獣人の力
目を覚ましたのはいつもとほぼ同じ時間。季節柄、大分涼しくなってきていて朝夕は少し肌寒さを感じるのだが……背中に体温を感じるな。
ゆっくりと……そっと……体の向きを変える。
想像通り、エリスがすやすやと眠っていた。わざわざこっちのベッドに潜り込んで。シャツの裾をぎゅっと掴まれている。完全に伸びちゃってるな、これ。
ま、いいか、と諦めることにした。おそらくこれは言ってどうにかなるようなものでは無いだろう。
そーっと、シャツの裾を離させ、ゆっくりと、エリスを起こさないようにベッドから降りて静かに部屋を出る。……ただのトイレだよ。
用を足して顔を洗って部屋に戻ってきたら……エリスが軽くパニックを起こしていた。「リョータ、どこ?どこぉ?」とあちこち探し回っているんだが……ベッドの下(隙間十センチ)にはさすがに俺は入れないと思うんですけどねぇ?
そして、部屋に入ってきた俺に「リョータぁ!」と飛びついてきた。
「うう……どっか行っちゃったのかと……置いてかれちゃったかもって……」
ポンポンと、頭を軽くなでてやる。たった数日の間にいろいろなことがありすぎて、どうしたらいいかわからなくて不安なんだろうな。
「エリス」
「はい?」
「その……さ……なんて言ったらいいか……うまく言えないんだけど」
「うん?」
さて、なんて言えばいいだろうか……
「奴隷紋に名前がある限り、一緒にいるよ」
多分NG。じゃあ奴隷紋を消すための旅には行かないとか言いかねない。
「ずっとそばにいるから」
ダメダメ、絶対ダメ。今のこの状態は、吊り橋効果みたいなもので、かなり不安定な精神状態の中、頼れそうなのが俺だけと言う状況が生み出したもの。そこにつけ込んでるだけの台詞だ。
となると……
「エリスが俺に愛想尽かすまで一緒にいるよ」
これは絶対だめな答えだろ。
うーん、これかな。
「約束する。エリスに黙って離れていかないって」
「はい!」
「でも……」
「でも?」
ああ、涙目だ。でも言わないと。
「トイレくらいは自由に行かせて欲しい」
「は……はい……あの、どうぞ……」
「はは」
「ふふっ」
「「あははははっ」」
ああ……笑顔がまぶしい。……癒やされる。ケイトさんとはまた違った健康的な笑顔だよ。
朝食はキャロルで済ませることにした。但し、「紅茶は絶対ダメ」と念押ししておいた。アレはヤバいからね。
ちなみにコーヒーは普通に吹いた。「香りは普通のコーヒーなのに……」と呟いていたよ。うん、俺も同意見だ。でも、紅茶より安全な飲み物だよ。安全な飲み物って表現がおかしい気もするけど。
そして魔の森へ。昼までは薬草採取をすることにした……のだが……
「と言うことで、これを探して、十本を一つにまとめるんだ」
「ふむふむ」
「ちょっと探すのが大へ「これですか?」
「はい?」
薬草採取も結構こなしてきたおかげで、目が慣れてきて比較的薬草を探すのに苦労しなくなってきていたのに、それを遙かに上回るペースでエリスは薬草をポンポン見つけていく。
ああ、そうか。薬草の匂いで探しているんだね……
午後からはホーンラビット狩り。
「あっちにいますっ!」
音と匂いですね。わかります。
そう、エリスは「既に知っているものを探す」と言うことに関しては驚異的な才能があった。これが、犬の獣人の実力か。
そして、肝心のホーンラビットとの戦闘も、いくらかマシになっていた。
午後に狩れたのは二羽だけだった――あえて二羽で止めた――が、返り血はほとんど浴びずに済んでいる。
そして、納品を終えたところでもう一度魔の森へ。
「じゃあ、ここからあそこまで。全力で走って」
「はい!行きます!」
ダッと離れた位置にある木までエリスが走る。その速度は言うまでも無く、リョータを始めとした一般的な人間の速さの比では無い。俺に色々教えてくれたリナさん達もかなり足は速かったが、それと比べても見劣りしない。
