エリスのお使い
盗賊の殲滅よりも、盗賊を歯牙にもかけぬほどの力の差を見せつけたリョータたちの戦力の方を気にかける。すなわち、自分たちでどうにか出来る相手だろうか、と。
「となると……リョータたちが王都に着いたら?」
「何とでも理由をつけて拘束、可能な限り速やかに処刑という流れでしょうね」
「ううむ……しかし、姫様。無礼を承知で申し上げますが、彼らにそんなに入れ込んでどうするのですか?こう言っては何ですが、取るに足らない冒険者でしょう?」
「そうね。ただ……彼らがドラゴンを単独で討伐してみせると言う時点で、我が国のどの騎士よりも強いでしょう?」
「ぐっ……先ほどの言葉は失言でした」
「わかればよろしい。で、そんな彼らを拘束なんてしたらどうなるかしら?」
「ええと……確か冒険者ギルドの極秘の依頼を受けているとか?」
「ええ。ですから拘束なんてされたら……実力行使に出るでしょうね」
「実力行使となると……まさか」
「全く想像できません。少なくとも、色々面倒なことになるのは間違いないかと思いますが、どなたか異論のある者は?」
「急ぎましょう」
「ええ、急ぎましょう!」
「ふう……すーっ……はーっ」
転移魔方陣のふわりとした感触の後、工房前へ到着すると、エリスは大きく何度か深呼吸した。潮の香りと緑の香りが絶妙にブレンドされた落ち着く感じの空気とあの地下牢の空気は本当に同じ空気かと思うほどに違い、心がスッと落ち着いていくのを感じる。リョータに言わせると「実家の安心感って奴」らしい。残念ながらエリスもポーレットもは実家というものにそれほど思い入れが無いので、そう言われても、である。
「とりあえずさっぱりしよう」
リョータに頼まれたお使いを急ぎたいところだけど、あの地下牢で髪はもちろん、服にもイヤな臭いが染みついてしまっている。全部洗い流し、着替えてさっぱりしてから取りかかる。
「ええと……行き先は、ここでいいよね」
目的地は大陸北東部。街のすぐそばに転移すると、すぐに空中へ駆け上がる。おおっぴらに出来ないことをするために、普通に街の出入りをすることも出来ず、冒険者ギルドに立ち寄ることも出来ないが、エリス単独なら空中を駆けて魔の森へ入るくらいは造作も無い。最初に人目を避けてさえいれば、あとは空を見上げる人などほぼいないし、エリスの姿を見たとしても百メートル以上の高度にいるところをみて「エリスという獣人だ」と気づく者などいない。
トントントンと魔の森の上空を駆けていきながら、風に乗ってくる臭いをたどる。
「あった、こっち!」
見つけた物はごくわずかな量でしか無いが、そもそもそういう物だとわかっている。それよりも慎重に、丁寧に取り扱うほうが重要。そんな感じでただひたすら、集められるだけ集めること二時間。持ってきた袋いっぱいになったところで、そろそろ危険と判断して魔の森を出ると工房までとんぼ返りする。
そして密閉できる容器に採取してきた物を詰め込み、臭いが外に漏れていないことを確認すると今度はルガランへ。再び空中へ駆け上がって街に入り、比較的高い建物の上に着地し、耳を澄ませる。
「うーん……ダメぇ……」
一時間ほど頑張ってみたが、リョータに頼まれたお使い二つ目はちょっと無理だったので、一旦工房へ戻り、少し休憩してから地下牢に戻ることにした。
「こんなモンかな」
「なかなか快適になりましたね」
「これならエリスも平気だろ」
リョータたちをどうにかするとしても早くても明日だろうと考え、地下牢を可能な限り快適な空間とするべく、わずかに残っていた魔方陣を描くためのインクと布で色々と改造を施した。
まずは地下牢の天井付近の壁際に穴を二つ開けて地表まで貫通させ、風を起こす魔方陣により、片方は吸気、もう一方を排気に。そして楼の鉄格子付近にエアカーテンを発生させて、牢内の空気を強制的に循環させる。
そして過酸化水素水を生成し、壁や床に噴射して殺菌。さらにオゾンを合成して脱臭。独特な臭いが少々残っているが、先ほどまであった地下牢のひどい臭いに比べると遙かにマシになった。
