もそうだ。今日はちゃんとジェドの表情がわかるのがうれしいだけだった。
英気を養うために早めに部屋に戻り、最後に形ばかりでもきれいに掃除をした。
薬なしで眠り、普通に目覚める。
あまりに普通すぎて、これが周回軌道船での最後の日だとはとても思えなかった。
僕とソウが機体の最終確認で整備士と話していると、見送りのために、残っていた流星乗りもやってきた。普段の往復任務なら、縁起でもないからこんなことはしないが、今回は、行ったら、帰らないのだ。特別だった。
手をしっかり握られたり、年上の操縦士には髪をくしゃくしゃにされたり、にぎやかで、明るいさよならを交わす。互いの目指す星系が近い相手とは、また会おう、と言う。とくにジェドたちは、航路は違うが、目的地はすぐ隣だ。視線で激励をおくり、彼もそれを返してくる。オリには僕から近寄っていって拳を合わせた。
「向こうで会おう。ジェドを頼むよ」
「頼まれた。そっちは北十字航路か。全然心配ないなあ、オルタとソウさんだもんな」
オリは同い年で、少し後輩にあたる。もっとも、彼の方はちっともそう思っていない。にかっと笑ってみせた。
移民の乗船は数時間前からはじまっていて、滞りなく終わり、それをうけてまず護衛機が離陸した。黄色い光が宇宙空間に飛び出していき、バリア壁の境界を出たところで点滅を繰り返した。
続いて先進機の番だ。飛行服と防振メットを装備した僕もはしごを駆け上って愛機に乗り込んだ。横の機にはソウがいる。整備士たちが必死に格闘したおかげで、損傷の跡は、少なくとも目では見えない。
格納庫の反対側ではオリとジェドも待機している。待機所のガムリルのうしろでは、流星乗りたちが大きく手を振っている。僕も彼らに向かって手を振り返し、エンジンを駆動させた。あとの三機も機体を震わせている。ソウが僕に合図を送り、先に発進させた。きらめく青い光が宇宙に吸い込まれるのを待って、僕も船をふわりと浮かせた。解き放たれる瞬間だ。ソウの軌跡をなぞって、船団に与えられた座標へと向かう。
「ようこそ、我が家に」
すぐにソウから船団用通信が来た。通信確認も兼ねている。
「待ち伏せがあると思いますか? ソウさん」
「どうだろう。前にこっぴどくやっておいたから、怖気づいてくれればいいが」
「むしろ来てほしいですよ、僕は。共闘するのって久しぶりじゃないですか」
「できれば遠慮したいな」
答える声は若干の笑いを含んでいる。飛んでいるときの方が愛想がいいともいわれるソウだ。僕と似て、宇宙にいるのが居心地がいいのだ。
護衛機からも通信が入った。低い男の声だ。
「よろしく。有名なオルタと飛べて光栄だ。元気になってくれて助かった」
「こちらこそ」
船団の長は、今回は彼が務めている。輸送船はついてくるだけだし、先進機は忙しいし、全体の指揮は護衛機が担うのが通例だ。
まもなく輸送船の巨大な楕円形の船体も合流して、挨拶が送られてきた。輸送船を中心に陣形を整え、護衛機から送られてきた航路の座標へと進み始める。
機首を回しながら、これで最後と、母星を背景にした軌道周回船を眺めた。
漆黒の穴の中に、ぽっかりと光る命。その息吹。母星の青と赤。それはいつ見ても美しく完璧で、そして悲しい。僕たち人間は母星でなくとも生きていけるようになったが、こんなに綺麗で温かい星はほかに一つもないだろう。僕たちはそれを捨てていくのだ。
母星を背に、船団は定められた速度で北十字を目指す。
星間で座標をとっているから、数字の流れで位置がわかる。その変化がなければ宇宙船というのは動くのも制止するのも同じことだ。宇宙は虚無だから。僕たちは何もない空間に浮かんでいる。方向もなければ時間もない。永遠に穴を落ちている途中だ。
船団の水平面から右下、つまり僕の右膝のあたりをのぞくと、ジェドたちの船団の光がまとまっているのが見えた。
航路に着くまではやるべきこともなく、僕は操縦桿に手を添えただけでぼんやりと思いを巡らせた。
船団の居住星の座標はすでに船に送られている。先遣団は順調に生活し始めている、らしい。僕たち流星乗りにはそうした情報があまり届かないし、興味を持つこともない。「イスタス」という名前が付けられたその目的地へ、無事に先導できる自信はある。その先は知らない。
どうやら、これからは「その先」を考える必要がある。なんて面倒なのだろう。考えることはいつもジェドに任せてきた。流星を駆って飛べれば、僕はそれでいいのに。それだけでいいのに。船を降りた、地上でのことなんて――。
