ヴィエール到着
さて、宿の主人夫婦が言っているなら信憑性も高いだろう。そしてポーレットが追加で集めてきた情報によると、五、六年前までは特に危険のない、なだらかな道で馬車も通っていたとのこと。
それがある嵐の晩、崖崩れが起きて、道の三分の二くらいが崩落してしまい、歩くのすら身の危険を感じるような道になってしまったとのこと。
ヴィエールに急ぎたい気持ちはあるが、だからと言って危険なルートをとる必要もない。
収支トントンどころか赤字で、常に節約を心がけなければならない駆けだし冒険者と違い、リョータたちは特に路銀には困っていないのだから。
「すまないな。こんなところしかなくて」
「……」
「今、体を拭く物を持ってくる。それと、その手足の怪我はどんな具合なんだ?」
「……」
「お前さんの境遇については、俺たちはそういう事態を防がなきゃらならない立場だから、お前にも思うところがあるのはわかるが……その、なんだ。返事くらいして欲しいんだが」
「……」
「はあ」
ため息をついて「仕方ない」と衛兵たちは部屋を出る。
「どうだ?」
「ダメですね……一言も話しません」
「仕方ないな……」
ドア越しの会話は、普通の人間なら音が籠もって聞こえないだろうが、彼の耳には良く聞こえている。だが、話したくても話せないのだ。そう命令されているから。
それでも自由の利く範囲でベッドに腰掛け、窓の外を見る。
今宵は良い月夜だ。
あのとき、自分が違法な奴隷となっていることにいち早く気付き、それをさらけ出すことで、あの男を捕らえるきっかけを作ったあの者たちはどうしているだろうか?
馬車を軽々持ち上げた少女には驚いたし、馬車の車軸というとんでもなく頑丈な物を簡単に切り裂いた少年にも驚いた。だがそれ以上に、自分を隠していた布を取り払った獣人の少女に驚かされた。
馬車の中で身じろぎもせずにいたのに、その存在にいち早く気付き、さらに重傷を負っていることにも気付いていた。そのくらいなら自分の村にも何人か感覚の鋭い者がいたから然程気にしなかったが、馬車をいとも簡単に蹴り飛ばす脚力には驚いた。いくら車輪が外れて傾いていたとはいえ、あれほどとは。
もちろん、自分も体が万全ならそのくらいは出来るだろうとは思う。だが、自分たち犬系の獣人は感覚が鋭いか、驚異的な脚力を持つか、あるいはどちらも程々かというのが普通で、感覚も脚力もあれほどというのは自分の村にはいなかった。
もちろん、他の年長の者たちに聞かされている限りにもいなかったはず。
「この忌々しい紋様さえなければ……」
できればもう一度会い、話がしたい。一体、どういう人生を過ごしてくるとあのようになるのか、聞いてみたい。
そしてできれば、力を競ってみたい。多分、自分より速く駆け、高く跳び、巧妙に隠れた者も簡単に見つけ出すだろう。
「だが、叶わぬ夢、だな」
そう独りごちたところでドアがノックされ、衛兵が二人がかりでぬるま湯の入ったタライを運び込んできた。
「怪我の状態がひどい。一旦体を拭くがいいか?」
口を聞くことはできないが、頷くくらいはできるので、ゆっくりと頷くと身につけていた物を脱がされた。
「うっ……これはひどいな」
「大丈夫なのか?」
「……」
大丈夫かと聞かれても答えようがなく、ゆっくりと首を振る。
「やはり、誰とも話すな、という命令を受けているのだろうな」
「はあ……まったくひどいもんだ。ここも血まみれか」
「完全に固まってるな」
「腕、上げられるか?」
「ううむ……これはひどいな」
血と泥まみれだった体がそれでも見られる程度に洗い流され、適当に巻かれていた包帯も取り替えられた。あの男に自由を奪われてから、このような扱いを受けたことがないので戸惑うが、彼らに悪意らしきものがないためされるがままとしておく。
