話が通じない
「ああ、クソ!さっさとなんとかしろ!」
小太りの男が男たちに怒鳴り散らしているが、怒鳴り散らしてどうにかなるならとっくにこの事態は収拾されているはず。リョータたちは近くまで行って様子を見てそんな感想を抱いた。
脱輪した荷馬車の前後にはちょっと遠巻きに野次馬が集まっていて、馬車をどうにか引き上げようとしている様子を見物しているが、なかなか作業が進まない。積み込まれている荷物もそうだが、その重量を支えるだけあって荷馬車自体が重いため、男たちが五、六人がかりでも持ち上がらない。
幸い馬が川に落ちるといった事態は避けられているが、脱輪したのが上流側のため、引き上げるのが無理なら落としてしまえと言う事もできない。馬車を落として、ちょうど真下にある柱にぶつかりでもして橋が崩落したら大惨事だ。
「まったく、前から言っていたんだ。この橋には欄干を付けるべきだとな!」
この川は時期によってかなり増水し、橋が完全に水没するのは珍しくない。そうした時期の水の勢いは相当で、欄干を付けると水の勢いだけで崩壊してしまいかねないとの判断で、欄干がなく、歩行者の転落を防ぐためのロープが張られているだけ。
なるほど馬車の転落は防げないのだなと思いつつも、幅いっぱいに広がって作業しているので素通りするのも難しいのはどうしたものか。
「ドルフさん、ダメです。全然持ち上がりません」
「ぐぬぬぬ……」
作業していた一人の報告にドルフと呼ばれた小太りの男が切れそうだ。
「ええい!誰でもいい!この馬車を引き上げることができたら小金貨五枚出す!」
ちょっと場が沸いたがどうにかできるとは思えず、誰も名乗り出ない。このままでは埒が明かないので、とりあえずポーレットに聞いてみるか。
「ポーレット、あれ、背負えるか?」
「ええ……」
「ここで足止め食らって野営とか面倒臭いだろ」
「それはまあ……うーんと」
こうすればなんとか、という方法をポーレットが口にする。なるほどそれならというやりとりの間に男はさらにヒートアップしていた。
「十枚だ!小金貨十枚出す!誰かなんとかしろ!」
このタイミングで出るのはちょっと微妙な空気が漂いそうで気が引けるので、おずおずと名乗り出る。
「ん?お前は?」
「えっと……冒険「引き上げるならさっさとしろ!」
会話を成立させて欲しいんだが。
とりあえずポーレットが背負っていた荷物はあまり多くないのでとりあえずエリスに預け、作業していた男たちのもとへ向かい、「こうしてほしい」と話をつけると、できるだけ丈夫なロープ――商人の別の荷馬車から出してきた――を二本、馬車の上から下までぐるりと回し、程よく緩ませたところできつく縛る。このロープを背負い紐にする要領で、ポーレットが両腕を通せば準備完了だ。
「では……あれ?」
「ポーレット、どうした?」
「えっと……」
「リョータ」
「ん?」
何かに気付いたらしいエリスが耳打ちしてくる。なるほどな。
このくらいは認めてもらおうと小太りの男の元へ向かう。
「なんだ?さっさと引き上げろ」
「そうしたいのですが、中に誰か乗ってませんか?」
「え?」
「人ではないかも知れませんが、生きている者が乗っていると持ち上げられません」
「……乗っていなければできるんだな?」
「はい」
「ちっ……わかった。おい」
そばにいた男が言われたとおり荷馬車の後ろを開けてガタガタやると、大きな布にくるまれた誰かが降りてきた。
「……」
「エリス。おさえて」
「……はい」
エリスの目が険しいどころか、今すぐにでも小太りに斬りかかりそうなのを宥める。何となくイヤな感じがするが、この場がこれ以上こじれると面倒だ。
「では……少し離れてください……よっと」
両手を馬車の下にちょっと引っかけて軽いかけ声と共にポーレットが立ち上がって数歩進み、ゆっくりと下ろすとわっと歓声が上がった。