ぱっと、火花のように彼女の笑顔が浮かんだ。
僕ははじけるように身を起こし、左手の通信ダイヤルをまさぐった。なんでもいい、つまらない報道でもいいから、気分を変えなければ。
軌道周回船の定期放送、雑音、船団の回線、輸送船の操縦士らしい男の会話、偵察機同士のやりとり、雑音。適当に回し続けていると、輸送船内部の娯楽放送らしい音楽にいきあたる。居住星の明るい未来を語っている。
空虚な言葉も耳障りで、もうひとひねりすると、また音楽が聞こえた。
これも輸送船にいる移民向けだ。かすれたような男の歌声が、単純な言い回しで、郷愁を奏でている。季節がどうのと言っているから、かつての母星のことだろうか。
計器を確かめておこうかと手元を探ってみる。離陸する前に、念入りすぎるほど確認しているが、やって悪いことはない。オリなら自分のお気に入りの娯楽映像を持ち込んで暇をつぶすらしいが、僕には大した趣味もない。
ゆったりした歌の波が寄せている。
陳腐な歌詞のどこが引っ掛かったのかわからない。気づいたときには、僕は操縦桿にしがみつくように体を折り曲げて、息ができないくらい流れてくる涙に圧倒されていた。
歌の中で彼は誰かを待っているんだな、と思っただけだ。それだけだ。
震える右手で防振メットをもぎとり、ぐちゃぐちゃに顔をぬぐう。袖がしぼれそうに拭いても、足りない。新しい病気かとも思った。こんなに、何もできないくらい、どうして、あの人の姿ばかり浮かんでくるのだろう。
息をついて、必死で半身を支え、ダイヤルを探った。計器がにじんでいる。星が見えない。真っ暗な深淵に向かって落ちていく。ところどころに光る目印。勘で左手を伸ばすと、丸い形に触れた。叩くようにそれを切り替えた。
嗚咽をのみこんで口を開く。
「ソウさん」
船団用でも、戦闘用でもなく、個人用通信だ。隠しようがないくらい涙声になっていた。
「どうした? オルタ」
ソウが応えた。そばを飛んでいるから雑音も時差もない。
「どうしよう。涙が止まらないんです」
さっきより長い間をおいて、ソウの声がする。
「……機体に異常はないんだな?」
「はい」
「地上時間であと二十六分ある。どうにかできそうか」
顔をごしごしこする。計器が、数字が、はっきりしてはまたぼやける。一瞬晴れたガムリル窓の先には北十字星。三番航路の目印。好きな星はたくさんあるが、僕はその中でも北十字星が好きだ。難所を示すから、というのもあるし、連星があるのがなんとなく好きだった。
それが今はちゃんと見えない。
一つに溶けて、僕の目に映る小さな星。見かけの連星だと知っている。実際は、二つの星の距離は果てしない。だけどここから見れば、並んで光っている。
鼻をすする音しか聞こえていないだろうソウは、変わらない平坦な口調で続けた。
「聞いてほしいことがあるなら、降りてから聞いてやる。向こうでの時間はいくらでもあるから……」
静かなソウの声は、流星の中をさざなみのように満たした。
左、やや前方の青い光。斜め後方の黄色。目視ができない背後には赤と白。僕たちはそうやって存在を主張する。輝かなければ存在しない。落ちなければ飛べない。目指す確かなものと比べてしか、自分の位置もわからない。
生きているって、こんなに悲しいことなのか。
カチッと切り替え音がして、護衛機が淡々と告げる。
「あと二十分」
了解の意味で、各機からクリック音が返される。
僕も通信機に手を伸ばした。あの人はどの輸送船に乗っただろう、と一瞬考えた。もう会えないというのは、何も伝えられないということと同じだろうか。
一呼吸の間だけ、考えた。それから通信機に触れた。やや遅れた了解の合図がこだまする。聞こえたのは船内だけだ。船の外には何もなく、音は伝わらない。それでも僕の返事は虚空を飛んで、船団に共有され、数秒後には、暇をもてあましている操縦士のやりとりが聞こえてきた。僕はそれに耳を傾ける。涙の名残があごに流れた。
僕たちの前には、北十字が両手を広げていた。
はじめて投稿します。勢いにまかせて書いたのでおかしいところもあるかもしれません。主人公視点なので細かい設定はわざと掘り下げずに流しています。つかみどころのない展開になってしまいましたが、これも主人公の性格を表しているということで。少しでも楽しんでいただければ幸いです。