「……っく」
「スマン、痛かったか?」
問題ない、と首を振るが、心配そうな顔をされる。
気にするな、ずっと同じ姿勢だったから筋が固まって動かすと痛いだけだか、貼り付いた包帯を剥がすときに痛いとかなので問題ない。そう答えたいが、答えられない。
「よし、とりあえずこんなところか」
「これで様子見だな」
「また来る。ゆっくりしててくれ」
全身きれいに洗い、怪我の手当を終えた衛兵たちがゾロゾロと出ていった。感謝の言葉すら発することができないもどかしさで自己嫌悪に陥る。いや、あの男にこの紋様を刻まれた結果だからあの男のせい……違うな。あんな男の罠にはまったことに気付かなかった俺のミスだ。
「見えてきたな」
「あれがヴィエール」
見えてきた街は、これまでに訪れた街と大差なく、ごく普通の街に見える。
「うーん」
「リョータ?」
「あ、うん。今までに聞いたヴィエールの情報が、こんがらがってきて」
ヴィエールについて今までに聞いてきた情報は色々と錯綜していて、この世界の情報伝達の精度の低さを物語っている。方や「とても小さい街」、方や「普通の街」。方や「魔の森に面しているがダンジョンはない」、方や「ダンジョンはある」。
そして名前が変わってヴィエールになったらしいが、その時期についても色々とズレがある。ポーレットの父親が言う「十年くらい前にヴィエールになった」というのはちょっと信頼性が低いのでそこはスルーしておいても良さそうだが。
「ま、とにかく行ってみるか」
百聞は一見にしかず。自分の目で見て確かめよう。
門の衛兵に書簡を渡すと、「冒険者ギルドに連絡しておきますので」と顔を出しておくよう言われた。顔は出すけどさ……
「面倒なことが起きる気がします」
「私も」
二人ともリョータと同意見のようだ。おかしいな、何も悪いことはしていないはずなんだが。
とりあえず冒険者ギルドへ向かい、受付に到着を告げると、奥へ通された。が、通されたのは支部長室とかではなく、ただの打合せ用の小部屋。支部長室なら話す相手が絞り込まれるが、ここだと一体誰が出てくるやらと不安を覚えていると、ここへ通した受付嬢を含めて三人が入ってきた。
「冒険者ギルド、ヴィエール支部の支部長、ホルツです」
「ギルドマスターのブレアスだ」
は?ギルドマスター?
「ああ、その、なんだ。偶然だ」
「偶然?」
「ギルドマスターだからってずっと王都にいるわけじゃねえ。何も問題ないか、うまくいってるか見て回るのも仕事でな。たまたまヴィエールに立ち寄っていたら、おもしれえ奴が来るって言うからちょっと予定を変更して待ってたんだ」
予定通り帰ってて欲しかったんですが。
「で、これだ。行商人のドルフの馬車を川に落とした」
「ああ、えっと……不幸な事故です」
わざとやりましたとかとても言えないのでそう濁したら三人揃って爆笑した。
「不幸な事故、か!」
「あははは、お、お腹が痛いです、ひっ」
「くははは!傑作、コイツは傑作だ!」
ええ……どういう反応?
「はあっ、はあっ……すまねえ、ちょっと面白すぎた」
「え?」
「だってよ、ドルフって、あのドルフだろ?」
そう言われてもどのドルフかわからないんだが。
「ああ、いい。知らないのも無理はないからな」
「え?」
「聞いてるかもしれんが色々と黒い噂の絶えない奴さ。ひどい目に遭わされたって冒険者は両手じゃ足りないくらいにいる」
「そんなに?」
「ああ。だが、具体的な……そう、証拠がなくてな。捕まえようがなくて手を焼いていたんだ」
「つまり皆さんに対して言えるのはシンプルに、お手柄でした、なんです」
「そうですか」




