支部長の提案
「ん……」
昨日の狂宴からは信じられないほどすっきりと目が覚めた。
「知らない天井だ……」
一度しか使えない小ネタを呟きながらもそもそと起き上がり、改めて手足を見る。昨日のアレは夢じゃない、確かに俺は異世界に転生したんだと実感する。
ベッドから降り、近くの小さい窓を開ける。日が昇り始めたばかりらしく、空はまだ薄暗い。
昨夜、あの歓迎会の真っ最中、というか始まって早々に山盛りの料理を次々振る舞われたリョータは三十分も保たずにギブアップし、退散することにした。その時、ケイトからここを使うようにと部屋の鍵を渡された。ベッドがある部屋という意味ではカプセルホテルよりはるかにマシだが、ベッドがあるだけの部屋という意味ではビジネスホテルの方が上か。だが、やや硬めのベッドは意外に寝心地が良く、レンガ造りの建物の割に部屋が暑すぎると言うこともなく、こうして爽やかな朝の目覚めを迎えたというわけだ。
ベッドに座り直し、靴ひもをしっかり結ぶ。上着に袖を通し、タオルを手にして部屋の外へ。ギルドの裏口の方向へ廊下を進み、階段を下りると裏庭に出る。――まあ、ぶっちゃけトイレなんだが。
水洗でこそ無いが、清潔でちゃんとしたトイレで用を済ませ、井戸で水を汲んで顔を洗ってから部屋に戻る。出来れば風呂に入りたいが、ここにはないので諦める。近くに公衆浴場があるそうなので後で場所を確認しておこう。前世の最後の方はあまり風呂にも入れなかったが、出来れば毎日風呂に入りたいと思ってしまうのは日本人だからだな。
身支度を終えると、改めて部屋を出て、正面の方へ廊下を進み、階段を下りる。階下の様子がよく見える。まさに宴の後だ。もちろん全員ではないが、結構な人数がそこら中に転がって大イビキをかいている。退散するときには空気が完全に酒の匂いになっていて、息をするだけで酔いそうな程だったが、さすがに今は空気も入れ換えられ、朝の澄んだ空気になっている。食器や樽も片付けられている。記憶ではもっとすごい惨状だったはずだが、プロの仕事とはすごいモノだと感心してしまった。
階段を下りていくと、朝番の受付で女性が「おはようございます」と挨拶してくるので「おはようございます」と返す。昨日はいなかった人だから、名前がわからないので聞いておく。金髪ショートの彼女はルイザと言って、早朝から昼までの担当だそうだ。ついでにこんなに朝早く起きてきた理由を告げると、「ちょっと待ってね」と奥へ入っていった。
そして、すぐに奥から支部長が出てきた。昨日の様子からすると、なかなか来ないかと覚悟していたが、二日酔いの様子も無い。
「おう、おはよう」
「おはようございます」
「よく眠れたようだな」
「はい、おかげさまで」
「俺は懐が軽くなりすぎて全然眠れなかったけどな」
ガハハハ、と笑いながら言うが、ちょっと目に光るものが見える。これ以上は触れないでおこう。
「ま、いいや。行くぞ」
「はい」
昨夜、部屋に退散しようとしたリョータに支部長はこう言ったのだ。
「明日、朝飯食う前に受付に来い。俺の用事だと言えばいいようにしておく」
言われた通りに来たのだが、これってやっぱりアレか。
「昨日はあんな騒ぎだからはっきり言えなかったんだが」
「お前にはすごい才能があると見た」
「ちょっと手合わせしてやる」
うん、こういう展開は無いと思う、流れ的に。学習したよ俺も。
その辺はあまり期待せずに支部長の後についていく。外に出ると、そのまま通りを少し歩いた所で店の外にいくつか並んでいるテーブルに座ったので、とりあえず対面に座った。すぐにエプロンをした中年の女性がやってくる。
「この子が新人かい?よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「はは、そんなに緊張しなくてもいいよ。で、ガイアス、注文はいつもの?」
「ああ、セット二つ。えーと、コーヒーでいいか?」
「はい」
「じゃ、二つともコーヒーで」
注文を控えた女性が下がっていくと、支部長が改めてこちらに向き直る。
「一応ギルドでも朝飯はやってるが、昨日の今日でちょっとアレだからな。それにここ、『キャロル』の朝メシはちょっと難があるところに目をつむれば、値段も味もこの街で五本の指に入る」
「へえ」
料理はすぐに運ばれてきた。パンに野菜や肉を挟んだ――BLTサンドのような奴が二つに具材たっぷりのスープ、そしてコーヒーだ。
ちょっと難があると言うのが気になるが、まずはBLTサンドにかぶりつく。レタスとは違うがシャキシャキの葉野菜にトマトのようなみずみずしい野菜、そして塩加減が絶妙なカリカリのベーコン。わずかにかかっているドレッシングも絶妙。一切れ食べたところでスープを飲む。刻んだ野菜に味がしみこんだスープはこれまた絶品と言える。
「うま……ホントにうまい」
「だろ?これで大銅貨一枚、百ギルだからな」
「これなら毎日ここでもいいな」
「そうだろ?だが、一つだけ欠点がある」
「え?」
「コーヒーが信じられないくらいまずい」
「嘘でしょ?」
コーヒーを一口飲むと同時に吹いた。飲んだ瞬間、頭を殴られたような衝撃が走るコーヒーは前世でも記憶にない。
「ま、目を覚ますにはいいかもしれんな」