そしてエリスが走った後の地面を見る。見事に地面が抉られている。何のことは無い。ただ単にエリスの脚力で走ると、こうなるのだ。
深さ三~四センチ程。その、地面の跡はエリスのいるところまで続いていく。
「戻りました!」
ボフッとエリスが飛びついてくるので何となく頭をなでてしまった。ま、いいか。
「どうしたんですか?私、どこか変でした?」
「え?ああ、その……うーん」
少し変えてみるか。
「今度はここから走ってみてくれ」
「ここですか?わかりました」
「あ、走り出す時に後ろ側の足をこの岩に添えてから走ってみてくれ」
「ん?いいですけど……こうですか?」
「そんな感じ。いいよ」
「はい、行きます!」
手頃な岩を短距離走のスターティングブロックのようにしてみたのだが、明らかに地面の抉れ方が違うし、スタート直後の速度も違う。
地面が抉れると言うことは、地面を蹴った力が移動する力になっていない……つまり、無駄になっていると言うことだ。おそらく、スパイクでも履けばもっと速く走れるんじゃないかと思う。だが、整地されているわけでもない場所でスパイクなんて無謀すぎる。
ならばどうするか。
「戻りました!」
飛びついてくるエリスを抱き止めて、もう一度離れた場所に立ってもらう。
そしてぼそりと呟く。
「右手を挙げて」
エリスがぱっと右手を挙げる。
「右手を下げて左手を挙げて」
左手だけが挙がっている。
「その場でくるっと一回転」
クルリと回る。
五十メートルはないだろうが、少なくとも三十メートルは離れた位置で、ぼそっと呟いた声が聞こえるとか、すごいな。
そして、エリスを呼び戻し、抉られた地面を二箇所、示しながら説明する。
「んー、力が無駄になっていると言われても……」
「まあ、そうだよね。でも、これをなんとか出来ると」
「なんとか出来ると?」
「エリスはもっと速く走れるようになる」
「ホントですか?」
目をキラキラさせて食いついてくる。近い、近いってば……いいけど。良い匂いするし。
「でも、どうやるんです?」
「試してみたいことがあるんだ」
「何でしょうか?」
そうだな、何から説明すればいいだろうか……
「とりあえず」
「とりあえず?」
「今日はもう少しホーンラビット狩り」
「はい」
「まずは初心者研修を優先。研修の間に色々と考えておくから」
「わかりました!」
いい返事だ。
はあ……素直でいい子だ、本当に。
夕方、冒険者ギルドに戻り、もう教えることがない事を伝えるとEランク昇格を兼ねた課題――依頼票――が渡された。
「ホーンラビット十羽を明日中に、ですか?」
「うん」
「……十羽……が、がんばります!」
念のために依頼票を隅から隅まで、裏面も確認してみたが、一日で十羽、と言う内容だった。本当はエリスが文字を読めれば良かったのだが、それはまあ今後教えていけば良いだろう。
さて、エリスはどうやってこの課題をクリアするだろうか?
「あ、あの……質問です」
「どうぞ」
「十羽って……結構多いですよね」
「多いね」
「一度に持ち込まないとダメなんですか?」
「何回かに分けても大丈夫」
「……大丈夫……大丈夫……あ、あの!」
「どうぞ」
「あ、朝はいつもの時間……ですか?」
「早くしたいとしても……朝メシがな……」
「そうですよね……うーん……あ!」
「どうぞ」
「日が落ちても大丈夫なんでしょうか?」
「一応ね。だけど、日が落ちる前には魔の森から引き上げたい。夜になると結構危険だからね」
「そうですよね……」
ブツブツ言いながら色々と考え始めた。まあ、他に質問があったら起こしていいからと言ってベッドに潜り込む。少しだけ、エリスをどうやって鍛えようか考えてみたが……ま、なるようにしかならないな、と先送りすることにして、眠りに落ちていった。
翌朝、エリスが同じベッドに潜り込んでいたのは言うまでも無い。




