エリスの魔法
翌日、ヘルメスの街を出て魔法陣へ向かう。エリスと共に魔方陣に乗り、魔力を流し込むと工房のある岩山の前へ移動する。
「あの……ここ……は?」
「ここが、誰にも教えていない、秘密の場所」
「誰にも……秘密の……」
「そう。支部長にも他の冒険者にも教えていない、秘密の場所」
「秘密の……場所!」
不安げだったエリスの表情がぱあっと明るくなる。自分にだけ教えてもらったというのが特別な感じがするのだろう。だが、すぐにその表情がまた元の不安げな物になる。
「どうしてここに?何もないところ、ですよね?」
「うん、まあ……そう、見えるよね?」
「?何の香りでしょうか?」
「香り……ああ」
エリスを連れて少しだけ歩く。その先は海だ。
「……な、なななな……何ですか、これ?!」
「海」
「うみ……?海って言うんですか……って、あれ、全部水なんですか?どこまで続いてるんですか?」
「落ち着いてエリス」
ラウアールの国土は海に面しているが、海岸線の大半が断崖絶壁のために利用価値がほとんど無いため、海の近くにある街や村はほとんど無い。そのため、国民の大半が海を知らずに暮らしている。それこそ、海よりも魔の森の方が身近なほどに。
崖のギリギリのところに立ち、海を眺めるエリス。とりあえず、これが全部塩水で、どこまで続いているかは誰にもわからないとだけ教えておく。そして、キラキラとした目で下に降りるための道を見ているが、それはあとでと言い聞かせて工房へ入る。
「ここは?」
「秘密の工房」
「工房?」
「そう。工房」
「何を作る所なんですか?」
「なんでも作るけど……例えばこれ」
「ナイフ?……あ」
エリスのロープを切ったラビットナイフである。
作業台のある部屋に入り、持ってきた荷物を広げていく。短剣六振り、ナイフ十本、ホーンラビットの角、血を詰めた瓶、薬草を焼いた灰……
魔方陣を描き、角を粉末化して短剣と合成。続いてナイフも合成。
目の前で角が粉末になったり、刃に吸い込まれたりと行った現象にエリスは終始驚きっぱなしだが、驚くのはまだ早い。
「さて、確認しよう」
エリスを連れて外に出て、森の中へ。手頃な大きさの木の前でエリスにラビットソードを渡す。
「そっと、ゆっくりで良いから枝を切ってみて」
「はあ……わかりました」
何のことだかわからないと行った表情で木の前に立つエリス。
「切る時に『切りたい』って念じながらやってみて」
「はい……行きます……切りたい!」
トン、とエリスが短剣を枝に振り下ろすと、ストンと枝が落ちた。
「ふぇ?」
何が起こったのか全くわからず、うろたえるエリスに声をかける。
「その要領で他の枝も適当に切ってみて」
「わ、わかりました」
ストン、ストン、とエリスが枝を切り落としていく。あまりにも不自然に感じたのか、今まで使っていた短剣を構え、同じように振り下ろしてみたが、当然切れるわけがない。
「じゃ、こっちでもやってみて」
他の短剣も渡し、全部の短剣が同じ切れ味になっていることを確認。リョータも同じように使えることを確認。
「これ、何なんですか?」
「ラビットソード・改だ」
「?」
一番最初に作った魔剣は呪いの剣扱いで封印。ドラゴン討伐で活躍したのと同じ短剣はまだあるが、あえて改良版を作った。改良版は「制作者と、最初に魔力を通した者二名以外が使ったときは普通の剣になる」という安全機構付きにしてみた。さすがに他の人に試し切りをお願いすることが出来ないので、本当に機能しているかわからないが、少なくともリョータとエリスが使えることは確認できたので、良しとする。
「えーと……つまり?」
「ドラゴンを斬ったのはこの剣。エリスを縛っていたロープを切ったのはこのナイフ」
「はい」
「今のところ、このラビットソードで切れなかったのはドラゴンの骨だけだな」
「……はい?」
改めてエリスに説明をする。魔の森で謎の施設を見つけ、魔道書を手に入れたこと。それを使って遠距離を転移する魔法陣を作り、ここに工房を造ったこと。そして魔剣を作り、ドラゴンを討伐したこと……
「それで……あの……」
「短剣もナイフもエリスの物。自由に使って良いよ」
