思ってたよりも進んだ技術
アレックスに限らず、集まった面々は魔法で出来ること、出来ないことのなんとなくの線引きは出来ている。魔法とは術者が考えたこと、イメージしたことが具現化する現象であり、呪文の詠唱や魔法陣、杖などの道具はそれらを補助するためのものでしかないことも。
だからこれがどれだけ難しいことかもよく理解していた。
例えば、綺麗に磨いた石――綺麗に磨いておかないとイメージが乗りにくい――に、「光れ」という魔法を乗せることは簡単だ。魔力をどうやって供給するかという問題さえクリアできれば、室内で使うに適した明かりの魔道具になるし、アレックスは作ってみたことがある。
イメージを乗せるためのインクの材料だけで大金貨数枚程というコストパフォーマンスの悪さ故に実用化は断念したが。
そう、イメージさえ固めてやれば、実現できるはずなのだ。
「命令に従え」
そう口にするのはとても単純だ。だが、そこにイメージを乗せるというのは、とんでもなく難しい。術者の思い描く命令とは何だろうか?という話になってしまうのだ。
「それだけでも難しいが、命令に背いたら苦痛を与えるってのも難しいな」
「苦痛って、具体的には何だ?」
「そうだな……体のどこかが痛くなる、とかは?」
「単純だが、ありだな」
「どこかって、どこにするんだ?」
「……急所、みたいな?」
「ちょっと今、ヒュンってなった」
「待て待て」
「ん?」
「それがいい、って奴が一定数いると聞くが」
「え、マジで?」
そんなこんなで、どうにか魔法陣を構築することに成功した。
「魔法陣が出来た……つまり、それが奴隷紋ってことですか?」
「んー、違う。少しだけ見せてあげよう」
そう言ってアレックスは棚から折りたたんだ紙を持って来て少し広げた。
「うわっ!何かびっしり描き込まれてる!」
「うん、色々必要なことを描き込んだ結果、こうなったんだ」
ホンの少しめくって見せただけでもびっしり描き込まれているそれを折りたたみながらアレックスが告げる。
「これ、広げるとざっと十メートル四方くらい。この部屋で広げるにはちょっと大きすぎるかな」
「十メートル四方?」
「そう。命令に背いたら激痛が走るようにしているだけなんだけど、「命令とは」というところを突き詰めていった結果、このくらいでないと命令に背いているかどうかを判断できないんだよね」
「えっと……ちょっと待ってください。命令に背いているって、どういうふうに判断を?」
「具体的には二つ。一つ目が大元の命令として「誰某を主人とし、その指示に従う」というのがある。そのとき主人をどうやって定義づけるか、というのがなかなか面倒でね」
つまり個人を魔法というモノで判定するというわけだが、魔法というのは何かしらの物理現象であって、意志のある何かではない。そのため個人の特定というのは非常に難しい。
「方法は二つ。まず、犯罪奴隷の場合、大抵は国が管理することになる。そして直接指示を出すのは犯罪奴隷を管理する役人が行うから、こういうものを用意した」
たたまれた紙の一部を広げてみせると、そこには四角く何も描かれていない箇所があった。
「ここにその国の、正確に言うと王家の紋章をいれる。そうすると、その国の役人が命令を出せるようになるんだ」
「役人かどうかの判断は?」
「ここに描かれた紋章と同じものを身につける、ということで判断する」
役人として働く者は、雇い主である領主や王の紋章をどこかに身につけるのがだいたいの国の慣例であり、犯罪奴隷の管理は国が行うとなれば、その管理をする役人は王家の紋章をどこかに身につけることになる。そこで紋章の有無が主人であるかどうかの判断材料となったのだ。
「だが、これでは足りないケースがあってね」
「どんなケースです?」
「国をまたいだ犯罪者だよ。大規模な盗賊団が該当することが多い」
「でも、そう言うときでも捕らえた国で裁くのでは?」
「そうそううまく行かないこともよくある」
