シリカ
「……看板が出ている。そこ以外は団体向けだからな。二人で泊まる宿ならそこだ」
「ありがとう」
「おう」
シリカの街に到着したのは予定通り十日目の夕方……とはならなかった。途中で雨のため足止めを食らい、二日遅れの到着だ。この世界の徒歩旅なんてそんなモンだし、一日二日を急いでも得はないだろうからと、宿の主人が勧めるままに雨の日はのんびりと過ごしていた結果、十二日間かかったというわけだ。
入り口の衛兵に宿の場所を聞いてから街に入るが、既に日も落ちてきており、人通りも少ないこともあって街はかなり暗く、静かだった。
シリカはラウアールとノマルドの国境の街で、海を挟んで南北に分かれている。街を分けている海はそのまま魔の森へ繋がる高い山――と言うか、断崖絶壁――にぶつかっており、東西五キロ程の長さの入り江になっている。ちなみに東にある断崖絶壁は高さ千メートル以上あり、頂上まで登った者もいなければ、この崖を伝って南北を渡りきった者もいないほどの素敵な角度だから、南北の行き来は船。そしてラウアール側、つまり南シリカは……ぶっちゃけ寂れている。これはノマルドの方が国としては大きいことが理由で、その影響から街の主要な機能が北シリカに集中しているためだ。南側には住宅街と少しばかりの日用品を取り扱う店、数軒の宿がある程度。衛兵の詰め所も街の入り口に小さな事務スペースがあるだけで、衛兵たちは北の詰め所から毎日船で渡ってきて街の警備に当たっているそうだ。ご苦労様。
南北を行き来する船にも色々とあるのだが、一番安くて便利なのが定期連絡船。だが、日が沈むと終了してしまうので、今日はもう無い。港へ行けば余程のことが無い限り、すぐに乗れるそうなので、そのまま宿へ向かう。宿で二人部屋を取り、そのまま食堂で夕食。期待通り、魚料理――シンプルに焼いただけ――が出たが見たこともない形の魚だった。白身で淡泊な味がとても美味かったが、魚の名前はわからずじまい。ま、良いか。
「ごちそうさま」と声をかけて宿の部屋へ向かう。宿の主人夫婦が妙にニヤニヤした視線でこちらを見てくるが、ぶっちゃけここに来るまでの間にそう言う視線には慣れた。どこの村でも程度の違いこそあれ、そう言う視線ばっかりだった。中には
「声が聞こえないように隣が空き室の所にしましたから」
と、余計な気を回したところもあった。何の声が聞こえるってんだよ。
翌朝、荷物をまとめて宿を出るとそのまま真っ直ぐに港へ向かう。定期連絡船乗り場は看板も出ていてすぐにわかり、二人分の運賃を支払って船着き場へ。あと数分で船が来るというので海を眺めながら待つ。
「ここの海は静かですね」
「そうだな。入り江になってるから波が高くならないんだよ」
「へえ……」
工房すぐ近くの海岸はそのまま外洋に通じていることもあって日によっては波が高い。ここは入り江のかなり奥の方だし、ここの入り江の入り口は複雑な地形になっているらしく波がそこでかき消されてしまうこともあって、海面はとても穏やかだ。幸いリョータは船で酔った経験は無いが、この様子ならエリスも心配要らないだろう。そんなふうに海を眺めていたら、「船がもうすぐ着きますよ」と係の人が呼ぶ声が聞こえた。短いけど船旅だ!
空高くそびえるマストに大きく広げられた帆。船員たちがロープを手に風向きに合わせて帆を操り、颯爽と水面を走る船!ロマンの固まりだ!
