取り引き
「よくここがわかったな……一年前に越してきたばかりなんだが」
ヘルマンが意外そうにポーレットをみたあと、エリスを見る。
「まさかこっちの嬢ちゃんが?」
「はい」
「エリスは特別なんで」
「特別というか……常識を越えてますけどね」
「ポーレットは少し黙ってようか」
そんなやりとりをしながら中に通されると、部屋の奥――エリスによると地下室への入り口の方――からなんとも言えない香りがしている。
「これ、薬草の匂いですか?」
「一応こっちが本業なんでな」
「ひょっとしてお邪魔でした?」
「大丈夫。明日の朝まで放っておくだけの物だからな。で、何の用だ?」
「これを」
「ん?こ、これは……まさか!」
「ええ」
瓶を机の上に置いて告げる。
「ドラゴンの血です」
「おおおおお!」
興奮しすぎ……とは言え、滅多に手に入る物でもないから仕方ないか。
以前、どこかの街で聞いた話だが、このひと瓶でだいたい中金貨一枚になるかどうかと言うくらいの価値になるという。だが、そもそもドラゴン自体、しょっちゅう遭遇する魔物ではない。と言うか、人の住む領域近くに現れた時点で災害と言っていいレベル。つまり、
「ドラゴンの血、二本くれ」
「ほらよ」
「どうだい、最近景気は?」
「まあ、どこもイマイチだねえ」
なんて具合に買えたりはしない。素材としての性質は昔から研究が続いている一方で、未知数の部分が多いが、そのままでも万能の治療薬として使えるから引く手あまたの人気商品だ。そして、各種薬草や魔物の骨や肉、あるいは鉱石金属と混ぜることでこれまた色々と使える万能素材。難点としてはそのままでは濃すぎて使いづらいことだが、そんなもの欠点と呼べるような物ではないだろう。
「よし、ちょっと待ってろ。今カネを持ってくる。いくらだ?」
「えっと……ちょっと相談に乗って欲しくて」
「ん?」
「コレなんですけど」
一枚の紙を差し出す。
「これは……?むむむ」
「魔の森で集めた素材から作る、インクのレシピです」
「インク?うーむ……確かにコレとコレを入れれば黒くなるか……ん?」
ヘルマンの指先がとある部分で止まる。
「それです。リブレナ草。それがどうしても手に入らなくて」
「聞いたことがないな」
「俺とエリスは大陸西部出身で、その草は大陸西部で使っていたんです」
「使って……ああ、細かい詮索はしないが、つまり西部では採れると言うことか」
「ギルドの常設依頼にはちょっと出ないかな、と言う程度で珍しくはない草ですね」
「つまりリョータは……コレの代わりになる物がないか聞きたいと言うことか」
「はい」
「フム。リブレナ草のサンプルはあるか?」
「あります」
「出せ。調べておいてやる」
「ありがとうございます」
そう言われるだろうと思って持ってきておいたものをヘルマンに渡すと目を丸くした。
「リョータ、本当にこれが必要なのか?」
「え?あ、はい。これそのものが一番いいけど、無いなら代わりになるものがあればいいなと」
ヘルマンがゆっくりとポーレットに視線を向け、「ああ、これはダメな奴だった」と言いたげなふうにため息をついた。
「そうか、コイツは西の方だとリブレナ草と呼ぶんだな」
「え?」
「大陸の北と東……も北の方だから北東か?つまり、この辺ではサニールと呼ぶ草だな」
「つまりそれは、呼び方が違うだけで、草はあると」
「そうなる」
ジロリとポーレットを睨むが、さらりと視線をそらされた。コイツめ。
「まあ、ポーレットの擁護をするつもりはないが、あまり使い道のある薬草でもない。常設依頼になっている街は確か無かったはずだ」
「そうです!そうですよ!私も実物を見た事ありませんし!」
「それはそうだが……はあ」
一応、傷薬として使えるには使えるが、気休め程度の化膿止めと言うくらいの使い道しかないから、ギルドでもほとんど買い取りはないというのは西部と同じようだ。
「で、これが欲しいんだよな?」
「ええ」
「さすがに持ってない」
「ですよね」
「そして……えーと、イーリッジでこれが採れるのは……ほぼ絶望的だな」
「わかりました」
元々が水辺に生える薬草なのだが、イーリッジ国内の魔の森は小さな小川ですら二日以上は歩かないと見つからないという地形。わざわざこれのために足を伸ばす者もいない。
「代わりと言っちゃなんだが、ブレナクまで行けば採り放題のようなところもあるぞ。王都なんかは二時間も歩けば湖があったはずだ」
チラリとポーレットを見ると、ウンウンと頷いているので確かな情報だろう。
そして、この情報はエリスの表情を明るくしたのだが、採取できるのはひと月かけて荒野を越えてからだって忘れてないよね?
