王都への侵入
「なかなかすごいな」
一日走った先にあったのは、大雨の後かと勘違いするほどの激流だった。なるほどこれがシーサーペントが海に流されていくという河か。幅はざっと五百メートルほど。エリスが飛ぶには少し長いし、さすがに荷車を担ぎながら跳ぶのは無理だ。
下流の方に橋があるが、通行料を徴収しつつ、検問のような事もしているらしいので、通るわけには行かない。
と言うことで、早速荷車に施した改造の出番だ。
「よし、行くぞ」
「はいっ」
新しく追加した魔法陣に魔力を送り込む。事前の実験ではエリスがこれをコントロールするのは無理だったため、リョータが運転する。
「行っけええええ!!」
河に向けて加速しながら魔力を込めると、車輪の真下から前方数メートルほどまで鉄道の線路のように場が生成される。エリスの靴の原理を応用しているのだが、作る場の広さが大きい分、消費する魔力量も多く、コントロールも難しい。
だが、さすがに魔法で作られただけあって、真っ平らに作られるため、荷車の速度はドンドン上げていける。
「行ける!行けるぞ!」
「すごいすごい!」
かなり微妙なコントロールをしないと、すぐに場から転落してしまうので、エリスには動かないように言い含めてあったが、それでも大はしゃぎだ。
「半分まで来た!」
「リョータ頑張って!」
無理な加速はせず、現状維持のままで進んでいく。
この激流に落ちたら、こんな荷車あっという間に粉砕されてしまう。勢いは大事だが、慎重に。
「あと少しだよ!頑張って!」
「おう!」
エリスの応援の甲斐もあって、無事に対岸まで渡りきった。
「つ……疲れた」
「お疲れ様。大丈夫?」
「少し休めば」
エリスにゆっくり走らせるように頼んで、ゴロンと横になり毛布をかぶる。これ、あと何回やるんだろうか?
隣の街まで馬車で五日と聞いていたが、二日目にして高い壁に囲まれた街が見えてきた。ウォルテ同様、海に面しており大きな港も見える。どうせ面倒事もあるだろうからと、山側へ大きく迂回してやり過ごす。街の名前?知らんがな、だ。
で、この先馬車で八日ほどで王都らしい。このペースなら三日か四日で着くだろうか。
「あれが王都かぁ」
「うわぁ」
王都のある辺りは平野部が狭く、山と海の間が五キロ程度で、王都はその幅一杯の広さとなっていた。つまり、どういうことかというと、街を回避して進む方法が見当たらないのだ。
「山は断崖絶壁みたいな感じだし、海はかなり荒れてそうだし」
「どうしよう……」
街壁の高さは十メートルほど。門が三箇所にあり、警戒も厳重そう。とてもじゃないが、偽造した住民証なんて通用しないだろう。
「エリス、残念なお知らせだ」
「な、何かな?」
「あの街をどうにか越えようとする方法を色々と考えたんだけど」
「うん」
「荷車を持って行けない」
「ええええ……」
イヤ、そこまで落ち込むかね、と言いたくなるほどに落ち込んでしまった。
外壁を越えるだけなら、エリスが跳ぶと言う方法もあるし、魔法で壁に穴を開けるという強行突破も出来る。だが、街の構造がよくわからないので、飛び込んだはいいが周りを囲まれるとかありそうで怖い。
「……となると、アレ……かな?」
「アレ?」
馬車を走らせていたモーガスは、道ばたに男女二人が座り込んでいるのを遠目に見つけ、少しばかり警戒を強めた。王都近くの街道ではあるが、見知らぬ他人に警戒するのは癖であり、彼のような商人が生き延びるための知恵でもある。
警戒しながら通り過ぎようとしたが、女の方が先にこちらに気づき、男の方に声をかけながらこちらに手を振っている。二人とも薄汚れているが、身なりはきちんとしており、悪人には見えないので思わず馬車を止めてしまった。
二人が馬車に近づいてきたので、右手を懐に入れ、短剣を握りしめる。万一の時の保険だ。
「あ、あの……すみません、驚かせるつもりはなかったんですが、助けてください」
