刺身
「えー」
王都に行かずにスルーしたいとリョータが考え出すより早く、ヘルマンがこれからについてだが、と切り出した。
「一応、王都への定期馬車は明日の朝、村を出るが……一旦見送る」
「はあ」
「俺が信頼できる奴に少しばかり探りを入れさせる。たぶん三日もあれば十分だ。動き出すのはそのあとだな」
しばらくこの村から出られないか?
「何、ヤバいことにはならないさ。だが、少しばかり情報を整理しておいた方が動きやすそうだからな」
「わかりました。何から何までありがとうございます」
「いいってことよ。で、それはそれとして、だ」
「はい?」
声を潜めているが、力強く……有無を言わさぬ感じで言われた。
「ドラゴンの血、少し譲ってくれんか?勿論、金は払う」
「色々片付いて落ち着いたら、でいいですか?」
「勿論」
そうして情報交換した翌日、特に何かする予定も無く、どうしようかと思いながら宿で朝食を食おうとしたら、ヘルマンに捕まった。
「ここの飯もウマいが、もっといいところへ連れて行ってやる」
ヘルマンによると、この村は王都で売られる魚介類の八割以上を賄っているそうだ。そして、そういう村だからこそと言うか、そういう村でなければ食えない物もある、と。
ヘルマンの案内で港の方へ向かうと、次第に潮の香りに混じって魚の匂いが強くなってきて……市場に着いた。
「ここがイーリッジの魚全般をまかなう、国一番の魚市場さ」
「すごいですねぇ」
「うんうん」
ポーレットは何度も来たことがあるので今さらのようだが、リョータとエリスは感心しきり。リョータも日本の魚市場に行った経験はあるが、数える程度だし、こうして本格的に歩いてまわるのは初めてだ。
「こっちだこっち、この店だ」
ヘルマンが迷うこと無く一軒の店に入っていく。どう見ても常連です。
「さてと、この村でもこの店でしか食えない物を頼むが……無理に食えとは言わねえ。好き嫌いが分かれる食いもんだからな」
「はあ」
ヘルマンはとりあえず二人前を頼んだらしく、気に入ったなら追加、無理そうなら他の物を頼めという。と言ってもメニューを見てもさっぱりわからない。
「見たことも無い名前の料理ばっかりだな」
「そうだな。この辺りの伝統料理みたいなモンばっかりだ」
聞いてくれればどんな料理か教えるぜと言うので、ヘルマンおすすめが無理だった時には頼ることにして、料理が来るのを待つ。
「ポーレットはこの店のこと、知ってるのか?」
「いえ。ここの市場にも依頼の関係で立ち寄った程度で、こういう店に入るのは実は初めてです」
「じゃあ、このメニューに書かれているのも?」
「聞いたことのあるようなものはありますけど、食べた記憶は無いです」
やがて、腕まくりした体格のいい店員――あとで聞いたところ、漁師だった――が「お待ちどおさん」と、皿を置いていく。
「「「へ?」」」
リョータたち三人が目を丸くした。エリスとポーレットは多分同じ理由で、リョータは違う理由で。
「あ、あの……ヘルマンさん、これ……」
「ん?ああ、そう言う料理だぞ」
「で、でも……これって、その」
「うんうん、おかしいです」
エリスとポーレットの反応も当然だろう。
だが、そんな二人を横目にヘルマンは皿の上の料理にフォークを刺し、一緒に付いてきたタレをつけて口に入れる。
「うん、相変わらずウマいな」
一連の動きにエリスとポーレットが青ざめる一方で、リョータはと言うと
「まさかの……刺身……」
恐る恐るフォークを手にして、皿の上に並べられた生のままの切り身に刺す。出来れば箸が欲しかったが、それをここで望むのは難しい。
そして、小皿に入ったタレに漬ける。
タレの色は濁った白で、刻んだ香草が混ぜられているようで醤油とかでは無いし、よくある異世界物にありがちな魚醤というわけでも無いようだが、意を決して口に入れる。
