少女の決意
ちょっと視点を変えてみました。
「よいっしょっと」
中身が詰まった桶は重く、運ぶのに苦労したが、どうにか運び終えると逆さまにして中身を全て出す。
ひどい臭いがするが、我慢と言うか、慣れた。鶏の世話は今日のエリスの当番だし、集めた鶏糞は良い肥料になるからね。皆の畑のためにも頑張らねば。
積み上がった山を柄の長い鍬で崩し、藁屑を混ぜていく。かなりの重労働ですぐに息が上がるので、時々休憩を入れながら。一通り混ぜて元の山の形に仕上げる。
「この山はこんな感じかな?」
このまま数ヶ月放置すると、良い感じに発酵して――と言っても、発酵という知識は無く、馴染むと表現していた――肥料の完成。ややクセの強い肥料だが、まだ痩せた土地の多いこの村では大活躍している。
手桶の水で軽く手を洗い、道具を片付けたところで、家のかまどから立ち上る煙に気付いた。そろそろ昼の休憩にしよう。
家に入ると、ちょうど母が何かを鍋で茹でているところだった。匂いから判断するに多分芋だが、村で作ってるバターを塗ると得も言われぬ味わいでエリスの好物だ。
「エリス、父さんにそろそろ休憩にしましょうって伝えてきてくれる?」
「はーい」
だが、その時エリスの耳に聞き慣れない声が聞こえていた。外に出てみると入り口に数人の村人が集まっている。
「誰か来たのかな?」
「あら、こんな村に?」
母が鍋をかまどから下ろし、エプロンで手を拭きながら出てきた。
こんな村に来るのはハマノ村の人か、年に数回やってくる行商人くらい。でもこの前来たばかりだったし、あ、薬草切らしてたから何とかするって言ってたっけ?
「薬草、別の人が持ってきたのかしら?」
「そうかも」
商人らしく、物を売る話をしているようなので、何か他にも持ってきているかも知れないと母と共にそちらへ歩き出す。他の村人もその様子に気付いたのかぞろぞろと集まってきて、エリスがついた頃には全員が集まっていた。
「いえ、ですから私たちはたまたまここに村があると聞きましてね、ほら、行商ですから商売をと」
「うーん、でもなあ」
どうやら、いつもの行商人が手配した薬草を持ってきたのでは無いらしい。
「まあほら、品物をね、見るだけでも」
やや甲高い声で話す男の足元に敷かれた布の上には瓶が数本――多分酒が入っているんだろう――と、手鏡、短剣などが並んでいた。さらに男の後ろ、村の外に止められた馬車から男二人が荷物を下ろしているところを見ると、他にも色々と持ってきているのだろう。
「ほら、これなんかブルス村のワインですよ。味も香りも最高級」
「この鏡、見てください。ゆがみなんて全くないでしょう?」
「この短剣、切れ味抜群ですよ。王都じゃ冒険者の必需品とも言われてる一品です」
「それからこれが……」
男の口上は立て板に水と行った感じで止まらない。そしてドンドン商品が並べられていくのだが、正直なところ、この村で必要になりそうな物は無く、おまけに値段も高い。なんとか生活が出来る程度のこの村では誰も買わないだろう。
興味を失った村人が一人去り、二人去り……誰もいなくなるまでそれほど時間はかからなかった。
「ま、そうだろうな」
口上を止めた男はぼそりと呟き、二人の仲間に総攻撃開始を合図する。裕福な村では無いが、多少は作物の蓄えもありそうだし、若い娘が一人いた。獲物としては悪くない。
さあ、略奪と殺戮の始まりだ。
「ん?何だ?」
食事の手を止めて父が立ち上がる。耳を澄ますと……悲鳴?
「何が起きて……?」
父が玄関の扉を開けた瞬間、その背中から赤黒い何か長いものが生えてきて、ズバッと横に動いた。
「ひっ」
「あなたっ!」
真っ赤に染まった剣をぶら下げた男が入ってきた。
「エリス!逃げな!」
そう言われても足が動かない。
「早く!」
振り向いた母に突き飛ばされるのと、母の胸が真っ赤に染まるのは同時だった。
慌てて裏口へ走ろうと振り向いた瞬間、左足に激痛が走り、倒れる。
「逃げんなよ」
男が手にした棍棒で思い切り打ち据えたのだ。ニヤリ、と嫌らしい笑いを浮かべながら近づいてくる。
「抵抗すんなよ?こっちもあんまり商品に傷を付けたくないんだ」
直後、顔に激痛が走り、意識を失った。
気付いた時に最初に感じたのは左足首の激痛と、顔の左半分に感覚が無いこと、口に布を突っ込まれていてひどい臭いがすること――幸か不幸か、口の中は血の味しかしなかった――手足が自由に動かせないこと、そして真っ暗で何も見えないことだった。
あのとき、顔を殴られて気絶したんだとわかったが、これは一体どういう?ああ、そうか。私、あいつらに捕まったんだ。商品、とか言ってたっけ。誰かに売られちゃうのかな?
