ラウアールにて
「ふう」
ラウアール冒険者ギルド本部の執務室でシェリルは大きく息を吐いてペンを置き、「うーん」と大きく腕を上に伸ばした。ここ最近は大きな問題も起きておらず平和そのもので、目を通すべき書類も特に問題はないので、仕事はかなり楽である。休憩を入れようかと少しぬるくなった紅茶に手を伸ばしたとき、すぐそばに吊された鈴がチリンと鳴った。
「来たか」
ドアの向こうからかすかに聞こえてくる足音に、タイミングを合わせるようにそばに垂れ下がっているひもに手を伸ばす。
「シェリル!僕のことを呼んでるって、つまりそれぶべっ!」
ドアを開けるやいなや飛んできた不審者に、シェリルがひもをくいっと引っ張ると天井から鉄柵がズンと降りてきて、行く手を阻んだ。
「チッ、体を貫いてとどめを刺せると思ったんだが」
「なかなか物騒なことを言うねえ」
「私の目指す平和な世界の実現のためなら、部屋の掃除くらいはどうってことはない」
「これも愛、だね」
「断じて違うとだけ言っておく」
「イヤよイヤよも好きのうち、と」
「……はあ、本題に入るぞ」
「これのことかな?」
シェリルがファビオがスッと差し出した紙をビリビリと破いて捨てる。
「読まないなんてひどいなぁ……はい……っと、わわっ!危ないなあ」
「チッ……避けたか」
シェリルがスッと抜いた剣をその手元に走らせる。すんでの所でファビオが手を引っ込めたので、手首が切り落とされることはなかった。
「リョータたちを覚えてるな?」
「もちろん。僕たちの結婚式には是非とも呼びたい二人だね」
「それは永遠に叶わない夢だな。で、そのリョータたちを助けてほしい」
「助ける?」
「正確に言うと、手伝う、だな」
「へえ、何をするんだい?」
「指名依頼。リョータを手伝い、黒炎蛇を討伐せよ」
そう言って一枚の紙、依頼書をファビオに渡す。
「黒炎蛇?」
「知らんのか?」
「名前くらいは知ってるけど、確かまともな討伐記録がなかったような?」
「そうだな」
「それを討伐?」
「そうだ」
「それも、リョータたちを手伝って?……あの子、黒炎蛇なんて狩るの?狩れるの?」
「詳しい事情はファビオ、お前にも話せないのだが、狩れるかどうかではなく、狩らねばならない状況になっているらしい」
「そりゃまた面倒な」
「あと、依頼書にもあるように「手伝う」んだ」
「それはどういう?」
「詳しいことは全くわからん」
「そんな状況で指名依頼?誰が……え、シェリルが依頼者?」
「そうだ」
ガバッと姿勢を正して、ファビオが依頼書を読んでいく。
「報酬は……え?これ、本当に?」
「ああ」
「シェリルへプロポーズする権利……だと?」
「ああ」
「本当に?」
「その依頼書は正式な書式で提出され、受理された正式なものだ」
指名依頼だからこそ出来る、金銭以外の報酬提示である。
「黒炎蛇……大陸南部か」
「行ったことは?」
「ないね。この僕がシェリルのそばを離れるなんてあり得ないだろう?」
「そうか。そばを離れないならその依頼は無理か」
「まさか。これをこなすことがシェリルのためになるんだろう?」
「まあな」
ドルズ冒険者ギルド、レーム支部から届いた情報は、他の者であれば「そんな馬鹿なことが」で一蹴しそうな内容であったが、シェリルは「無事だったか」「とうとう見つけたか」と安堵の息をついたが、直後、その内容に驚愕した。
今までまともな討伐記録のない魔物の素材が必要。
そもそもの目撃情報自体が少なく、その危険度はドラゴンをしのぐと言われ、いくつかある討伐の記録ではほぼ全滅に近い。シェリル自身もかなりの実力者であったと自負しているが、現役時代にこれの討伐依頼が来たとしても断ること間違いなし。
