奴隷紋の変化
そう思ってふと男を見る。
「え?」
「あ!」
「な、なんだ?!」
突然男が胸を押さえたので何事かと思い、慌てて駆け寄ると、服の隙間から光が漏れている。
「失礼、ちょっと見せて下さい」
コクリと頷くのを確認し、ゆっくりと服の合わせ目を開くと、男の胸に刻まれている奴隷紋が青く光っていた。
「くっ……」
男が思わず唸るが、ただ単に眩しいだけで強い痛みなどはない様子……確認のしようが無いが。そして思わずポーレットの方を見るが、そちらは光っていない。
「わ、私のは光ってませんよ?」
「だな」
エリスも……多分光ってないなと見ると、チラと胸元から服の中を確認し、コクリと頷いた。
「あのときとは違うってことか?」
「離れているから光らないって事でしょうか?」
「でも、それならこの人の奴隷紋はどうして光ってるのです?」
「わからん」
そして、よく見るとこの光は……奴隷紋自身が光っているのと同時に、どこかに向いているようにも見える。
「この向きは……こっち?」
「南の方角、ヴィエール?」
「よりもやや西、魔の森方向のようにも見えるな」
「あ、あの山の方角では?」
「可能性は高いな」
あの山の方角に光が向いているとして、どういうことなのだろうか?
「一体何が……あ!」
三人の見ている前で、男の胸に刻まれていた奴隷紋が形を変え始めた。
最初は奴隷紋の外側にある円がぐにゃりと歪み、いくつかの線に別れて九十度回転。集中線のようになった。そして内側の円、ドルフの名が刻まれている周囲が同じように形を変えると、光のパターンが内側から外側へ流れるように変わる。そして奴隷紋に刻まれていたドルフの名がグニャグニャとゆがみ、奴隷紋の形が変わったことで生まれた道のようなものをスルスルと通ってはじき出すと、ふわりと浮かびパチッと弾けて消えた。そして先ほどの逆回しのように奴隷紋が元の形に戻っていき、光が消えた。
「まさか、これが奴隷紋から名前が消えるって奴か?」
「ほ、本当に消えましたね」
「びっくりです」
三者三様の感想を聞いた男が奴隷紋をチラッと見て、ほっと息をつく。そしてそっと口元に手を当てる。
「う……あ……こ……れっ……ゲホッゲホッゲホッ」
何かを話そうとして、激しく咳き込んだので慌てて駆け寄り、とりあえず背中をさする。
「エリス、水……いや、ぬるま湯を」
「はい」
エリスが火にかけていた鍋から湯を汲み、ポーレットがそこに冷たい水を注いで少し冷ましたものを持って来た。
「ゆっくり飲んで。湯気を吸い込むように」
「あっ……あ……ああ」
軽くむせながらコップを受け取った男がゆっくりと湯を口に含み、時間をかけて飲み込んでいく。
「多分、今ので「しゃべるな」という命令が解除されたんだと思います。ただ、ずっとしゃべれなかったので、いきなり声を出そうとするとのどに負担がかかるんでしょう」
「だろうな」
「す……すま……な」
「謝らなくていいです。あなたのせいじゃないんですから」
「そ……か」
「まずは落ち着いてこれを飲んで。のどに湯気を吸い込んで湿らせる感じで」
「あ……ああ」
しばらくすると呼吸も落ち着いたが、まだのどに違和感があるらしく、しきりにのどをさすったり咳払いをしたりしている。だが、無理矢理何か押し込められているような雰囲気が消えたので、ドルフから解放されたのは間違いなさそうだ。
「あ……リョ……タ。その……」
「落ち着いて。ゆっくり、無理をしないでいいです」
「あ……ああ」
何かを伝えたくてたまらないのだろうが、それでのどに負担をかけてしまったら、それこそ本当に話せなくなってしまう。
そうなっては元も子もないから、無理はしなくていいと繰り返す。
「目的地に着くまではまだ時間があります。少しずつでいいですから」
「わか……ゲホッゲホッ」
「わわっ!み、水を!」
