奴隷紋の始まり
「は?」
「ん?何かおかしなことを言ったかな?」
なんて答えりゃいいんだこれはと、改めて目の前の男を見る。髪は伸ばし放題に伸ばしたという感じのボサボサというか寝癖のまま爆発しているような金髪。目の色は青。ずっとこんな地下にいたせいだろう、日に焼けていないどころか、不健康に青白い肌。着ている物もサイズが全然あっていないというか、左右の袖、裾の長さが違う……いや、上に来ているのは左右違う服だな。背中になんか布の塊があるから、左右それぞれの袖を通して背中で結んでいるといった感じか?
ズボンがどうなってるのかは知らんが。
「いえ、えっと……」
そんな常識外れな格好をした男におかしなことと言われてもと、なんて答えたらいいのか口ごもると、首をかしげながらアレックス・ギルターと名乗った男が言う。
「私は名乗ったんだけど、君たちは?」
「え?あ、はい。わ……俺はリョータ、こっちがエリスで、こっちはポーレット」
「ふむ、よろしくね」
とりあえず、満足のいく答えだったのか、男はにこりと微笑み、紅茶を一口すすった。
「さて、君たちはここに一体何の用で来たのかな?」
「その前に少し質問をしてもいいですか?」
「いいだろう。私に答えられることなら」
「あなたは先ほど、アレックス・ギルターと名乗りましたが……ヘルメスという街を知っていますか?」
「ずいぶん漠然とした質問だね。まるで私が偽名を使っているとでも?」
「いえ、純粋に訊いてみたかったので」
「知的好奇心か」
「そんなところです」
「なるほど。で、質問に対する答えはイエスだ。実に懐かしい名前だね」
「懐かしいって」
「何百年単位の懐かしさだ」
「何百年って……普通の人間が生きられる長さじゃ」
「ああ、すまない。ここで暮らしている間に髪を整える習慣がすっかり無くなってね……ほら」
ボサボサの金髪をかき分けるととがった耳がのぞいた。
「エルフ?」
「そうだよ。私はエルフだ。年齢はすっかり忘れたよ。何しろここにいると時間の感覚がなくなるからね」
「そりゃそうでしょうね」
「でもね、外の様子が見えるように窓を開けるとそこからほこりが入るし、雨も吹き込むし、仕方ないんだよ」
ほこりが入ったら掃除すればいいだろうし、雨が降ったら戸板でも立てればいいのではと思うが、それすら億劫なんだろうな、この人は。
「では、そのヘルメスの魔の森の地下に何かの施設を作ったのは?」
「おや、あれを見つけたのかい?すごいねえ」
「え?」
「あんな、何も無さそうなところに入ったんだろう?」
「まあ、はい」
「君、変わり者って言われない?」
こんな人に言われたくない台詞だな。
「答えておくと、それもイエス。ヘルメスの街ができあがった頃、いろいろな研究が一段落したので、それをまとめておこうと思って」
「なるほど。それであんなにたくさんの資料が」
「ほう、あれを見たのか……って、君たちの装備、あれを参考にして作ったんだね」
「わかります?」
「まあね」
「ではさらに」
「まだあるのかい?」
「えっと……そのヘルメスの地下に入る手前にあった、上空へ転移させる魔法陣は?」
「ああ、あれねえ」
「リワースにも似たようなのがありましたし」
「ふむ」
これまで立て板に水のように話していたアレックスが少し考え込んだ。これ、ちょっとまずいことを訊いたかな?