そりゃそうだ。見た目だけなら十代にしか見えないような少女が自分の十倍はありそうな荷馬車をひょいと背負ったのだから。ドス、と荷馬車を下ろしたところに男たちが近づいて馬車の損傷具合を確認し始める。どうやら車輪を一つ交換しなければならないらしく、ジャッキのような工具を持って来て交換にかかり始めた。
ポーレットに「お疲れさん」と声をかけ、荷物を背負って先に橋の向こうへ行っておくよう告げて、小太りの元へ向かう。多分……面倒臭いことになる。
「どうにか引き上げました。これでいいでしょうか?」
「そう……だな」
「では約束の」
「あ?何でだ?」
「「「「え?」」」」
驚いたのはリョータだけではなく、周りにいた野次馬も同様。
そりゃそうだ。馬車を引き上げたら小金貨十枚。そう言ったのはこの男で、リョータが要求したわけではない。リョータとしては最初の五枚でも別に構わないし、なんなら無償でもいい。が、せめて礼の一言でも欲しいところだ、人として。
「見ろ」
「ん?」
「車輪の交換が必要だ」
「ですね」
「新しい車輪が小金貨四枚、中の荷物が少し崩れてダメになった分の損失が七枚。この騒動で生じた遅れで信用を失いかねないからそのための補填で五枚。合計で小金貨十六枚。本当ならお前に請求するところを目こぼししてやろうと言ってるんだ。感謝こそされても文句を言われる筋合いはない」
何を言ってるかよくわからない。
「あのさ……」
「それとも何か?お前が払うか?」
会話が成立しない。何をどうしたらこういう考えに至るのか、じっくり聞かせて欲しいところだが、聞いたところで理解はできないだろう。
「さあ!払うならさっさとしろ!」
デカい声で威圧すればそれでいい、そう思ってそうな勢いに少し気圧されて後退ると、男は調子に乗ってさらにあおり立て始める。
「そうだ!払えないならそこの女!そいつで手を打とう」
「リョータ」
「はあ……仕方ない、か」
エリスが完全に切れてる。色々な意味で。
「フハハハハ!かかれ!二人とも捕らえろ!あとさっき向こうへ行った小娘も逃がすな!」
小太りが叫ぶと、護衛と思しき男数名――護衛にしてはガラが悪すぎる――がなんのためらいもなく剣を抜いてこちらに来た。
「悪いな……これも雇い主の意向なぶふぉぉぉっ!」
そう言って構えた剣をラビットソードで切り落とし、素早く身を伏せるとエリスがそのまま男を川へ蹴り落とす。すぐに転がって起き上がると次の男へ。同じように剣を切り落として同じように蹴り飛ばすと、さすがに男たちが怯んで立ち止まる。
「お!おい!た、助けてくれ!」
「落ちる!落ちる!!」
蹴り飛ばされた男二人はどうにか橋にしがみついているが、川の流れは速く、つかまっているのが精一杯。
「助けてやったら?その代わり、背を向けた瞬間に蹴り飛ばす」
「くっ……」
残っているのは四人。人数だけならあちらの方が有利。だが、構えていた剣が真っ二つに切られている時点で彼らは勝てる見込みがないと判断しているらしい。自分の実力をよくわかっているというのは好感が持てるね。雇い主さえまともだったら真っ当な人生が送れただろうに。いや、雇い主がまともかどうか見抜けていない時点でダメ人間か。
「ぐぬぬ……」
小太りがまた何か叫びそうなタイミングで二人同時に駆け出す。
エリスはそのまま馬車の上に、リョータは修理中の車輪とは反対側。そのまま駆け抜けながら車輪二つの車軸を切断し、車体が大きく傾くと同時にエリスが上で馬車をガンッと蹴る。するとバガン!と派手な音をさせて馬車がひっくり返っていく。そのままエリスが先ほど引き出されてきた布で覆われた者のそばへ寄り、バサッと取り払った。
直後、支えを失った馬車は川へ落ちていく。川下側なので、何も引っかかる物もなくしばらくドンブラコと流れ……消えていった。
「桃以外にもドンブラコと流れる物ってあるんだな」
「ん?」
「あ、いやこっちの話」
くだらないことを考えて、つい口に出てしまったなと誤魔化す。