「はいっ!これを!」
相談の結果、今日はここで野営となった。
いきなり話せるようになって焦った男が落ち着くまで少々時間がかかり、野営に主に使われるらしい場所まで行くと夜になってしまいそうだからだ。
「すま……な……ゲホッゲホッ」
「だから、落ち着いて。無理に話さなくていいですから」
「だが……ゲホッゲホッ」
学習しねえなコイツと少し呆れながら、夜営の準備にかかる。もちろん何かを言いたいという気持ちはわかる。同時に、もう少し落ち着いて欲しい、とも。
エリスによると近くに川があるらしく、ポーレットが「魚が捕れたらラッキーです」と釣りの仕度をして行ったが、そちらはあまり期待していない。
エリスが少し地面を掘り、石を積んでしっかりしたかまどに組み直し、薪をくべる用意を進めている一方、リョータは近くの地面を魔法で均し、寝転がるためのシートを敷いて男を座らせる。
「喉にいい薬草、あったっけ?」
「手持ちはこのくらいですね」
冒険者に限らず、常に旅の空である行商人なども常備する、風邪の初期症状向けの薬草の粉末を残っていた湯に溶いて、男に飲ませる。
「あ「喋らなくていいですからね」
コクコク。
よろしい。
「喋れるようになったといってもずっと喉を使っていなかったわけですから。少しずつ「あー」とか声を出して、喉を慣らしていきましょう。色々話したいことがあるでしょうけど、それはそれ。ゆっくりでいいですから」
コクリ。
とりあえず男が落ち着いたところでエリスの耳がピクリ、と動いた。
「どうした?」
「えっと、ポーレットが呼んでる……のかな?」
「は?呼んでる?」
「はい……周囲に特に危険はないし、ちょっと見てくるね」
「おう」
何があったんだろう?
石を積んでかまどが出来上がったところで火を点け、薪をくべて程良い大きさにしたところで、一息入れる。
「ふう……落ち着きましたか?」
「あ……あ」
「俺も専門家じゃないのでわかりませんけど、二、三日すれば普通に喋れるようになるのでは、と思います」
「う……む」
「もちろん、色々言いたいことがあるんだろうなってことはわかります。でも、それで無理して喉を痛めたら、それこそ一生喋れなくなるかも知れません」
「あ……あ」
何か、アニメ映画の顔が無いっぽい名前のヤツみたいな受け答えだなと失礼なことを思っていたら、男の耳がピク、と動いた。
「ん?エリスたちの行った方か?」
コクコク。
一応、猪が飛び出してきたりするとヤバいので恐る恐る様子を見に行くと、木々の向こうから歩いてくる人影が見えた。まだ結構遠いが、それに気付くという時点で、犬系の獣人の聴覚はすごいと感心する。まあ、何となく犬と言うより狼っぽいんだけど、残念ながら区別がつかない。というか、そういう区別があるかどうかも知らない。エリスは同族の中で育ったからその辺は疎い。ポーレットなら知ってるだろうか?
そんなことを考えている内に二人はどんどん近づいてきて、こちらの姿を確認したのか少し早足になったようだ。
「ん?」
近づいてくるにつれ、二人の姿と二人が抱えているモノが見えてきた。
「な、何だあれ?!」
ホンの数秒だろうが思考が停止し、我に返ったときに改めてよく見る。
二人がかりで抱えて運んでいるのは、体長二メートルはありそうな魚だった。
「ふう、重かったです」
「ええ、本当に」
キチンと締めて内臓も取り出されているのでさすがに絶命していてピクリとも動かない魚は、見た感じだけで言えば、イワナとかヤマメと言ったような、典型的な川魚の姿をしている。
ただし、姿だけ。
リョータは魚釣りが趣味でもないし、高音域で魚愛を語るフグを象った帽子の人でも無いので魚に詳しくはないが、こんな大きさの川魚、アロワナとかそういう系以外に思い当たるものがない。
というかその前に、本当にそれ、釣ったのか?