そして、両親が殺された光景がフラッシュバックしてくる。
「!」
思わず頭を抱えそうになり、バランスを崩して倒れた。大きな袋に入れられていて、思うように動けない。
逃げることも出来ないか、と諦めた。無力な私にはどうすることも出来ないんだと。その時、肩を誰かがトントン、と叩いた。あいつらが来た、と身構える。
「えーと、聞こえるかどうかわからないけど、袋を開けるね」
え?誰?あの三人の誰の声でも無い、聞き覚えの無い、少年の声だ。
何がなんだかわからないうちに袋から出された。手足の拘束も簡単に解いてくれたのはまだ少しあどけなさが残る、優しそうな顔をした一人の少年。
誰?
馬車の後ろにはあいつら三人が縛られて転がっていた。どういうこと?
いや、それよりも、村の皆は?
村の中はあの三人が火を放ったせいで焦げ臭く、どれが誰の家だったか一目ではわからないほどの状態だった。少年に応急処置をしてもらったが、まだ痛む足を引きずりながら自分の家に。
無言の父と母がそこにいた。
少年はリョータと言う名で、何かにつけて私のことを気にかけて、村人の埋葬まで手伝ってくれた。一人で残されるのが怖くて、馬車を操れると言ったら、一緒にハマノ村まで行くことになった。気を紛らわすために色々と話してくれたけど、ドラゴン退治はいくら何でも嘘だよね?そのくらい、村の外に疎い私でもわかる。
ハマノ村でリョータが色々と事情を説明してくれたみたいだけど、私はその間、村長の奥さんに顔と足の手当てをしてもらっていたからよくわからない。とりあえず一晩泊まることになったんだけど、寝るのがすごく怖い……リョータのベッドに潜り込んじゃえ。朝になったら何か言われるかな?怒られないと思うけど……
翌朝、街から偉い人が来て、いろいろな事を聞かれた。うまく答えられなくて、ほとんどリョータに答えてもらったけど。そして街まで行くことになった。正直なところ、リョータ以外の人間が怖い。何をされるかわからなくて。でも、リョータが一緒にいてくれるなら心強い。
そう思っていたのに、街についたら大きな建物の中で小さな部屋に連れて行かれ、女の人に服を脱ぐように言われた。何かを確認するのだとか。言われるままに脱いだら、ため息をつかれ、確認できたから服を着て良いと言われた。
何を確認したのだろうと思っていたら、偉い人から、私が奴隷になっていたと告げられた。
一体どういうこと?と思っていたら、あの三人に何かされたのだろう、と。
リョータと別れ、偉い人たちに連れられて小さな部屋に案内される。これからはここで寝泊まりするようにと。そして、これからのことを話した。奴隷紋を刻まれている以上、むやみに外を歩くのは危険。この騎士団詰め所で仕事――掃除や洗濯、食事の支度など――をしていれば安全だ、等。
リョータに会えないのかと聞いてみたが、リョータがここに来れば会える、と言われた。来てくれるのだろうか?
ひとりぼっちで眠る夜はとても怖かった。今まで両親と一緒だったし、昨夜はリョータのベッドに潜り込んだ。だけど、ここでは一人だ。寂しいと言うよりも怖かった。
朝になり、偉い人の妹がやって来て色々世話を焼いてくれた。当面必要になるであろう、衣類や生活用品を部屋に持ってきてくれ、詰め所の中を案内してくれた。結構な広さがあり、いろいろな設備があるのでしっかり覚えないと迷子になると。あと、刃物を保管している部屋もあるので、注意するように言われた。
昼食のあと、少し休憩していたらリョータの足音が聞こえてきた。聞き間違えなんてしないよ、私の耳は特別製なんだから。
そして、また偉い人たちと難しい話になった。リョータが私の奴隷紋をどうにかするために旅に出るという。大陸の東まで。
私たちがあの場所に村を造るまで、確か二年くらいあちこちを転々としていたはず。その時のことはぼんやりとしか覚えてないけど、歩きづらくて険しい道も多かった。それでも国境を二つ越えたくらいしか移動していないはずだ。
リョータはそれよりももっと難しいことをやろうとしているということだ。
私のことを心配してくれているのはうれしい。だけど、私のせいでリョータが大変な思いをするのは辛い。そして、リョータに会えなくなるのはもっと辛い。
だから――
「わた、私も一緒に行きます!」
噛んだ。




