バーナーライター
翌朝、文雄は居酒屋からどうやって帰って来たのか思い出せなかったが、源三のことだけは不思議なくらいにしっかり覚えていた。
大谷源三。ネットで調べたらすぐに解った。火の消えないライターを世に出した一人だ。普通のライターは、ガスを噴出して、周りの酸素によって燃焼させる。しかし、彼の作ったライターは、下から空気を取り込むことで、ガスと空気を混ぜて噴出させる。それはガスバーナーの原理だった。
発売当初は、バーナーライターと呼ばれ、野外でも火が消えにくいとヒット商品となった。似たような商品も数多くあったが、彼の商品が優れていた点は、ガスと空気の両方の量をひとつのリングで自在に調整できることだった。ただ、その調整リングの製造元が倒産し、源三の工場も倒産。その後、リングなしの商品を開発し現在もそこそこ売れている。
「商品名を口にだしたらどうなるかな。すぐに、老いぼれの話なぞ、興味を失う。」
老人の言葉が、頭の中に蘇ってきた。
「毎週同じ時間に店に来るのよ。理由?口止めされてるのよ、ごめんなさい。」
女将の言ったとおり、次の週の夜も同じ時間に源三は同じ席に座っていた。
「おや、小僧。また着たのか。」
源三の隣があくのを待って、席を移動した。
「じいさん、バーナーライター作ってたんだって?」
「なんじゃ、調べたのか。聞きたいことがあるって顔だな。」
源三はちらっと横目で文雄をみると、おでんをぱくついている。
「じいさん、いや源三さんが辞めた理由がどうも納得いかなくて。」
文雄は、先ほどホームセンターで買ってきたライターをカウンタに置いた。
「ほう、まだこんな骨董品を売ってたかい。」
源三は調整リングつきのライターを目を細めて眺めていた。
かれの話によると、債権会社が源三が会社を辞めるか倒産するかを迫ってきたそうだ。そして、全従業員ごと引き取るという条件で経営から身を引いた。後に、源三の会社を安く買い叩くために、債権会社と結託した銀行がリングメーカーを計画倒産に追い込んだという話を人づてに聞いた。
「まあ、商品は世間の役に立ったんなら、どっちでもいいさ。」
彼は、深いしわだらけの顔でうまそうにおでんの卵をほおばった。
「わしの商品で、人々の暮らしが楽になる。発明者にとってこれ以上の名誉はないわい。女将、わしのおごりじゃ、小僧にもおでんを。」
女将にそういうと、こんどは湯気のあがっている大根を箸で割りながら口に運んだ。
「ここのおでんは天下一品じゃ。」
そういわれて、出されたおでんの汁をすすった。とくに変わったところはない。むしろコンビニのおでんのほうがうまい気がする。大きな大根をほおばる。適度にやわらかく、だしが染みていていい塩梅だ。
「わからんか。青いのう。おぬし、普通おでんを食うときどうする。」
どうするって、普通は熱々の具をふうふう吹いて冷ましながらたべる。
「ここのは、熱いか?」
そういわれて気が付いた。大根をいきなりほおばったが、やけどなどしない。
「この気遣いじゃ。ここに居る連中はみな酔っ払いよ。出されたおでんをいきなりほうばるなんてざらだ。だから一旦低い温度の鍋で適度に冷めた具を出してくる。料理は味だけじゃあない。食べる人への気遣いが料理の真髄よ。じゃ、またツケで。」
源三はそういって、前回とおなじように千鳥足で店を出て行った。