「リョータ!」
「だ、大丈夫なんですか?!」
店できちんとメニューとして出している物に失礼な物言いだなと思いながら、モグモグと。
「ウマっ!」
「そうか、気に入ったか!」
タレの詳細はよくわからないが、程良い塩味に、刻まれた香草の香りが鼻に抜け、実にいい塩梅だ。
「あのあの……えっと」
「うう……これ、ホントに?え?ホントに?」
一方の二人は、これを食べる勇気が出ないらしいが、それを横目に別の切り身にフォークを向ける。魚の種類はよくわからないが、さっきのは赤身、こっちはやや赤みの薄いピンク色でハマチっぽい見た目。
食べてみると、歯ごたえはやや固めだが、予想したような味わい。その横はアジっぽい?うん、これもウマいな。
用意されているタレも、入っている香草が少しずつ違ったり、何かを混ぜてあるのか色合いが違ったりして、それぞれの違いも楽しめる。
「ほう、いける口だな」
「あははは……ウマいですね、これ」
「これがわかるとはな。連れてきた甲斐があるというものだ」
エリスとポーレットが手を出しかねている理由はよくわかる。当たり前と言えば当たり前だが、生のままの魚を食べるという習慣が無いからだ。
勿論知識として、野生の動物やシーサーペントのような魔物が生のままの魚を食べることは知っているし、いよいよ手持ちの道具類も無くなった遭難者がやむを得ず生のまま食べたという話も聞いたことがある。
だが、人間が生のままの魚を食って無事だったという話はほとんど無く、大抵はそのあとにひどい腹痛や下痢に悩まされたり、下手をすると命を落としている。
リョータもそう言う話は聞いたことがあるのだが、ではこれは一体?
「コイツはな、この店でしか出てこない」
「この店だけ?」
「ああ。この店の主人は漁師でな」
それは予想してた。
「海に出て捕れた魚をその場で捌いて魔法で凍らせるんだ」
「魔法で凍らせる……」
「おう。何でも先祖代々に伝わる秘伝だそうだ」
「先祖代々伝わる秘伝って!魚を凍らせるのが?!」
これにポーレットが食いついた。そりゃそうだ。肉や魚、野菜などを凍らせると鮮度を保てると言うことは知られているし、それで生計を立てている魔術師もいて、結構いい暮らしをしていると聞く。
つまり、凍らせて鮮度を保つというのはエリートの技能で、漁師という海で働く者が片手間に出来る技能では無いというのが常識だ。
もっとも、リョータにしてみれば、凍らせるなんてのはどのくらい冷やすかという調整にさえ慣れてしまえば誰にでも使える魔法、と言う認識なのでそれほど驚くことでは無い。もちろん、魔法にあまり縁のなさそうな漁師がそうした技術に精通しているというのは少し驚いたが。
「そうか、釣ってすぐに捌いて冷凍しているから」
「ああ。鮮度抜群でウマいんだ。これで白ワインがメニューにあれば最高なんだがな。エールくらいしか無いんだよ、この店は」
魚に合わせるのは日本酒が最高だと思うが、それをここで望むのは酷。次点として白ワインというのは理解しつつ、エールというビールっぽいのも合いそうだと思うが、まだ成長しきっていないこの体で酒を飲むのは控えたいし、何より朝から飲むなんて……クソ、いつか絶対やってやる。
ガハハハハハと豪快にジョッキを空けたヘルマンは、酒と刺身のおかわりを注文。すかさずポーレットが自分とエリス用に別の物を数品注文。刺身は二人の口には合わなかったようだが、こればっかりは強制できるものでも無い。
「それにしてもリョータが刺身の良さがわかるとは思わなかったぞ」
「ははは……」
若干の懐かしさを覚えると同時に、この村の外に転移魔法陣を設置することに決めた。これでいつでも刺身が食える。




