元Sランクの実力は
「狙いはボアの真正面……なんか前を走ってる連中がいるわね」
えーと……確か、バイルだったっけ?
長いことギルド職員として働いているが、さっさと支部長になってしまったので、特に目立つ――いい意味でも悪い意味でも――冒険者以外はあまり記憶に無く、確か、アキュートボアをよく狩っている冒険者パーティのリーダーがそんな名前だったなと思い出すと同時に、結構なベテランだから大丈夫だろうと決めつけて魔法を構築していく。
「大地への干渉……軽量化、変形。高さは五十メートル。強化の後に重量を戻し、さらに再強化……」
通常の魔法の呪文は「火を司る大気の王よ」とか「凍てつかせる雪の使者よ」などといった中二フレーズ満載なのだが、どういうわけかこの杖は具体的に何をしたいか普通の言葉で指示を出す必要があり、そのあたりが普通の魔導師たちからの受けが悪いところでもあった。
「発動!大地の壁!」
地響きと共に六人冒険者が走っているあたりの地面が隆起して硬化。行く手を遮る障害となって巨大なアキュートボアの前に立ちはだかり、直後、その巨体の突進を受け止めた。
「うわああああっ!」
「ちょわあああっ!」
いきなり地面が隆起して足元をすくわれた直後に、その足元全体が大きく揺らぐような衝撃に六人は転倒。どうにか壁からの落下は免れたところに、さらにユーフィの追加の魔法が飛んでいく。
「囲え!大地の壁!」
巨大アキュートボアの左右と背後にも同じように壁がせり上がるとそれぞれがガッチリとかみ合い、その動きを封じることに成功した。
「なんとか……くっ」
大規模な、それこそ宮廷魔導師総出で行うような魔法を行使した彼女はそのまま倒れ、ちょうど駆けつけたロールによって抱き止められた。
「お、なんかすごいことになったな」
リョータたちからも巨大アキュートボアの突進を受け止めた壁は見え、大きく舞い上がった土埃が見えてからやや遅れて、ズシンと響く音が聞こえてきた。
「なるほど、完全に周りを囲んでしまえば上から仕留めることが出来るという作戦かな?」
「あの状況でどうやって攻撃するんですか?」
「何か考えがあるんだろ?」
「あんな大規模魔法があるなら、その続きも考えてあるだろうと信じたいですけど」
「とりあえず急ごうか」
「「はい」」
何か出来ることがあるなら手伝いたいくらいのつもりで急ぐことにした。
「これ、キツいな……」
「ぐわっ!滑るっ!」
ユーフィの魔法により造り出された壁は頑丈で、しばらくは中で興奮しているアキュートボアの攻撃に耐えそうだが、あくまでも時間稼ぎ。今のうちに攻撃すべきと、上に取り残された六人が垂らすロープを頼りに登ろうとしているのだが、魔法でできているだけあって表面が滑らかで垂直。おまけに固すぎて、スパイクなどを突き刺すことも出来ないという、普段ならダンジョン内の壁を自由自在に登るような者達でも苦戦している。
「積み上げろ!」
「この辺か?」
「もうちょい手前まで積め!」
ロープを伝って登ろうとする一方で、土嚢を積み上げて足場にしようとギルド職員がかき集めてきた袋に土をつめて積み上げる者たちもいる。
「ふう……やっと登れた」
ようやく登り切った者が上から見下ろした光景は絶望しかなかった。
鼻先から尻尾までの全長は八十メートルはありそうで、体高は四十メートル弱と言ったところ。試しに弓を強めに引いて射かけてみたが、毛皮をわずかにこすった後にスルリとそらされた。仕方ないので、強めにナイフを投げてみたが、毛皮に阻まれてかすり傷すら負わせていない。
「どうするよ?」
「うーむ」
壁の上にいるのは冒険者歴十年以上のベテラン揃いだが、こんなのを相手にしたことのある者は一人もいない。
「ここを降りていって斬りつける」
「却下」
「だよなあ」
降りる間に体当たりを受けそうだし、無事に降りても踏み潰されるだろう。
「油まいて火を放つとか?」
「どんだけ油が必要になるんだ?」
「知らん」
とりあえず下にいるギルド職員に通信用魔道具で状況を伝えると、それを聞いていた者達の他、そばにいた衛兵たちにも動揺が走ったようで、オロオロし始めた。
