種族奴隷紋
「うなずいて肯定することと、首を振って否定することくらいは出来るので、時間はかかったが……彼から君たちへの感謝を伝えようとしているのがその手紙だ」
「はあ……」
言うまでもなくこの世界における識字率は低い。冒険者は依頼票を読む必要性からある程度読める、という者は多いが、商売をしているでもないような者はほとんど読み書きできない。
それは彼も例外ではないが、奴隷にされるまではごく普通の生活をしていたらしく、特に不便は無かったらしい。だが、それが意図的に喋れないようにされたら……筆談ということも出来ず、ここまで色々聞き出すのも苦労したらしい。
「名前がわからないってのはそういう理由なんですね」
「うむ」
字の読み書きが出来ず、喋ることの出来ない相手から名前を聞き出す。なかなか大変なミッションだろう。リョータが日本にいた頃、同じような境遇になったら、自分の名前をどうやって伝えるか、想像してみたが、恐ろしく難しいと言うことはわかった。
「お前さんの名字は?」
「……」
「えーと……「あ」で始まる?」
首を振って否定。
「じゃあ「い」で始まる?」
首を振って否定。
これを繰り返し、
「ふう……「や」で始まる?」
コクリ。
「では二文字目……「や」で始まって「あ」はないか……二文字目は「い」?」
首を振って否定……名前の確認だけで半日かかりそうだな。
「で、それが何でここに?」
「礼を言いたいそうだ」
「え?」
「ここからは少し難しい話になる」
ブレアスが割り込んできた。
「難しい話?」
「ここまでの話も踏まえて彼が奴隷、ということはいいな?」
「ええ」
「その主人がドルフだというのはさっきの話にあった通り。これもいいな?」
「はい」
「さて、そのドルフだが、色々積み重ねていたこともあって、犯罪奴隷堕ちが確定した」
「犯罪奴隷ですか」
「何をしたかは聞かない方がいいぞ」
「聞きません」
「賢明な判断だ。で、犯罪奴隷について三人とも詳しくないだろうから教えてやろう」
「はあ」
犯罪奴隷というのはいうまでも無く、罪を犯した者を奴隷の身分に堕とし、所定の期間の労働をさせて罪を償わせるという制度。大陸の大半の国が導入しているのは懲役や禁錮のような刑罰――一応制度として持っている国が多い――に比べ、コストが安く抑えられる上、確実に働かせられる労働力になる、というのが挙げられる。そして、だいたいの場合、お勤めを終える前に過酷な労働に耐えきれず死ぬので、再犯率も非常に低い、と言うかゼロなのが大きなメリットとのこと。
「そこまでぶっちゃけていいんですか?」
「いいんだよ。公然の秘密どころか、ある程度大きな組織の人間なら常識として知っている事実だからな」
「はあ」
「ま、そこまでは一般的にも知られている話。ここからが重要だ」
犯罪奴隷には色々な制約が課せられる。命令に従い働かなければならないというのは言うまでも無く、逃げようとする――所定の場所から出ようとすると、逃げようとしたと判定されるらしい――と、全身に激痛が走り、行動を阻害するなど。だが、一番知られていないのは、犯罪奴隷になった時点であらゆる資産の所有権が無くなると言うこと。
「ん?所有権がなくなる?」
「そうだ。どんな大金を持っていようと、土地や建物を始めとする資産を持っていようと、すべてその所有権を喪失する」
「へえ」
「そしてそれは、自分が所有する奴隷に対しても適用される」
「奴隷……え?あ!」
「そう。犯罪奴隷になるとそいつを主人としていた奴隷の紋からその名が消える」
「そ、それじゃ……」
「ここからの話は他言無用だが……彼は種族奴隷という、違法な奴隷にされている」
「違法な奴隷……」
「種族奴隷ってのは……」
ブレアスが種族奴隷について説明を始めたが、あえて聞くまでも無い内容だった。種族奴隷……言われずともわかっている。それがどれだけ厄介なものかも。
「それじゃあ……ドルフが犯罪奴隷になると、彼も解放されるって事ですか?」
「残念だがそうならない」
「え?」
「あくまでも主がいなくなるだけで、奴隷紋は残る」
「そんな……」
「一応、違法な手続きを踏んだ借金奴隷の奴隷紋が消えた例はあるらしいが、種族奴隷紋が消えたという話は無いらしい」
チラ、とポーレットを見ると目を大きく見開いている。
「わ……私!ある意味違法に借金させられてますよね!」
「そうだな」
「なんで解放されてないんですか!」
「そりゃあ……あのオルグとか言ったっけ?アイツは確かに捕まったし、犯罪奴隷になっただろうけどさ」
「ですよね!」
「その前に俺が主人に設定されちゃったじゃん」
「あ」
うーん……半分くらい俺のせい?
「で、話を続けるぞ」
「はい」
「主が刻まれていない奴隷ってのは非常に面倒な存在というのはわかるか?」
「何となく」
「ああ、その程度の認識で充分だ。で、ここからは国家機密に関わるレベルの話」
「え……」
「まあ、そう身構えるな。誰かに漏らしたところで、まともに信じてもらえないレベルの話だからな」
「はあ」
「まず、種族奴隷については一般には全く知られていないのはいいか?」
「はい」
「そして、それが色々と犯罪に関わっているというのもいいな?」
「はい」
「そして運良く奴隷本人を保護し、主を見つけて犯罪奴隷に堕としたあと、奴隷にされた本人をどうやって保護するかというと」
「いうと?」
「隔離するしかない」
「隔離?」
「そうだ。ここドルズと近隣数ヶ国で共同で運営しているある場所があってな。そこで暮らしてもらう」
「ええと……隠れ里、みたいな?」
「そんなところだ。詳細は言えないが、厳重に管理されている場所で、そこなら……いや、そこでしか彼が平穏に暮らせる場所はない」
「そう……ですか」
おそらくラウアールの近くにもそう言う場所はあるのだろう。だが、当時のリョータにそれを告げることは難しかったと判断されたのだろう。それに、エリスが懐いていたのだから、むやみに引き離すことも出来なかったという判断もあったのだろう。
「この件に関しては……Sランクの冒険者すら知らない情報だ。あまり漏らすなよ?」
「わかりました。でもなんでそれを俺たちに話すんです?」
「……ある意味ここからが本題だ」
ガタ、とブレアスが座り直す。
「一応こちらが聞いている話では遅くとも明日までにドルフは犯罪奴隷となる」
「はい」
「だが、奴隷紋から名が消えるのはそれから長くて三日程かかる」
「え?すぐ消えるんじゃないんですか?」
「その辺はよくわからん」
「はあ」
「そして、名が消えたら出来るだけ速やかに秘密の場所へ連れて行かなければならない」
「そうですね」
「で、ここにラウアールの冒険者ギルドから届いている資料があるのだが」
スイと紙が目の前に滑らされた。
「お前ら、何でもラウアールの高貴な方が種族奴隷紋にされたのをどうにかする方法を探しているんだって?」
「え?」
いつからそういう話になった?と思わず口を出掛けたがどうにか喉元で押しとどめる。
「ま、言えない話だってのはわかるから、それ以上は追及しない。だが……それならそれで何かの手がかりになるのかも知れんと思ってな」
「手がかり……」
「そうだ。種族奴隷が無事に見つかるってのは年に一、二件、あるかどうかって程度だ。そしてその名が消える瞬間というのを確認できるというのは……」
「かなり運がいい?」
「いいのかどうかはわからんがな。だが、滅多にない機会とも言える」




