商会幹部
さてこれはどう判断すればいいのだろうか。目の前に置かれたナイフを見つめ、考える。
カレン自身は刃物の専門家では無い。だが、素人目にもこのナイフの異常性はわかる。
「軽く添えるだけで石をスパスパ切るナイフなんて、聞いたことが無いわ」
「私も記憶にございません」
思わず呟いた言葉にアンセルムが答える。
「ふふっ」
「失礼しました」
「いいのよ」
普通なら、主人であるカレンの独り言に答えるなんて、執事にあるまじき行為だが、今度ばかりは許してしまう。
魔力を込めるだけでスパスパ切れる。込めた魔力で切れ味が変わるが、サンドワームの皮程度なら僅かな魔力で切れる。
下に敷いたものも切れてしまうので注意。手指もお構いなしに切れるので注意。
普通の刃物同様に使っているうちに切れなくなるが、研ぐことは出来ない。砥石のスライスが出来るだけだから。
リョータの言った、使用上の注意は普通ならあり得ない内容だが、このナイフなら確かにその通りだと言える。
切れ味が落ちたときのためにと追加で二本渡され、これ以上は渡せないという。
作ることは可能だが、材料が無いから無理だと。なら材料を入手すればよいかと聞いたら、簡単に手に入るが、今のところ追加を作るつもりはないという。
こんなとんでもない代物をあの少年は作ることが出来ると言う。とても信じられないことだが、このノマルド王国一の商会相手にフェイクを入れているとしたらそれはそれでなかなかの胆力だ。
「アンセルム、どう思う?」
「そうですね。全てが本当とは判断できかねます。しかし、この切れ味に嘘はありません。つまり」
「つまり?」
「彼らは、この先さらに旅を続けると言っていました。その旅を邪魔するな、と言うメッセージだと受け取りました」
「なるほどな」
演劇の企画については伝えた。普通ならば、細かいところまで口を挟み、もっと利益を出すために商会に関わろうとするだろうに、そういう素振りが全く無い。
逆にこちらとしては、二人を手元に置き、色々と活躍して欲しいと思っている。もちろん高額な報酬を約束できるが、それを口に出せなくなった。
「これだけの切れ味の刃物を作る方法を知っている……そして、ナイフで無く、短剣としても使用している……」
無理に拘束しようとしても、こんな切れ味の武器を持った二人をどうやって抑えるというのだ。聞いた限りではドラゴンすら切り裂いたという切れ味だ。
「つまりこれは……己の実力を示しつつ、これで出せる利益で満足しろ、ということか」
「いろいろな解釈が出来るでしょうが、それも一つの解釈かと」
「あとは……そうだな、このレベルのナイフをいくらでも、他の商会に持ち込めるんだぞと言う……こちらの出方にいくらでも対応出来るという手札のうちの一つを示して見せたか」
「ええ」
一応、彼らがノマルドやラウアールに戻ってくるつもりがあるのか、戻ってくるならいつ頃になるのか、そのあたりは確認しておいた方がいいだろう。
「おっと、その前に。サンドワームの皮を買えるだけ買わねば」
「ではすぐに手配を?」
「そうだな……いや待てよ……他にも色々考えねば……」
加工の難しい素材を簡単に加工できるなら、今回買い付けた倍、いや十倍……買えるだけ買っても問題ない。今までは加工に月単位、年単位で時間がかかってしまっていたが、普通の革製品加工と同程度の期間で加工できるなら話が変わる。
王都の商会本部に戻ったらどれだけ忙しくなるのか。そして、どれだけ儲かるのか。
エピナント商会は規模こそ大きいが、設立が父の代と新参で、貴族や王族とのつながりは薄く、いつも老舗商会の後塵を拝してきたが、これで一気に名実ともにノマルド一になれる。
「くふふふ……」
必死に笑いをこらえようとしたが、こらえきれない。
自分でも悪役っぽい笑い方だなと思いつつも、止められない。
「アンセルム、王都まであと二日だが、明日は少し無理をして移動する。明日中に王都に入るぞ」
「畏まりました。すぐに準備をしておきます」
「ああ、戻ったらすぐに会議だ。商会の行く末を左右するほどの」
商機を逃すわけには行くまい。
「何か、疲れてません?」
「大丈夫だ」
「そうですか……」
昨夜投下した爆弾のおかげで、カレンさんはほぼ徹夜だったのだろうか。
この先どう出てくるかはわからないが、こちらの意図は伝わっているようだ。これなら旅の邪魔をしてくることはないだろう。
「それにしても、今日中に王都まで行くって……大丈夫なんですか?馬とか」
「それは心配しなくていい。一日くらいなら急がせても平気だし、時々少し走らせてやると機嫌も良くなるらしいからな」
「そうですか」
馬は走るのが好き、って何かで聞いたような気もするし、そう言う物なのかな。