「予想はしていましたが、とんでもない魔物ですね」
「ええ」
「ここで食い止めたのはいいんですが、そのあとが続かないというのが」
「支部長は?」
「まだ目を覚ましません」
「そりゃ、こんな魔法を使ったらぶっ倒れるか」
「衛兵隊長は?」
「今こちらに向かっている。一応魔法隊も引き連れているが、上に登らないとどうにもならないよな」
「ええ」
「坂道が出来るまで何時間かかるやら」
人手を総動員と言っても、一度に作業出来る人数には限度があり、このペースだと半日では聞かない時間が必要だろう。その間、この壁がもてばいいのだが。
「わーっ!」
「大丈夫かっ?」
「なんとか……ふう」
壁をよじ登っていた誰かが足を滑らせて落下。どうにか墜落は免れたが、どこかを捻ったらしく降りてきた。
「支部長ならなんとか出来る……か?」
「多分。ですが」
「目を覚まさないことには、どうにもならないか」
今できるのは、登るための坂道を一刻も早く作り上げることくらい。それがもどかしい。
「うう……」
ユーフィが目を覚まして最初に目にしたのは、ギルドの備品のテントの天井だった。
「気がつきましたか?」
「ええ」
すぐ近くで荷物を何かゴソゴソやっていたギルド職員が気付いてやって来た。
「水、どうぞ」
「ありがとう。状況は?私はどのくらい倒れてたんだ?」
「三十分ほどです」
「そうか」
「現在、壁の上に登るために試行錯誤しているところです」
「上に?」
「表面、ツルッツルで全然登れないんですよ」
「そうか」
大きく、頑丈になるように構築したのだが、表面まで細かく制御していないので、なんだかちょっと大変なことになってしまい、色々と混乱しているようなので指揮を執るべく起き上がる。
「大丈夫ですか?」
「そんなにヤワじゃ……」
職員が肩を貸そうとするのを断りかけたとき、視界の隅に捕らえた人物に気付き、
「うっ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ……」
その先にいたのは、ギルド職員と話をしている、ちょうど到着したばかりのリョータたちだった。
「すげえ高さだな」
「ええ」
近くまで来てあらためてその高さに驚きつつ、近くにいたギルド職員に声をかける。
「何かお手伝い出来ること、ありませんか?」
「おお!助かります!おおい、こっち頼む!」
「了解」
他の職員を呼び、さて、どこを手伝ってもらおうかというところに、支部長が目を覚ましたらしく、肩を借りながらやって来た。
「支部長?!大丈夫ですか?」
「なんとか……な」
ポーレットが仕入れていた情報からの憶測通り、この壁を造ったのは支部長のようだ。
「リョータさん、コルマンド支部の責任者として、正式な依頼を出します」
「はあ」
「あの壁の中に閉じ込めている、アキュートボアの変異種討伐を依頼します」
「変異種?」
「そうとしか呼びようがないのです」
場所にもよるが、魔の森はとても危険で、魔物は見つけ次第戦うか逃げるかの二択。生態調査などはほとんど行われていないので、上位種だの変異種だのは都市伝説のようなもので、こうした異常な個体のことを総称してそう呼ぶのだそうだ。
「討伐を依頼ったって……」
「その、恥ずかしながら、私の手には負えなくて」
フラつきながらこちらに寄ってきて、ガシッと両手を掴み、すがるように……上目遣いをしようとしたのだが、背の高さの違いが如何ともし難く、仕方ないので膝立ちになってユーフィが言う。
「お願い、リョータ……助け……うへへへ」
「やめんかい!」
子供の情操教育に良くなさそうな表情で告げるユーフィに、スパーンといい音をさせながら駆け込んできたロールがハリセン――こんな時のためにどうぞとリョータが提供した――で張り倒してズルズルと引き剥がす。
「すみません、まだリハビリ中でして」
「わーん!こんな時くらいいいじゃないのお!」
「こんな時だからこそ、真面目にやってください」




