アキュートボア討伐戦(前)
「さ、行くぞ」
「え?」
「上に」
「はあ……行ってらっしゃいませ」
「何言ってんだ。お前も行くんだぞ」
「え?」
「行くぞ」
「あ、あの……?私、今降りてきたばかりなんですけど?結構疲れてるんですけど?」
「お前にしか出来ないことがあるんだよ」
「わ、私にだけ?」
「おう」
「ふう、仕方ないですねえ」
ブツブツ言いながら着いてきたが、その人にしか出来ない仕事というのがあるんだよな。別にポーレットだけが特別では無い。
積み上げられた土嚢を登り始める頃、後ろでガラガラと荷車を引く音が聞こえたので振り返ると、大きな樽が運ばれてきていた。
「リョータ、あれは?」
「これからやる作戦が失敗した場合のプランB」
油をありったけまいて上から火を放ち、焼き殺す。一番シンプルな作戦だが、プランBになっている理由はとても簡単で、この後に来る荷車の分で街にある油は全てだから。あの巨体を焼くにはあまりにも少ない癖に、あれを使い切ったら街にある油は底を尽きる。そうなったら街にある食堂は油を使った料理をしばらく出せなくなってしまうのだ。もちろん街の存亡がかかっているのだから、そんなことを言っている場合では無いが、使わずにすむならその方が良い。
「もしかして、あれを運んだ方がいいのでしょうか」
「今はいい」
今はね。
「リョータ」
「ん?」
「失敗しないでくださいね」
「そのつもりだけど、成功するか失敗するかはポーレットにかかってるんだよな」
「え?」
何それ聞いてない、と言う顔をしているが、そもそもポーレットには話してないからな。土嚢運びしていたから邪魔するのは悪いと思って。
「この高さから見てもデカいな」
「ええ。行けますか?」
アキュートボアの巨体を見下ろしながらジャニエスは少し身震いする。今までに何度もアキュートボア狩りをしたが、このサイズは個体差という次元を越えている。支部長が言っていた「変異種」というのも納得で、この壁が崩れて街まで行ったらどうなるかなど想像するだけで恐ろしい。
これからあそこに飛び降りて槍を突き刺すのだから、平然としていられる方がどうかしているが、ここは年長者としての余裕を見せてやろうと、ジャニエスは平静を装って答える。
「誰に物言ってんだ?」
「頑張りましょう」
「お、おう」
「背中のちょっと白い毛の部分、見えます?」
「ああ」
「あそこを狙うようにしましょうか」
「わかった」
「無理にあそこに刺さらなくてもいいです。あの位置からどの位ズレたかを確認して調整します」
「その辺は任せた」
ジャニエスがグッと親指を立てて了解し、槍を置いて柔軟を始めたので、その間にこちらはこちらで話をしておこう。
「ジャニエスさんが槍を持って飛び降りて、突き刺す。ここまではいいな?」
「「はい」」
「そこにエリスが飛び込んで、ジャニエスさんを回収。すぐに離脱」
「はい」
「ポーレットは槍の位置を俺に教えてくれ」
「あの背中の白い部分と比べてどの位ズレているかを教えればいいんですね?」
「そうだ。そして、エリスが安全な距離まで離れたタイミングで合図を」
「そしたらリョータが雷の魔法を撃つのですぐに伏せる」
「そう」
単純な体の大きさ、というか重量はドラゴンよりも重いかも知れないため、全身に電撃が巡るように目一杯魔力を込める予定。今回は標的が自分より低い位置にいるので、壁の中央より後ろ側で放ち、出来るだけ槍に集中出来るようにコントロールをしたい。となると、槍の位置をある程度正確に捉えて撃ちたいので、誰かが見ている必要があるのだが、リョータの雷撃魔法がどういうものか、今までに見たことがある者はここにいる中ではエリスとポーレットのみ。そしてエリスは槍という雷撃の標的を突き刺したジャニエスを避難させるために動くため、必然的にポーレットがその役割を担う。