女の方が懇願するように言う。この辺りではあまり見かけない獣人だが、その服装は大手商会の使用人が着るそれに似ている。そして、男の方はと言うと、これまたモーガスの息子が十二、三の頃に着ていたような服装だ。
「エリス、これは僕が話すよ」
少年がそう言って前に出てくる。
「突然ですみません。家名は言えませんが、ガストーと申します。実は……」
ガラガラと馬車を走らせながら、つくづく自分もお人好しだと思う。ウォルテのとある商会の五男坊だというガストーは、使用人のエリスという獣人と家出し、歩いてここまで来たのだという。
家出の理由は、政略結婚がイヤだったから。
商会程度で政略結婚なんて珍しいと思ったのだが、どうも経営状態が思わしくなく、さほど地位は高くない貴族に支援を願い出たところ、婿養子を寄越せと言われたのだという。
そこで、妾腹の五男のガストーを差しだそうと言うことになったのだが、その相手が五十代の独身次女。いくら何でもそりゃ無いだろうと逃げだし、ストムを出ようとしているのだが、王都を超えることが出来ず、困っていたというのだ。
なるほど確かに、王都に入るときに彼らの住民証を見せたら、すぐに追っ手が来るだろうと気づくとはガストーは歳の割に賢いようだ。
王都に入り向こう側へわたるだけなら、モーガスの荷物の奥に紛れ込んでしまえば十中八九大丈夫。だが、それなりのリスクを負うし無料では、と難色を示したらとんでもない物を出してきた。
家を出るときに倉庫の奥から持ってきたという、青い液体の入った小瓶。その色合いはモーガスがもう二十年以上前に一度だけ見て、いつか扱ってやろうと夢見ていた、ドラゴンの血だ。
これが対価だというのなら、王都の向こう側どころか、ストムを出るまで面倒を見たってお釣りが来る。
そう言ったら、国境までの街や村についての情報でいいと言うので、馬車を進めながら話して聞かせた。街と街の距離、どの程度の規模か。横をすり抜けていけるか。ある程度国内を行き来している商人なら常識だが、ガストーはまだこれから教わることだったようで、興味深げに頷きながらメモを取っていた。文字の読み書き、計算くらいまでは終えていると言うことは、その商会、そこそこの規模なのだろう。揉め事に巻き込まれるのはゴメンなので、商会の名前は聞かないが。
「そろそろ王都だ。潜っていてくれ」
「はい」
声をかけると、荷台の中で箱の中に潜り込む音が聞こえる。チラリと確認したが、不自然には見えない。問題なく通れるだろう。
「次」
「よう、ご苦労さん」
「モーガスか。村の様子はどうだった?」
「特に何も無し……ではないな」
「何?!」
「村長の隣の家、息子夫婦に子供が生まれそうだってよ」
「そうか」
「来月辺り、何か祝いを持って行かないとな」
「はははっ、大変だな」
「ま、これも商売さ」
そんな話をしながら、「これも規則なんでな」と住民証を出すように言う。
「よし、通っていいぞ」
「あいよ、ご苦労さん」
王都へ入るのは成功したようだ。
そのまま馬車を走らせて、自分の店に。まあ、店と言っても、ここに客が来て何かを買っていくことはほとんど無い。王都近くの村での商売がメインのモーガスの店は、ごく稀に村人が「今度来るときに○○を持ってきてくれないか」という注文受付窓口でしかなく、敷地の大半は倉庫だ。
倉庫に馬車を入れるとそっと声をかける。
「出てきていいぞ。ただ、静かにな」
ありがとうございます、と礼を言いながら二人が出てくる。
「今日はもう遅い。泊まっていけ。大したモンは出せないがな」
「いえ、色々よくしていただいているだけでも充分です」
「ははっ、このくらいお安い御用さ」
客間として使えそうな部屋に案内しつつ、明日の出発について話しておく。
九時頃に門が開くので、それに合わせて出発する事くらいしか話すことはないが。
モーガスは早くに妻を亡くし、息子も王都の比較的大きな商会で働いているし、働いている者も通いのため、一人暮らし。そんな彼だが、この晩は実に十年ぶりに夕食の食卓が少しだけ賑やかだった。あまり騒ぐと不審がられるので大きな声を出せないのが残念だが。




