湖
「そろそろ休憩だ」
「エリス、止まって」
「はい」
ダンジョンに入ってから三回目の休憩。ダムドによると今のところ順調。そして、ダンジョン探索では順調に進んでいて特に問題ないのなら、三十分に一回程度の休憩を挟むべきだという。ダンジョン内で常に周囲を警戒しながら進むのは予想以上に神経をすり減らす。適度に休憩を入れた方が、安全だというわけだ。
今回はリョータとエリスが初めてのダンジョンと言うことで、十分程度で休憩するようにしている。
「どうだ?初めてのダンジョンは」
「まだよくわかりません」
「私もです」
「はははっ、まあそんなモンだろ」
そんなことを話しながら水筒を口にする。水分補給は出来るときにやっておくのも基本だ。
「それにしても、本当にトカゲを見かけませんね」
「そうだな。いるのはコウモリとネズミくらい。少し多い気もするが」
しかも魔物では無く、動物だ。
「ネズミとかコウモリって、トカゲの餌なんですか?」
「そうだな」
「やっぱり、トカゲがいなくなったから増えているのかな?」
「筋は通る。だが、そうなると、どこにもトカゲがいないと言うことになる。それはそれで妙な話だ」
「うーん……エリス」
「はい」
「トカゲの臭いってわかる?」
「いえ、さすがに……」
「だよなあ」
「でも、この洞窟に入ってから嗅いだのはネズミとコウモリ、それとリョータが落としている薬草くらいです」
「トカゲっぽいのは無し、と」
「フム、臭いが残っていないということは……」
「大分前からトカゲがいなくなっているって事ですかね」
「そうだな。さて、そろそろ行こう。エリス、あと少し行ったところ、左だ」
「はい」
ダムドの声で再び歩き出す。色々考えても仕方ないのは確かだから、まずは湖を目指そう。
ダンジョンに入っておよそ一時間。
「この先、右側に大きな穴が開いている。そこが湖の入り口だ」
「すぐ近くなんですか?」
「ああ、そうだよ。百メートルもないと思うが」
「んー?」
エリスが首をかしげている。
「どうした?」
「水の匂いがしません」
「へ?」
「フム……まあいい、進もう。だが慌てる必要は無い。今まで通り慎重に」
「「はい」」
やがてランタンの明かりで、右側の穴が見えてきた。
「音がしませんね」
「そうだな」
「エリスは何か聞こえる?」
「いえ……その……」
「ん?」
「泥の臭いがします」
「泥?」
「はい」
「エリス、今まで以上に慎重に進め。リョータ、魔法がいつでも使えるように準備を」
「はい」
少しずつ、足元を確かめるように。足音をさせないように進んでいく。そして穴の中をエリスが確認するが……
「……」
「どうした?」
「その……何もありません」
「え?」
ダムドも慌てて穴の前に立ち、ランタンで照らす。
「何もない……な」
そう、三人の目の前には、何もなかった。
ただの真っ暗な、大きさの見当も付かない程の大きな穴がぽっかりと開いていた。
恐る恐るダムドがランタンを差し入れ、中を照らそうとするが、深い闇の向こうは全く見えない。
「でかい穴、だな」
「ここ……その……元湖ってどのくらいの広さがあったんですか?」
「そうだなぁ……向こう側までざっと百メートルといったところかな」
「向こう側には何が?」
「ん?何もない。ただの岩壁だ」
「湖の入り口はここだけ、と」
「そうだな」
反対側から確認という方法は無し、と。
「とりあえずわかったのは……」
ダムドが指を一本立てる。
「湖が無くなっていた」
「そうですね……トカゲがここを住み処にしていたとしたら全滅ということですよね」
「そうなるな。それと……」
もう一本指を立てる。
「湖が巨大な穴になっていた。湖が干上がったわけじゃ無く、文字通り無くなっていた」
「報告を聞いたギルドマスターが二、三回聞き返してきそうな内容ですね」
「うむ」
そんなやりとりをしながら穴の中を覗き込む。
「これ、どのくらい深いんだろう?」
「全然下が見えませんね」
小石を一つ拾い、ポイッと投げ入れてみる。
「……」
カツン、と言う音が聞こえた。五秒くらいだろうか?ざっと百メートル程ありそうだが。
「とんでもない深さだな。これだと……七層か八層くらいまでの深さがありそうだ」
ラウアールダンジョンは天然の洞窟であり、各層の高さは十数メートルあるようなので、だいたいそんな物か。
「そして、エリスの言っていた泥の臭いはこれか」
「はい」
穴の縁に泥がへばりついている。ほとんど乾いているが、よく見ると壁全体が泥でコーティングされたようになっている。
「何で泥?」
「わからんな」
立ち上がり、もう一度ランタンで中を照らすが、やはり何も見えない。
「とりあえず、これ以上は何も調べようがないので戻りましょう」
「そうだな」
元来た道を歩きながら考える。
あの穴、魔法で開けたような感じはしなかった。
綺麗にえぐり取られたような印象。
そして壁に付いていた泥。
一体何だろうか?