「よくあるって、どういうときですか?」
「国家転覆」
「へ?」
「つまり、何らかの形で国、わかりやすく言うと王家自体が変わってしまうケースだね」
ある程度情勢の落ち着いた地域ならともかく、そうでない地域ではある日突然国が変わってしまうということが珍しくなかった時代。犯罪者を捕らえたはいいが、国が変わったばかりで紋章が固まらない時期に犯罪奴隷になるケースがあるだろう、と想定したという。
「そこで血だ」
「血?」
「そう。命令を下す主人の特定は血で行うことも出来る」
「ええ……」
「まあ、あくまでも緊急的措置だね」
昨日までの王族が一掃されて新しい国になったとしても、犯罪奴隷を働かせるような場所を管理する役人というのはおいそれと変わらない。
そもそも犯罪奴隷が働かせられるのは汚い、キツい、危険という3Kが裸足で逃げ出すような労働環境がほとんど。そしてそういうところの管理監督というのはある種の経験が必要であり、いわば職人、匠の世界。トップが変わったからとそれまでの者を追い出し、新しい者を据えた結果、一年と経たずに信じられないほどの事故が起こって、壊滅したなんて話は枚挙に暇がないという。
「ということは、そういうところを監督している人自身を主人に設定するために血を使う、と」
「そう。血をインクに混ぜるんだ」
なるほど、種族奴隷紋で血を使う理由がそこに繋がるのか。
「だが、根本の問題が解決できてない」
「根本の問題?」
「こんなデカいの、人間のどこにどう描くんだ?」
「あ」
成人男性の皮膚の面積は畳二畳くらいと聞いたことがある。それを全部使っても十メートル四方規模の魔法陣は描けない。
「仮に描いたとしても、全身がインクで真っ黒だね」
「確かに」
だが、それをどうにかしないことには犯罪奴隷という仕組みが構築できない。
「そこで、考えたんだ。この魔法陣を分離することを」
「分離?」
「そう。この魔法陣、広さの大半が命令に背いているかどうかを判断するための模様だ。そこで、当時私が発見したある魔法を組み込むことにした」
「ある魔法?どんな魔法です?」
「とてもシンプル。遠く離れた場所にいながら、魔法を作用させる、遠隔魔法だよ」
「遠隔魔法?」
「そう。これを使うことで奴隷が受けた命令と取った行動を遠く離れた魔法陣に送り、命令に背いていると判断されたら、その旨を奴隷に刻んだ魔法陣に送る。奴隷に刻まれた魔法陣はそれを受けて体に苦痛を与える」
「おお」
「だが、問題が残った」
「……どこにその判断をする魔法陣を置くか、ですね」
「なかなか鋭いね」
アレックスが立ち上がり、棚から紙の束を取り出した。
「えーと、これだ」
そういって差し出された紙には実にざっくりとした絵が描かれていた。
「体に刻む魔法陣には「主人の判別用の枠」「どんな命令だったかを受け取る部分」「どんな行動をしているか受け取る部分」「激痛を与える部分」この四つと情報伝達の機能のみ残し、命令違反の判断は分離して、ここのような施設を用意して、そこに判断させる魔法陣をまとめておく……ということを描いた絵だよ」
まさかのプレゼン資料か。
「ボロボロで全然読めませんね」
「そりゃあ、何百年前に描いたか覚えてないくらい古い資料だからねえ」
一応、状態保存の魔法陣はあるんだけど、何度も出し入れしているとどうしてもね、と補足しながら紙束を棚にしまった。
「そして、ここがそういう施設の一つ」
「一つってことは」
「世界中にいくつもある」
「そんなにたくさん?」
「うん。命令を判断する魔法陣、一人に一つ必要でね」
「一人に一つ?」
「そう。さっきの部屋にいっぱい箱が並んでいただろう?」
「ええ」
「あれ、魔法陣を分割して重ねたものなんだよね。アレ一個でだいたい十人くらいの面倒を見てる」
「へえ」
ついに三百話です
長かった&当初予定していた方向へどうにか軌道修正ができ……るといいな