壁の縁ギリギリで雷撃の落ちるのを見るというのはポーレットに落雷する可能性もあるのだが、そこはあえて触れないでおく。金属製の物は全て外し、伏せて転がっていればそうそう雷が落ちることも無いだろう。落ちたら運が悪かったと言うことで。
「そろそろ行けるぞ」
ジャニエスが準備万端と槍を振り上げる。
「はい。それじゃ二人とも」
「頑張りましょう」
「ええ!」
エリスがタタッと助走位置へ駆けていき、ポーレットはジャニエスの隣へ。リョータはそのまま数歩下がり、ゆっくりとイメージを固めていく。
「雷雲を構成……空気中の水分を氷結……高速で攪拌して摩擦による静電気を……」
今まで、こんなにイメージしたことは無いと言うくらいに細かいイメージを作り上げ、魔力を乗せていくと、濃い灰色をした靄が集まっていく。
「おいおい、あれはなんだ?」
「リョータの魔法ですから……雷雲?」
「マジかよ」
チラと見るとリョータが「準備よし」と右手で答えた。
「行ってくる」
「はい」
ジャニエスが軽く助走をつけて飛び降りていくのを見送りながら、ポーレットは少しだけ何かに祈る。どうか無事に討伐出来ますようにと。
ダンジョンを探索しているとき、何度となくどうしても飛び降りるしかないところを飛び降りたことがあるので、このくらいの高さから狙った位置に飛び降りるくらい造作も無い。ただし、飛び降りる先がこんな巨大な魔物の背中というのは初体験。貴重な体験だが、同時に「何度もやるものではないな」と着地してから思う。
トン単位の巨体の上にたかだか数十キロの自分が飛び降りた程度だが、多少は衝撃が伝わり、巨大アキュートボアが身じろぐ。
「うわっと!」
慌てて背中の毛をつかみ、転落を免れる。わかっていて飛び込んだと言え、一番危険な場所に飛び込んだと実感しながら、数歩先の白い毛のところに槍の歩先を向ける。
「魔力を……込める」
グッと力を込めてドスッと突き立てると、さっき試しに地面に突き立てたときのようにズブリと突き刺さり、穂先が完全に毛並みの向こうへ沈んだ。ややズレているが、刺しなおす余裕は無い。
「よし!」
すぐに左手を上げて合図を送ると同時に、アキュートボアが槍を刺された痛みにドスンと大きく体を揺らした。
合図が上がるより少し前に、ポーレットは槍が刺さると確信し、エリスへ合図を送っていたので、エリスが跳ねてギリギリで間に合い、体勢を崩して転がり落ちそうなジャニエスの元へ飛び込んでいった。
「ぐあっ」
このままでは落ちる、そしてこの巨体に押し潰される。何かに捕まろうとジャニエスが伸ばした手がグイッと何かに引っ張られた。
「うおっ!」
「大丈夫!このまま跳びます」
「お、おう!」
リョータの仲間だという獣人の少女は、その言葉通り何もないところを蹴って跳躍した。
「嘘だろぉ?!」
「舌、噛みますよ?」
「んぐっ!」
とりあえずジャニエスは、このエリスという少女もリョータ同様、普通の物差しで測れないことだけは理解し、引っ張られるまま、身を任せることにした。
「左へ二歩、後ろへ三歩!」
目を閉じて集中しているリョータへ位置を伝え、エリスに合図を送り、エリスが壁に向けて跳躍したところで、これで良しと判断し、リョータへ合図を送る。
「撃って!」
ここからリョータが集中を高め、あの灰色の靄がわずかに光るまで数秒。わずかな時間だが今までに何度も見てきたから大丈夫と確信していたが、ちょうどそのタイミングでエリスが壁の向こう側へジャニエスを連れて飛び降りていき、同時に伏せてゴロゴロと後退する。
直後、嵐の夜に周囲を昼間のように明るく照らすほどの落雷のような光と轟音をさせながらリョータの雷撃魔法が炸裂した。




