居酒屋「水原」
次の週も、また次に週も、文雄は源三に会いにやってきた。源三はいつも同じ、薄汚れたジャケットを着ていた。
居酒屋『水原』。今まで月一回だった文雄も、週一になりすっかり常連の仲間入りだ。最近はおまかせでも、文雄の好みにあわせた料理が出てくる。源三とたわいもない話をしばらくする。
「女将、ツケで。」
そういって、毎回源三は帰って行く。
「女将さん、源三さんっていつもツケでっていうけど、取りっぱぐれとかしてません?」
あまりに心配になって、文雄は他の客に聞こえないようにそっと尋ねた。
「大丈夫ですよ。」
女将は、にっこりとしてあわただしく動いている。
次の週も、気になって尋ねた。
「そんなに心配ですか。うちの店の名前で思い当たりません?」
謎解きは苦手だ。しばらくだまっていると、
「水原。水偏に原。」
女将さんが、見かねてヒントをくれた。
「水偏ってサンズイですかね。」
そういって気づいた。『源』。
「源さんはここのオーナーです。」
じゃあ、ツケって何だ?
「毎週、店の様子を見に来るんですよ。はじめの頃は、そのまま帰っていたら、お客さんに無銭飲食と間違われて。それからは、ツケでって言うようになったんです。」
よほど当時は面白いことでもあったのか、女将は思い出し笑いをしていた。
「女将は、源さんに身内?」
「いえ、ただの雇われ女将。昔、源さんの工場で働いていたってだけで。」
「でも、源さん年金生活って。それに、オーナーならもう少し綺麗な格好ができるでしょ。」
女将は周りに客が居ないのを確認して
「あのほうが、お客さんと話しやすいですって。」
と、小声で言った。
身なりのいい紳士がいつもいては、客も気になってしまうらしい。薄汚い老人なら、警戒されないし、客も気持ち良く酔えるということだった。この店も工場を売ったお金で建てたらしい。奥さんはすでに他界し、娘さんが週一回様子に見に来るという。娘を駅に見送った帰りにお店に寄るそうだ。
知れば知るほど興味が湧く。何か作品になりそうな予感が文雄にはしていた。