「ところで……」
カレンさんとの他愛もない話は思いのほか弾んだ。いや、他愛もないというのは失礼だな。この国……いや、大陸西側にあるいくつかの国の情報を色々と教えてくれたのはありがたい。
特にありがたかったのは、
「ノマルドももう少し北の方に行くとそろそろ雪の季節だ。用意はしているか?」
「雪の用意ですか」
「ああ。寒いだけじゃなく、場所によっては雪道を歩くことにもなる」
ダムドからもらったメモは雪道については書かれていなかったな。いや、そもそもこの世界では雪が積もるような時期に長距離を旅するという想定がないのだろう。
「うちの従業員で数名、雪道に詳しい者がいる。リョータたちさえ良ければ紹介するぞ」
「お願いしても良いんですか?」
「お安い御用だ。何が必要になるかよく聞いておくといい」
「ありがとうございます」
「ああ、そうそう。このぶんだと王都に着くのは夜になる。宿を探すのも手間だろうからそのまま商会に泊まるといい」
「えーと……」
「おそらく閉門ギリギリの時間に着く。王都の宿はピンキリだし、おそらく今の時期だとどこの宿もほぼ一杯だ」
「今の時期?」
「もうすぐ王都で祭りがある」
「へえ」
「冬を前にした年に一度の祭りだ。かなり人も集まる。どこの宿も人出を見込んで集まり始めた商人で一杯か、かき入れ時のために大掃除をして部屋が使えないかのどちらかだ」
「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「うむ」
と言っても祭りまであとひと月ほどあるらしいので祭り見物は出来そうに無い。
昼過ぎ頃に、一つの村を通過し、カレンの言った通り、閉門ギリギリの時間に王都ノマルドに到着。
「このまま商会へ。ここまでの護衛依頼の件は明日、冒険者ギルドで手続きをしようと思うが、良いか?」
「構いません」
到着した商会本社とも言える建物はモンブゾンの建物よりもやや小さかったので少し拍子抜けしたが、実はノマルド内にいくつもの建物があり、全体の規模はモンブゾンよりも大きい。ここにあるのは本部機能のみ、店や倉庫は他にあるというわけだ。
アンセルムに案内されて客間で旅装を解き、食堂へ。と言っても、カレンさんは早速大忙しらしく、なかなかの広さの食堂でエリスと二人きり……いや、壁際にメイドさんたちが並んでいて、何かと世話を焼いてくれた。
「何食べたかあまり覚えてないな」
「私も」
「ずっと、じーっと見られてるって、慣れないな」
「私、フォークで肉を切ろうとしちゃいました」
「あはは。俺なんかナイフをスープの中に入れちゃったよ」
そんな感想を言いながらベッドに潜り込む。一応別々のベッドだが、朝になればエリスが潜り込んできているんだろう。
「報告は聞いたが……」
「信じろと言われてもな……」
リョータたちが呑気な話をしている一方で、カレンの緊急招集により、商会幹部が会議室に集められていた。
だが、カレンの父である会頭はもちろん、二人の兄と弟、一人の姉――もう一人の姉は別の街にいるため不参加だ――はリョータから受け取ったナイフの切れ味の報告を受けても全く信じていない。
「このナイフがねぇ……」
「お疑いでしたら、どうぞ試してみて下さい」
「どれ……」
そっと鉄の棒に当てると、ストンと切れた。
「「「おお」」」
結果がわかっているカレンも改めてその非常識な切れ味に驚愕する。
そして、カレンがリョータから聞いた情報を伝えていくと、全員が難しい表情に変わる。エピナント商会はカレンの父が一軒の雑貨屋から一代で築き上げた商会だ。色々と難しい交渉の経験は多く、まさに海千山千の連中だが、
「手出し無用、か」
「そうですね……」
「下手を打てば、他の商会に掻っ攫われます」
「うーむ……」
事前にアレコレ魅力的な提案を見せていたのだが、リョータの反応は今ひとつ。旅の目的地もはぐらかされた。エリスについては盗賊から助け出し、何となく一緒に行動していると、明らかに何かを隠しているとしか言いようのない話だった。
よって、普通の冒険者が飛びつくような話を持ちかけても意味は無いとカレンは判断し、他の者もその判断に異を唱えなかった。
そしてカレンが妥協点として、この先の旅の助けを提案したことを告げる。
「落とし所としてはそのくらいか」
「はい……」
これが普通の冒険者なら少しばかり金を積めば色々と動いてくれるのだろうが、リョータのこれまでの経歴を聞く限り、かなりの額を稼いでいるはずで、少しばかりの金額ではなびかないだろう。
「そうだな……こうしよう」
会頭が程々の内容を告げた。商会にとって損が出るほどのことも無く、リョータ達もさほど負い目を感じない、微妙なライン。
エピナント商会の方針は決まった。