「ところで、このインクのレシピ、何になるんだ?」
「こうなります」
少しだけ残っていたインクで紙に矢印を描き、軽く魔力を込めるとスイッと勝手に動いた。
「ほう、コイツは面白いな」
「もっとたくさんインクがあればもっと大きなものも動かせます」
「このレシピを俺に教えてよかったのか?」
「もちろん」
「……何をすればいい?」
話が早くて助かるね。
「これを」
「ん?この国の貴族か?全部ではない……ふーん、第二王子絡みか」
「ご名答」
「第一王子一家襲撃を手引きした奴がこの中にいると?」
「多分。そういうわけで」
「わかった。すぐに調べて……そうだな、明日の朝でも大丈夫か?」
「ええ」
泊まっている宿を告げてヘルマンの元をあとにすると、ポーレットが不満げだ。
「そりゃ確かにこの街でのヘルマンさんの情報収集力はすごいでしょうけど」
「もっとお前を頼れって?」
「そうです。それで借金を少しは減らしたいですし、そもそも仲間じゃないですか」
「仲間だからだよ」
「ふえっ?!」
素っ頓狂な声を出すなよ、恥ずかしい。
「改めて二人に言っておくよ。二人とも大事な仲間。だから不安要素のある、つまり今回みたいに貴族の様子を探るなんて言う危険度の高いことはさせたくないんだ」
「あの」
「はい、エリス」
「逃げるだけなら私は大丈夫だと思うんですが」
「確かにね。エリスなら不意討ちをされることもないだろうけど、この街の地理に詳しくない。下手に動いて気付かれたらどうなるか」
「追われますけど、逃げ切れるかなって」
「相手がどこまで規模が大きいのかわからない。幾らエリスでも何十人もあちこちで待ち構えていたら、逃げ切れないだろ?」
「それは……はい」
「その点、ヘルマンなら抜かりないと思うんだ」
地下室まであるようなところに住んでいるという時点で、この街を拠点に活動しているのは間違いない。と言うことはこの街の最近の事情にも相当詳しいはず。そして、それなりに人脈もあるはずだから、もっと情報収集に長けた誰かと協力してくれるかも知れないし、それこそそこらのオバチャンの噂話レベルの情報も簡単に集められるだろう。
「と言うことで、ドラゴンの血とか、インクのレシピ程度で色々な情報が集まるなら安いものと言うこと」
「でも、相手にバレますよね?」
「バレるだろうな」
ヘルマンと共に王都に入ったという時点でも気付かれているだろうが、そのあと第一王子の屋敷へ向かい、ヘルマンのところへ向かった。色々と関係があると疑うのは当然だろう。
「あちらが結構な人数で動いているなら、尾行するのも交替しながらやればエリスにも気付かれにくいでしょうし」
「だろうな」
「あう、すみません」
「いや、エリスは悪くないから」
後をつけてくる者がポンポン入れ替わっていたら気付きにくいのは仕方ないと慰めておく。エリスが常に周囲を警戒しているからこうして呑気に歩けるのだから。