恐らくリョータでも討伐に成功するかどうかはかなり分の悪い賭けになるはず。ならば、勝つために賭け金を積み上げてやる。ラウアール最大戦力、ファビオを送り込んでやろうと。
言動が色々アレな男であるが、ラウアールは言うに及ばず、大陸西部でも指折り。他の地域のことは詳しくわからないが、恐らく大陸全土でもトップクラスの実力者のはず。もちろん、ファビオがいたとしても討伐できるという保証はない。そもそも、見つけられるかどうかという次元でもある。
「どうだ?受けるか?」
「受けるかって……え?期限が切られてるのか?!」
「ああ。どういう理由かはわからないが」
「君が詳細を把握できていないと?」
「ああ」
「ふむ……」
こちらを探るような視線に少したじろぐ。だが、エリスの諸々について含んでいるためファビオにすら話せない。シェリルが「他言無用だ」と言えば、絶対にファビオが誰かに話すことはない。が、それでも実際にエリスと会ったら何かしら行動に出てしまう可能性がある。そのとき周囲にリョータ以外の者がいた場合、色々マズいため、伝えない方がいいと判断した。ついでに言うなら、長い付き合い。信用しているからこそ、詳細を知らずとも遂行するだろうとも思っている。
「期限が切られている上、大陸南部のどこにいるかわからない黒炎蛇を探す。さらにリョータと合流して討伐する、か。なかなかの難易度だね」
「そうだな」
「シェリル、率直な意見を言って欲しい」
「なんだ?」
「シェリルは僕ならできると思ってこの依頼を出したんだね?」
当然だ、と言いかけてこの場合の返事はそうではない、と気づいた。
「私と結婚したい男が、この程度の依頼をこなせなくてどうする?」
「ふふ……わかったよ。まかせて」
「任せた」
「さて、大陸南部……最後に黒炎蛇を目撃された街は?」
「馬車を乗り継いでも四ヶ月といったところだな」
「なら急がないと」
「そうだな」
ラウアールから大陸南部へ向かい、そもそもの目撃情報の少ない黒炎蛇の捜索とリョータたちとの合流、そして討伐。移動だけでも数ヶ月は間違いないのだから、すぐにでも動き出さなければならない。
「っと、ちょっと待て」
すぐにでも出て行こうとするファビオを呼び止め、シェリルが机の引き出しを開け、袋を出す。
「路銀の足しにしろ」
「要らない」
「そう言わずに」
「これでもSランクだよ?蓄えはかなりあるから問題ないさ。それよりそれは、僕たちの結婚式の費用に回してくれ」
「受け取れ。道中で何があるかはわからん」
「わかった。でもこれは……帰ってきてから買う婚約指輪の資金にするよ」
「好きにしろ」
「うん。好きにするよ。愛するシェリルの次の次くらいに」
意味のわからんたとえだなと、シェリルは苦笑する。
「さて、行くか」
「っと、もう一つ」
「何かな?」
「これを。明日出発する定期馬車のチケットだ」
「用意がいいね」
「まあな」
お前が今日来るだろうと思っていたとは、シェリルは絶対口にしない。
「よし、じゃあ、色々支度して……っと、明日の見送りは」
「行かん」
「つれないなあ」
そう言って執務室から出てきたファビオを仲間たちが出迎えた。
「ファビオ、シェリルはなんて?」
「指名依頼を受ける」
「よし来た」
「待ってくれ」
「あん?」
「これは僕だけが受ける。君たちはここでいつも通りにしてくれ」
「……わかった」
「ありがとう」
ファビオの表情に何かを感じたらしい仲間たちは食い下がることはなかった。
「だが、旅支度くらいは手伝わせてくれ。出発は?」
「明日の定期馬車」
「よし、必要なものはなんだ?」




