大村源三
彼は悩んでいた。
「どうすれば、世間が注目してくれるだろう。」
谷文雄。しがないフリーライタの身では、生活費もままならい。せめて一本、ヒット作が欲しい。
「谷さん、事実の羅列をしても売れないよ。もっと、読者が興味を引くような演出はできないんかね。」
いつもの担当にぼやかれる。不定期ながら細々と雑誌のコラムに載せてもらっているが、それもいつ打ち切りになるかわからない。
「そんなことはー、言われなくても・・・解ってますよ!」
帰りに一人居酒屋で、女将相手に愚痴る。
「あら、また編集社で何かいわれましたか?」
美人とはいえないが愛想のよさそうな中年の女性が、彼の前の徳利を取り替えながら愛想笑いを浮かべる。
「ジャーナリストじゃないんだ。盛って書きゃ読者に気に入られることぐらい解ってるよ。だがな、それはできねえ。嘘を書けば、傷つく奴が出る。根拠もなしに書くことは俺のプライドが許さねえ。」
「プライドで飯が食えるのかね。」
隣の席の薄汚いジャケットの老人がつぶやく。
「ちょっと源さん、焚き付けないでくださいな。」
女将が止めに入るが、酔っていても文雄にはしっかり聞こえていた。
「へん、落ちぶれた老いぼれに何がわかんだよ。」
酔っている上に、体力に自身のない文雄は、こう言い返すのがやっとだった。
「解るよ。でも解りたかねえや。」
そういって、女将が持って来たばかりの手つかずのおでんの器を、文雄の前へとずらす。
「源さんは、昔は工場の社長さんだったのよ。」
女将がカウンタ越しに文雄に告げた。
「工場たって、そんなたいそうなもんじゃねえ。それに、もう俺の会社じゃねえしな。」
大村源三。通称、源さん。数年前まではどこかで社長をしていたらしい。取引先の倒産で、連鎖倒産。会社は人手に渡ってしまった。
「幸い、従業員をまとめて引き取ってくれる会社があってな。俺は、責任を取ってやめたが、そのお陰で気楽な年金暮らしよ。」
源三は手に杯をもったまま、左のほほを引きつらせるように笑った。
「どんな会社だったんです?」
「そいつは、内緒だ。」
源三がそういうと、
「ほとんどの人がお世話になっているものよ。」
女将さんが口を挟んできた。
「ほれ、言わない約束じゃろ。」
「はいはい。解ってますよ。」
女将さんはそそくさと別の客のほうへ向かった。
「どうして内緒なんです?」
「気になるか?どんな気持ちじゃ。」
文雄は、早く知りたくて、そわそわしていた。目の前の年寄りの言葉を一言一句聞き逃すまいと、そのしわだらけの顔に見入っている自分に気がついた。
「今、おまえさんは、あれかな、これかなと色々と想像しとるじゃろ。謎を解決したくてうずうずしておる。興味がわくじゃろ。しかし、わしが商品名を口にだしたらどうなるかな。すぐに、老いぼれの話なぞ、興味を失う。」
文雄は、なるほどと思った。それでも、物書きとしての好奇心が彼を駆り立てる。
「会社とられて悔しくないんですか?」
「まあ、自分で製品が作れんのは寂しいが、わしの作り出した子供たちを見かけるとうれしくてな。女将、ツケで頼む。」
そういい残すと、その老人はふらふらと店を出て行った。