と、思ってたんだけどね……
ゆらゆらと揺れる船から海面を眺める。
それほど透明度が高いわけでもないので魚の姿が見えると言うことも無く、ただ青黒いだけ。
それでもエリスは興味深そうに身を乗り出しているので、「あまりの身を乗り出すと落ちるよ?」と一言注意しておいたが、この船から落ちたところですぐに助けられるだろう。
こんな、手こぎのせいぜい十人くらいしか乗れないような船なら。
「男のロマン……海の男……はあ……」
「んー?何か言ったかい?」
「あ、いえ。何も」
小さな船はおっちゃんが一人で櫓を漕いで進んでいく。
波も穏やかで、海流と呼べるような流れも無いこの入り江は、こんな手こぎの船でも簡単に往復できるので、大して荷物の無い乗客ばかりの定期連絡船は、こんな感じの手こぎ船。人数が多いときでも大きな船は使わず、予備で待機している船が出るだけ。
商人が大量に荷物を運ぶような船もあるが、それでも帆を張って進むような船は無く、大勢で漕いでいくタイプしか無い。
まあ、そんなモンだよね。
やがて船が対岸に到着し、「ありがとう」と声をかけて降りる。
北シリカに入ったわけだが、港を出るまでは国境を越えたということにはならない。
港の出口に検問所があり、ここを通過することがラウアールからの出国でノマルドへの入国になる。海を渡る度に出入国だと、何かと面倒なのでこう言う仕組みになっているんだとか。
「えーと……名前はリョータ……身分証は、冒険者証か……え?Cランク?!」
「あ、はい」
「へえ……すごいもんだ」
「あははは」
「で、こっちは?」
「同行者のエリスです」
「一応身分証を」
「はい、冒険者証です」
「へえ、こっちもDランクか。若いのにすごいもんだ」
「ど、どうも。えっと……それで」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
書類に何かを書き付けていく。
「ラウアールよりノマルドへ、と。よし、通っていいよ。ノマルドへようこそ!」
「ありがとうございます」
何の問題も無く国境通過。
リョータたちの数組前がDランク冒険者たちだったのだが、まだ色々聞かれているのだからその違いは大きい。
「さてと……」
「まずは冒険者ギルドですか?」
「そうだな」
少しだが荷物運びの依頼を受けていたので届けに行こう。
その先は、特に依頼を受けることは考えていない。この街は魔の森に繋がっていないので、荷物運びか護衛くらいしか仕事が無いらしいので、この時間だと依頼はもう残っていないだろうし。
「はい、こちらをどうぞ」
報酬の銀貨を乗せたトレイを受け取り、財布の中へ。大した金額では無いが、一円を笑うものは一円に泣くというから大事に。それに金貨は工房にしまっているから、手持ちの路銀は大事なんだよ。
「で、何か依頼はと言うと……」
「無いですね」
掲示板を見ていたエリスが残念そうに答える。ま、離れた位置からでもわかる。何も無いから。
貼られているのは常設依頼の薬草採取くらいだが、「何も無いと寂しいから貼ってあります」という程度なので、この街での取り扱いは実質ゼロだろう。
「国境を越えてみたけど、それほどの感動は無かったな……」
「え?」
「いや、こう……なんて言うか、まあいいか」
日本人の感覚では国境を越えるというのは完全に異文化への移動であり、人種も言語も習慣も全く違うというイメージだが、陸続きの国境、しかも気軽に行き来出来るような所だと、それほど大きな違いは無い。ましてやラウアールとノマルドは元々は一つの国だったらしいから、それほど違いなんて無いのだろう。
「冒険者ギルドのある街までは徒歩で五日か」
「えーと、急ぎます?」
「急ぐ必要は無いでしょ」
「そうですね」
他愛も無い話をしながら、時々エリスが魔法の練習をしながらのんびりと歩いて行く。時折、荷物を積んだ馬車が行き来するほかは歩いて移動する人も少ないらしく、小鳥のさえずりに耳を傾けながらのハイキング気分で歩く。
旅は順調そのものだが、三日目の夕方、三つ目の村で宿を取ると五十過ぎの体格の良い――顔つきもゴツいが、愛想は良い――宿の主人からこう言われた。
「明日から二、三日は天気が崩れるから、急ぎで無いなら出発は延期した方がいいぞ」
「へえ、雨か」
「ああ。間違いない。かなりの土砂降りになるな」
地盤の緩い山道を進んだりはしないのだが、かなり強く降るだろうと言うことと、寒いこの季節に雨に濡れながら歩くのはお薦めしない、と言うことだ。
「急ぐわけでもないし、しばらくこの村にいても良いか」
「はい」
エリスも勿論賛成だ。だが、滞在するからには……
「その代わり」
「そ、その代わり?」
宿の主人がひげ面を強張らせてたじろぐ。
「美味いメシに期待してます」
「まかせとけ」
夜のうちに雨が降り始め、宿の主人が言うように土砂降りに。寒い云々以前にこんな中を歩きたくない。しばらくここで足止めだな。