来たときと同じように休憩を取りながらダンジョンを抜け、街まで戻ると冒険者ギルドへ。中に入る前にダムドが立ち止まる。
「さて、なんて報告すればいいのやら」
「見たまま、でしょう?」
「にわかには信じがたい内容だがな」
「言えてます」
ハハハ、と笑いながら歩みを進めようとして「エリスちゃーん!無事だっtぐぇっ」ドタッ
シェリーが飛び出してきたが、空中でひっくり返り、悶絶している。首に巻かれた丈夫そうな首輪、そこから繋がる太い鎖は奥にある太い柱に繋がれている。
「ア、アザリー!死ぬかと思ったぞ!これを外せ!」
「普通のギルドマスターはこういうことをしないので、首輪なんていらないんです」
「なんで私に付いてるんだ?!」
「普通じゃないからです」
鎖を握ったアザリーが出てきて、ズルズルと引っ張っていく。
「し、締まる!は、離せ!引きずるな、おい、アザリー!聞いているのか!」
「ハイハイ、聞いてますよ」
「絶対聞いてないだろ!」
「こっちでお仕事しましょうね~」
「ク、クソッ!……エリスちゃーん、すぐに戻ってくるからねー!」
シェリーはそのまま奥の方まで引っ張られていった。
「なあリョータ」
「何でしょうか?」
「報告に行きたくないんだが」
「奇遇ですね。俺もです」
「わ、私もイヤですよ!」
でも、行かなきゃならないんだよな……
「そんなわけで報告に来たんですが」
「ご苦労だった。まずは話を聞こうか」
ギルドマスターの部屋に通され、座るように促される。
「ところでアザリー、この扱いは一体どういうことだ?」
「話をスムーズに進めるための措置です」
「ふーん……って、納得いかないんだが」
「この部屋にいるギルドマスター以外全員がこれで良いと納得してますけど?」
「そうなのか……って、やっぱり納得出来るか!」
いつの間に部屋の隅に鋼鉄の柱が設置され、そこに鎖でグルグル巻きに縛り付けられた状態でシェリーが抗議する。鎖は彼女の手の届かない位置にあるデカい南京錠でがっちり固定されており、色々常識外にいる彼女でも脱出は困難なようだ。
「こうでもしないと、エリスさんがひどい目に遭いますからね」
「ひどい目とはどういう意味だ、ひどい目とは?!」
「そのままの意味です。見てください、エリスさん、怯えてますよ」
怯えるというか、ドン引きしているんだが。
「リョータ」
「はい?」
「うらやまけしからん!代われ!」
「いや、代われと言われても」
ああ……左腕の柔らかい感触が天国や~
「むう……仕方ない。まずは話を聞くか」
かなり不満げだが……
「えーと、まずは……ダンジョンの一層の状態だが、トカゲを全く見なかった」
「ほう?あの入り口から湖までのルートでか?」
「ああ」
「異常事態と言えば異常事態だな」
ラウアールダンジョンの探索ではベテランと言ってもいいダムドの意見にシェリーも少し真剣な顔つきになる。簀巻きのままで。
「で、湖まで行ったんだが」
「何もなかった」
リョータが続ける。
「何も?えーと?」
「何もなかったんだ」
「へ?」
「だから何もなかったんだよ」
「うん、何もなかった」
「はい、何もありませんでした」
「「はあ?」」
シェリーとアザリーが呆けた声でハモる。
「湖も無かったし、トカゲの住み処も無かった」
「ぽっかりと穴が開いてただけ」
リョータ達の説明を聞いても全く頭が付いてこない二人であった。




