王女の帰還 その一
「まず、転移に使っている魔法陣ですが、構築するための塗料が特殊です」
「ほう」
王妃もリョータが言う気になったのを止めることはしない。むしろ、どこまで情報を出すつもりなのか、見極めるつもりらしい。
「魔法陣に描かれているのは……まあ、隠すつもりはありませんけど、見ての通りただの丸がいくつか描かれている程度ですね」
「確かに」
実際にはそれらの丸一つ一つにイメージを込めて描いているが、見た目では全くわからないだろう。
「そして、魔法陣を起動させるための方法も秘密です」
「秘密だらけだな」
あと一押しで大丈夫そうだ。
「ちなみにこの魔法陣を描くのも起動するのも……エルフの血を引くポーレットでも無理です」
「何?」
ポーレットがエルフの血を引いていることは、別に隠すほどのことでもない。冒険者ギルドは当然把握していて、冒険者の間でもよく知られていることだし、その辺の事情に疎くても見た目でも何となくエルフの血を引いているな、とわかる程度には整った顔立ちだし、耳が少し尖っているなどの特徴がある。そしてエルフと言えば魔法に長けた種族であることはよく知られているのだが、そのエルフの血を引くポーレットですら使えない技術となると、ブレナクの宮廷魔術師でも実現出来るかどうかという難易度と見て良い。
リョータの説明は王妃がそう考えるだろうという内容だ。
「秘密、と言う部分を教えてもらうことは?」
「塗料の制作も魔法陣を描くのも、起動のさせ方もポーレットは知っています。しかし、出来ないんです」
「むむ」
知ったところでできっこないというのがまたポイントだが、当然のように次の質問が飛んでくる。
「ではなぜリョータは出来るのだ?」
「死んだ祖父に叩き込まれました」
技術を知っているのが祖父のみで、既に故人と言う設定。何年がかりかはわからないが、基礎からみっちり叩き込まないと使いこなせないと言う辺りがポイントか。
「ついでに言うと、どうしてそれでこんな魔法が?と聞いたら、そのうち教えてやる、と言ったきりで、教えてもらう前にぽっくりと」
現在動いているこの魔法陣を宮廷魔導師が念入りに解析すれば何かわかるかも知れないが、果たして何年かかるやら。さらに言うなら、魔法陣を描くための塗料の解析だとか、実際に起動させる手順だとかまで体系立てようとすると、何十年ではきかない次元になるだろう。そして、その途中でどうやったってリョータは天寿を全うする。
百年単位で研究を重ねればいずれは形になるかも知れないが、果たしてどれだけの金と時間と労力をかけることになるかと考えると、結論はシンプルになる。
リョータしかこの技術が使えないなら、悪用されるという心配は無用。そして現状の移動時間、輸送力で大きく困ることのない社会構造なら、現状のままでもいいだろう、と。
もちろん、ブレナク的には国土の真ん中にあるドラゴンの営巣地をどうにかして安全に越える方法を模索したいところだが、現状でもそこそこの安全は確保出来ている。
財政的に赤字ではないが、それほど余裕のあるわけでもない財務状況だと言うことを考えると、もう少し機を見てから手を出す案件。つまり、何もしなくても損はない。それが王妃の判断だった。
それに、今は色々とやらかしてきやがったイーリッジの方が優先順位は高い。
「いずれ何らかの形で、とは思っているが、今はよしとしましょう」
ニヤリと笑う笑顔は六十近い年齢を感じさせない妖艶さを感じさせ、リョータは蛇に睨まれたかのような圧を感じだ。うん、この件が片付いたらさっさとこの国を去って、二度とここには近づかないようにしよう。
何よりも、実はエリスが魔法陣を起動出来ると知られた日には、何を言われるかわかったものではない。
そんな感じでリョータがガクブルしているうちにイーリッジ王都の入り口が見えてきた。
当たり前だが、リョータたちが乗っているのはブレナクの王族が乗る馬車で、その造りが立派であることと同時に王家の紋章も入っている。
門を警備する衛兵たちの目にも既にそれらは見えていて、結構な騒ぎになっているのがここからでも見えるほど。
「あちらの衛兵が数名、こちらへ向かってきておりますが」
「ここでこちらが礼を失するのも問題でしょう。馬車を停めて応対を」
イーリッジの門を守る衛兵たちは、その姿を見たときに目を疑い、夢ではないかと互いに頬を抓り、慌てて対応を取ろうと動き出した。
まず、何はなくとも上に連絡だ。もしもアレが本物なら、国王に直接伝わらなければならない。が、衛兵がいきなり国王にと言うのはなかなか出来るわけもなく。衛兵隊長から騎士団長へ、騎士団長から宰相へ、という長い道のりの伝言ゲームになってしまうので、その間の時間稼ぎをせねばならない。
そこで、次に取るのは、アレが本物かどうかと言う確認。偶然近くにいた騎士を一人捕まえたところ、下級ではあるが貴族家の次男坊だったので、彼に応対をさせることにする。ものすごく渋っているのだが、基本的に平民が多い衛兵よりも貴族としての教育を多少なりと設けている彼の方が適任だと、有無を言わさずに引きずっていく。
衛兵たちが近づいていくと、こちらの動きに気付いたらしく馬車が止まり、その周囲にいる騎士たちも馬を止める。一触即発の距離ではない……いや、馬車の上にいる獣人はいつでもこちらを殺せるぞと言う視線をこちらに向けている。下手なことは出来ないな。
御者台にある小窓から覗いてみると、衛兵が数名、こちらの馬車の前で立ち止まり、上の方を見ながらどうしたものかという表情を見せている。
うん、これは……こうしないとダメだな。
「エリス、警戒しすぎ」
カタッと姿勢を変えたような音がすると、衛兵たちの緊張も幾分和らいだようだ。
「リョータさん、外に出ても安全でしょうか?」
「え?あ、はい。大丈夫です」
エリスの警戒はあくまでもあの衛兵たちがいきなり攻撃してきたりしないかというもの。周囲に他の危険はないようなので王妃の問いに肯定で答えると、自らドアを開けて降りていった。
当然だが、貴族や王族が自分で馬車の扉を開けて降りるなんて、普通はあり得ないので、護衛の騎士たちがうろたえているようだ。とりあえず、護衛を引き受けているわけではないが、話がこじれないようにと外に出て王妃の側で控える。
「えっと……あ、あの!えっと!」
「元イーリッジ第一王女、現ブレナク王妃アルレットです。突然の訪問となりましたが……リョータ、これを」
「あ、はい」
側にいること前提の動きだが、当たり前のように出された数通の書簡を受け取り、衛兵たちのもとへ。
「封蝋のないものはそのまま衛兵隊長へ通しなさい。残りはそれぞれの宛先へ」
「えっと……」
「すぐに動く!私がここにいた頃の衛兵たちはもっとキビキビ動いていましたよ!」
「は、はい!」
衛兵たちが全員走って行くのを見送りながら王妃が一つため息をついた。
「全員で行ってどうするのですか」
ですよねー
そのまま馬車に戻ると、門の手前まで進むようにと指示が出て、馬車が動き出す。
「書簡が届くまで時間がかかるかと思われます。ゆっくり進みますか?」
「いいえ。普通の速度でいいわ」