「うーん、説明が長くなるんだが……どうしたものか」
「では、本命の質問を」
「なんだい?」
「そもそもここ、何なんですか?」
「そうだな、それならさっきの質問と一緒に答えようか」
そう言ってアレックスは手にしていた書類の束を机の上に放り投げて、話し始めた。
「事の起こりは……ええと……今からどのくらい昔かな。ええと、そうそう、だいたい千年近く昔だな」
「千年……」
「それは間違いないよ」
その当時の大陸東部は非常に治安が悪かった。いや、治安と言うよりも社会情勢が悪かったと言い換えても良いだろう。毎年どこかで国と国が領地を巡って戦争をしており、その戦争で焼け出された者たちがひっそりと身を寄せ合って暮らしているところに、同じように戦争で生活を奪われた者たちが盗賊となって襲いかかる。ある程度落ち着いた国が盗賊を討伐しようと兵をまとめても、出発直前に行く先が隣国との戦地に変更されるのは日常茶飯事。
魔の森に通じる街でも似たようなもの。本来街を治めるべき領主が厳しく犯罪を取り締まり、処罰すべきなのだが、隣国との戦争でそれどころではなくなり、罪人を捕らえても罪状を確認し、処罰する人的、時間的余裕がない上に、ぶち込んでおく牢獄も満杯と言う状態が続いていた。
そこで、牢獄をやめて、領主の管理している鉱山で強制労働させるようにしてみたものの、そもそも犯罪に手を染めるような連中が言うことを聞くわけがない。
そして言うことを聞かないだけならまだ良いが、鉱山の監督責任者に反抗的な態度をとり……態度をとるだけならいいが、実力行使に出るのである。
ほとほと困り果てた当時この辺りを治めていた王が、宮廷魔術師として頭角を現し始めていたアレックスにどうにか出来ないかと相談を持ちかけた。
「どうにか、とは……」
「犯罪者の行動を強制的に縛る何かがあればいいのだ」
「ふむ」
「そうだ。借金を返せなかった者が労働で支払う、借金奴隷の制度があるだろう。あれを罪人に応用できないか?」
「借金奴隷の制度を罪人に?」
当時、借金を返せなかった者は借りた金額+利子の分ひたすらただ働きして返すというやり方があった。返すべき金額、労働内容を商業ギルドで取り決め、その通りに働いて返す一方、途中で逃げ出したりした場合は、即犯罪とするという制度で、戦争の結果捕虜となった者を働かせる奴隷制度になぞらえて借金奴隷と呼ばれていたのだが、それと同じことをしよう、と。
「その……逃げ出したら犯罪って、すでに罪人ですよね?」
「そう、そこでだ。逃げたり、命令に背いたりした場合に苦痛を与えるような魔法はないか?」
アレックスにとって魔法とは、生活を便利で豊かにするための手段であり、理由はともあれ誰かに苦痛を与えるために使うというのは本意では無く、断ろうとした。
が、罪のない、普通に暮らす人々を傷つける罪人の行動を束縛するというのは、世のため人のためになる。どうにか協力をと、三日三晩――それもむさ苦しいおっさん数名に囲まれて――説得され、仕方なく研究に着手することになる。
「ということは、奴隷に刻む奴隷紋はアレックスさんが作ったのですか?」
「私一人の成果ではないな」
アレックスの魔法・魔道具に対する造詣の深さは他の宮廷魔術師たちも認めているところ。そしてそのアレックス自身が「さて、どこからどう手を付けようか」と悩んでいたところに、同じ悩みを抱えていた近隣の国から応援がやってきた。
あまりにも昔なのでアレックスは名前すら覚えていないがアレックスに匹敵するほどの知識と技術を持った者たちで、研究は一気に進……まなかった。そう、日本のブラック企業が裸足で逃げ出すような不眠不休の議論、研究が行われたにもかかわらず、全くといっていいほど進まなかったのである。
「そもそも罪人に命令に従うよう強制するとはどういうことだ?」
「命令って何だろうな?」
「確か、鉱山で強制労働させるんだろ?」
「ウチもそうだな」
「俺んとこも」
「そうね。どの国も罪人に与える罰なんて似たようなものでしょう?」
「つまり、言われたとおりの仕事をしろ、ということだよな?」
「仕事って何だ?」
「鉱山だと、こう……ツルハシでカンカン掘る、みたいな?」
「いや、掘り出した岩を運び出すのも仕事だろ?」
「運び出してから選別したりとかは?」




