エルフの三百年
「大して見るべきところはないですね」
「「え?」」
確かに淀みのない直線、滑らかな曲線は見事だが、これもごくありふれたレベル。五年も木材加工に取り組んだ職人なら誰でも到達できるレベルだそう。
「オマケに、この彫刻。何が言いたいのかさっぱりです」
「「え?」」
貴族が使う物はもちろんだが、平民が使う物でもこうした装飾を施すことは珍しくない。だが、その装飾にはある程度の意味があるのが普通。例えば、全て直線で統一したり、直線と曲線を組み合わせて左右対称にしたりするなどがよくあるパターン。あとは動植物を彫ったりしてみたりとというのも良くあるパターン。
「ですがこれ……左右対称でもないですし、何かの規則性があるわけでもなし。むしろ見ていて不快になりませんか?」
「うーん、言われてみれば」
幾何学模様が彫り込まれているのはいいが、微妙に左右に広がっている円や四角の位置がずれているし、直線の傾きも左右で違うので全体的に歪んで見える。先ほど見ていたときの違和感はこれだったのか。
「もちろん、あえてずらす、という技術もありますが、そういうレベルにもなっていません。適当にきれいに見えそうに、直線や縁を組み合わせて彫っただけ。これなら町の木工職人見習いの方が余程いい仕事をしますよ」
見習い以下という評価に二人はズン、と音が聞こえるほどに落ち込んだ。
「さて、続いてですが……リョータさん、これは何に使うものかわかりますか?」
「何って、こうして筋肉を鍛えるためでしょう?」
「ええそうです」
リョータがダンベルを握り、腕を上下させてみせたところ、使い方はこれで正解らしい。
「リョータさんがどこでその使い方を知ったのかは聞きません。私が思う以上に博識のようですし。ですが、普通の人はこれをどう使うかなんて知らないんですよ」
「そうなんですか?」
「だってリョータさん、こういった物、どこかで見たことありますか?」
「どこって、トレ……確かに見たことありませんね」
「でしょう?」
前世のトレーニングジム、と言いかけて慌てて口をつぐんだ。
ハヴィンの言うことはもっともだ。
この世界に、体を鍛えるという概念はない。肉体労働者は日々の仕事の中で鍛えられるし、そうでない者も日々の生活の中で程良く体を動かす。一番体を動かしていないだろう貴族たちも、移動が安全を考慮して馬車という以外、結構身の回りのことは自分でしているらしい。
冒険者も然り。ひょろっとして頼りなさそうな新人も一ヶ月も魔の森に通い続ければそれなりに鍛えられた体になっていく。そういう体にならなかった者は、自分に才能がないと諦めて故郷に帰るか、魔の森で命を落としているかのどちらかだ。
では、ダンベルはどこで使われるのかというと、主に騎士たち。彼らは日々の鍛錬が仕事の一部であり、純粋に体を鍛えるという行為をする数少ない職業で、そうした彼らのためにダンベルを始めとするトレーニング用の器具は造られている。ただし、基本は受注生産。人数が増えたとか、錆や摩耗などによる入れ替え以外の需要がないため、ダンベルを店先に置く店はない。
ハヴィンがこのダンベルを小銀貨一枚で買い取ったとしよう。
買い取ったものを倉庫にしまっていたらそれこそ不良在庫になるので店先に並べるしかない。だが、並べるときに、他の商品とは少し離しておかないとダメだろう。
通常、商品を並べるときには「ここからここまで○○で、ここからここまでは××」といった具合に似たような商品を集めることが多い。売る側にとっても買う側にとっても探しやすく、商品同士の比較もしやすいからだ。
おそらく、このダンベルは他に似たような商品がないので、分類しにくい商品を集めた一角に置くことになるだろう。
そうした分類しづらい商品でも需要のある商品というのは珍しくなく、コンスタントに売れていく。が、使い道のわからない商品は売れていかないのが常で、ダンベルもおそらく売れない。年単位で店に残り続けるだろう。
それでもハヴィンが「売れる見込みがある」と直感した商品なら置き続けるだろうが、彼自身が「多分というか絶対売れない」と感じている。
そう、ぶっちゃけこんなのを買い取りたくないというのがハヴィンの本音である。
そしてリョータはその空気を的確に読み取った。
「工芸品としては三流以下。芸術品としての価値は無し。実用品としての需要はゼロ。ハヴィンさん、無理に買い取らなくていいですよ」
「いいのですか?」
「そのくらいしないとコイツらいつまで経ってもこの調子でしょうし」
「ご厚意痛み入ります」
リョータの気遣いに心底安心したようで、ハヴィンの表情が緩んだ。
「で?」
「えっと……その……」
「で?」
「……」
買い取りできない物を持ち込んだ迷惑客を引きずりながらハヴィンの店をあとにし、改めてエルフたちに事情説明。これまで売れなかったことがなかっただけにショックだったようだ。
「あ、あの商人に見る目がなかっただけだ!」
「そうだよな!」
互いに傷をなめ合っているようにしか見えんのだが、もう一つ追い込んでおくか。
「一応、他の街のいろんな商会に情報を流すように手配しておいたぞ」
「「「え?」」」
「これからは真っ当な商売をするんだな」
「ちょ!ちょっと待ってくれ!」
「その言い方じゃ、俺たちがあくどい商売をしていたように聞こえるじゃないか!」
ハア……とリョータはため息をついてエルフたちに問う。
「あのダンベル、売り始めたのはいつだ?」
「いつ……うーん、三百年は経つと思う」
「そうか。じゃ、追加で質問。それからずっとあれと同じもの?」
「おう!」
「我らエルフより木材加工に優れた者などいな「いるって言われたばっかりだろ!」
三百年もあれば人間の技術って相当に進歩するんだよ。木工に関して言えば、加工に使う道具の工夫の繰り返しにより、細かく正確な加工ができるようになっていくだろう。そう、日々の研鑽を重ねないエルフのアドバンテージなど、あっという間に抜き去ってしまうのが人間なのだ。
「ということで、他に金を稼ぐ方法は?」
「ありません」
自慢げに言うな。
「そうか。じゃあ、ポーレットを借金奴隷から解放するのは無理だな」
「くっ……」
「そもそも、ポーレット本人が奴隷から解放してくれって、お前らに頼んでいないからな」
ポーレット自身は奴隷という身分に思うところはある。だが、リョータの元に来てからは特に自由を制限されることはなくなった。返済の都合上一緒に旅をしているが、冒険者であれば常にそこらを旅するのはごく普通のこと。そして毎日しっかり食えて、冒険者としては破格と言っていいような宿に泊まれ、オマケに魔法の使い方も覚えつつある。さらに言うなら返済を迫られることもない。いまさら「じゃ、奴隷から解放したのであとは自由にしろ」と放り出される方が酷かもな。もちろん、いずれリョータたちの方が先に逝くだろうが、せめてそれまでの間は、と思っているのだ。
「じゃ、この話はこのくらいにしておいて」
「ん?」
「二つ、聞きたいことがある」
「二つ?」
「我らエルフに?」
「うん。エルフだからというか、長生きしてるから何か知ってるかな、と言う程度だが」
「まあ、俺たちで答えられることなら」
有益な情報なら情報料くらいは払ってもいいとは思っている。