「……ホントですか?」
「ああ。切れ味が落ちてきたりしたらちゃんと言って。見たとおりの材料で作ってるから高い物じゃない。すぐに作るから」
「わかりました!」
「ちなみに」
「はい?」
「石を千切りに出来るよ」
「ふぇ?!」
石を拾い上げ、ナイフでトントンと切り始める。
「……ホントだ……」
しばらくそのまま好きにさせる。切れ味に慣れるのも大事だし。
そして、この事実を以て、この世界で一般的に言われていることの一つが誤りだと改めて確認できた。
獣人は魔法の素質がない。
そう言われているのだが、この魔剣を使うには魔力が必要だ。そして、エリスはそれを難なくこなした。エリスが魔法の素質のあるギフト持ちという可能性もあるが、さすがに身近にホイホイいるとは考えづらい。
おそらく、獣人の多くは魔力を無意識のうちに身体能力の強化に使っているのではないだろうか。動物の性質を受け継いでいるとしても、獣人の身体能力は動物のそれすら上回っているため、身体強化とか言うタイプの魔法を常時使っている可能性が高い。そしてそれは年齢と共にどんどん無意識下で強く発動するようになっていき、通常の魔法に割く魔力が無くなってしまっているのではないか。
何となくだが、エリスはまだ身体能力の強化に多くの魔力を割いていないような気がする。イヤもしかしたら、まだ一切魔力を使っていないかも知れない。つまり今からでも訓練すれば、ある程度の魔法が使えるようになるのでは……と推測した。今後、エリスが魔法を使えるようになれば色々と役に立つことが多いはず、と考えている。
ちなみに身体能力強化の魔法は魔道書に記述があった。その内容は簡単に言えば車のエンジンの排気量を上げつつ、ターボを付けたような感じ。つまり、新陳代謝を上げることで筋力を増大させるという仕組みだった。恒常的に使うと、心肺機能、筋肉量ともに向上する。獣人たちはその状態を無意識で維持し、衰えないようにしているのだろう。
身体能力強化。定番の魔法だが、今のところ必要性を感じないので、放置することにした。
キャロルで買ってきておいたサンドイッチを昼食にして、午後からは海岸へ降りて魔法の練習をすることにした。
丁寧に、魔法とは何か、どうやって使うのかを教えていく。
当たり前だが、エリスの科学知識は現代日本の小学生にも及ばない。水を火にかければ沸騰し、蒸発するぐらいは知っているが、そのくらいしか知らない。エリスが特別というわけではなく、この世界の大半の人がそのレベル。その辺も踏まえて、丁寧に教えていく。
「水!」
「……」
「水!」
「……」
ちゃぽん……
一時間ほど頑張った結果、コップの中に少しだけ、水が作られて入った。
「やった!エリス!出来たな!」
「は……はは……やりました!」
今の感覚を忘れないうちに、と何度も繰り返す。魔法を使うという感覚さえ身につけば、あとは何とでもなる。
日が傾き始める頃には、コップ一杯の水が作れるようになっていた。
「今日はここまで。帰ろう」
「はい……」
さすがに丸一日魔法の練習をしたせいで、かなり疲れているようだ。魔法を使うことによる疲労を回復させる一番の方法は睡眠による休息である。だが、そこに下駄を履かせることにする。
「エリス……」
「はい」
「……こっちで一緒に寝る?」
「え……い、良いんですか?!」
良いも何も……毎晩結局リョータのベッドに潜り込んできているのだから、今更なんだけど。
……眠れない。
許可したのは一緒のベッドに入るまでのつもりだったんだけど……抱き枕代わりにされている。
ぎゅっと。
しっかりと。
尻尾がパタパタと振れている音が時折聞こえてくる。
思ったよりも力が強いし、無理に抜け出そうとしたら起こしてしまいそうなので、諦めることにした。
柔らかさとか、良い匂いとか、理性が完全に飛びそうだが……エリスの安心しきった表情と落ち着いた寝息のおかげでなんとか理性は保てそうだ。
目を閉じて、エリスの寝息の音に集中すると、すぐに眠りに落ちていった。
尚、翌朝までそのままだったので、起きたら体中が結構痛かった事を補足しておく。