「ん?」
「あ、帰って来るみたいですね」
床に敷いておいた転移魔方陣が淡い光を放ち、エリスが戻ってきて……きょとんとしていた。
「あれ?」
「おかえり」
「ただい……ま?」
「ん?どうした?」
「ううん。あの臭い、ちょっと覚悟していたから」
「ああ。できる範囲できれいにしたんだよ」
「なるほど。これくらいなら大丈夫、かな。あと、これ差し入れ」
「ありがと」
エリスが差し出した篭を受け取り、ポーレットと共に入っていたサンドイッチを頬張る。工房に残しておいた食材で作ってきてくれたもので、シャキシャキした野菜の歯ごたえが心地よく、ポーレットがちょっと涙目になりながらむしゃぶりついている。
「ウマい」
「はい。ちょっと涙が出ます」
「大げさだよ」
「いや、この改装、結構大変でさ。腹減ってたんだよ」
この国の連中がリョータたちをまともに扱うとは思えなかったし、実際まともに扱っていなかったので、既に三、四時間は経っているのに食事は無し。まあ、見回りもなしなのでありがたいといえばありがたいか。
「で、どうだった?」
「材料はなんとか揃ったよ」
「そうか。よくやった」
頭をなでるとうれしそうに目を細めて尻尾をパタパタさせるのを、ずっと見ていたいが、あまり余裕のある状況ではないのでほどほどにしておく。
「情報収集は?」
「ダメ。声が多すぎてよくわかんない」
「やっぱりそうか」
エリスに頼んだお使いは二つ。一つはある素材の採集で、こちらは難易度はとても低いから簡単にできると予想し、実際その通りだった。
そしてもう一つが情報収集。なぜリョータたちが捕らえられたのかイマイチよくわからないので、何か情報でも集まればとエリスに頑張ってもらってみたがダメだった。
混雑した街の中でもリョータの声を正確に聞き分ける、獣人としても異常なレベルのエリスの聴覚は、その気になれば街で話されている会話をすべて拾うことができる。つまり、嘘かホントかわからないような噂話でもいいから、なにか手がかりが無いか、と情報収集を頑張ってもらってみたが、怒濤のように押し寄せる会話の渦を聞き分けることは無理だった。どうやらリョータの声を聞く限定の能力と考えた方が良さそうだ。ちょっとエリスの将来が心配になってきたな。
「噂話を拾うって、それなりに大変ですからね」
「ごめんなさい」
「謝らなくてもいいって。エリスはよく頑張った」
「うん」
「どうします?私が行きます?」
「うーん」
ポーレットを情報収集のために送り出せば、かなり確実な情報が得られるだろう。
見ず知らずの者ばかりの酒場に出向いて、欲しい情報絡みのことを話してる酔っぱらいを探し、「なんだか面白そうな話してますねえ」と入り込んでいき、ごく自然に話の輪に入り込み、「ささ、まずは一杯」「うぇーい」という流れでも、それなりに正確な情報を得てくるのだからすごいと思う。
これはポーレット自身の長年の経験と勘によって培われたもの。しかもその年数は数十年だからリョータもこれには敵わない。それに加えて、中身は実に残念だが、外見だけなら見目麗しい美少女だから、話しかけられた方もちょっと断りづらいというのもある。酔っているせいもあってまともな判断能力を失っているとも言うか。
出会った当時は借金の返済に追われる生活だったせいで言動全てが卑屈だったが、返すあてが全く思いつかない上に返す必要性をあまり感じない借金に切り替わった段階で卑屈な言動が消え、情報収集全般を任せられるようになったのは実に大きな収穫と言えるだろう。
ただ一つ難を言えば、相手が誰かを確認せずに突っ込んでいくしかないと言うこと。
つまり、話を聞き出そうと選んだ相手が仕事を終えた衛兵という可能性がある。そして、多分当たりを引くだろう。ポーレットはそういう星の下に生まれているっぽいから。送り出してすぐに捕まってここに帰ってくるならまだ良いが、「どうやって脱出したんだ?」となると面倒だ。