「え、と……その……こ、個性的な味と香り……ですね」
「一応言っておくが」
「はい」
「紅茶はもっとひどい」
「マジで!?」
「そうだな、今日は一日どこにも出かけたくないなという朝にはいいかもな。トイレにこもることになるが」
「えー」
「インクを溶かした湯を飲むほうがマシって思えるようになるから気をつけろよ」
「いや、そう言う問題じゃないでしょ」
「ちなみにコーヒーがひどいのは朝だけというのは、この街の七不思議の一つにしていいと思う」
意味がわからんな。と言うか、紅茶はいつもひどいのか。
「さて、話したいことはそこじゃなくてだな」
「はい」
「お前、初心者研修を受けてみないか?」
「初心者研修ですか?」
「ああ、そうだ。大陸全体見渡しても、多分やってるのはヘルメス支部だけだと思う」
「詳しく聞かせてください」
「もちろんだ」
支部長の語る内容は、ゴツい外見からは想像もつかないほど繊細な気遣いから研修が開始された、と言うものだった。
冒険者はある意味、命を賭け金にして日々の糧を得るための金を稼ぐ。言うまでもなく、魔の森で命を落とす者は数知れず、それが冒険者であり、魔の森の危険性でもある。ガイアスは支部長に就任したばかりの頃、各地の資料をかき集め、統計的なある事実にたどり着いた。冒険者として登録した者のうち、一年以内に四割が命を落とし、三割が冒険者で食っていけないと気づいて辞める。そして、三年間食うや食わずのギリギリでやっている者は、五年と保たずに命を落とすか、犯罪組織――山賊など――と組んで討伐されるか、犯罪奴隷に落とされるか。そして何とか順調にやっていけた者――一割から二割程度――は、その後も第一線でやっている。
「つまり、最初でつまずくとなかなか立ち直れないというのが現状だ」
「なるほど」
現代日本でも似たような部分はあるが、こっちは命がかかるだけに事態の深刻さが違う。
「そこで約十年前、初心者研修という制度を作った」
簡単に言えば、Cランク以上の、こいつらになら任せても大丈夫という冒険者達に新人冒険者の教育を任せる。もちろん教育係の冒険者達にはギルドから報酬が支払われる。そして、新人冒険者には一切の金銭の要求はない上、研修期間中は素泊まりではあるが、ギルドの宿の一室を提供し、とりあえず寝る場所だけは確保できる。また、研修中に森で狩りをしたりするのだが、その結果得た素材は普通の冒険者と同格に扱われ、正規の金額で買い取る。
至れり尽くせりで、ギルドの持ち出しも多いが、新人冒険者が少ないというこの街の特性を活かした制度と言えるだろう。
ガイアスがこの研修制度を開始して十年。その間にこの支部で登録した新人は二十三人。そのうち二十人がこの研修を受けた。そして、受けなかった三人は……
「行方知れずだ」
「え?」
「正確に言うと、一人は盗賊になってどこかの街で処刑されたと聞く。二人は森から帰ってきていない」
研修を受けた二十人のうち三人は元々短期間の予定だったとかで故郷に帰ったそうだが、引退するまでの二、三年でCランクになっていたという。そして残りも……
「十人がCランクだが、二人は近々Bになりそうだ。まあ、四年でCランクは上出来だろう。五人はBランク、おっとAランクが一人いたな」
だいたいの冒険者がCランクに到達するまでに五、六年かかり、さらに十年経ってもCランクから進めない者が大半だと考えると、この数字が持つ意味は大きい。
「それにギルドとしてのメリットも大きい」
ランクの高い冒険者はそれだけ経験を積み、実力が認められていると言うことを意味する。そして、当然ながら魔の森から持ち帰る素材も、希少性が高かったり、質が良いことが多い。魔の森からの素材はギルドが買い取ることが多いため、価値の高い素材を持ち込める冒険者は多いほど良い。つまり、研修である程度出費があってもその後回収できてしまえば問題ない。先行投資という考え方だ。
「新人にとっても技術を学ぶ以外のメリットは多いぞ」
「えーと……ベテランとの顔つなぎとか?」
「そうだ。他にも、教育にあたる冒険者から『お前ならあいつらと組むとちょうどいいぞ』という紹介を受けて、どんどん伸びていった奴もいる」
リョータにとってデメリットは無いようだ。何しろ、冒険者として登録したが、何をどうすればいいのか、右も左もわからないまま放り出されている状況だ。色々教えてもらえるのならありがたい。
「受けます。いえ、是非受けさせてください」
「よしわかった。そう言うと思ってな、既に教育係は選んである」
そう言うとガイアスはスープを飲み干し――コーヒーには手をつけず――席を立つ。
「最初だからな、ここはおごってやる」
「ごちそうさまです」
「教育係に話はしてあるが、ちょっと用事があるそうでな。昼まで俺が相手をしてやる」
「え?」
「森に行く前に色々あるからな」
そう言って、テーブルに大銅貨を二枚置いて店員に声を掛けると、ギルドに向かい歩き出す。慌ててついて行くリョータ。
「まず色々と用意する物があるだろ。それを買いに行こう」
「あ、そうですね」
「金はお前が払うんだぞ……って、金はあるのか?」
「少しは」
「ま、ギルドに借金してスタートしてもいいんだがな」
それは勘弁願いたい。




