空
「え?」
自分に何が起こったのか、すぐにわからなかった。
だが、視界が明るくなった直後の浮遊感と言うか、落下感に驚きの声を上げるしかなかった。
「うわあああああああ!!」
眼下に広がる世界……なんて感動している場合ではない。
落下に伴う風圧で目も開けていられない。
「うぐぐぐぐ……」
手足をばたつかせてグルンと上を向く。
「はあ……はあ……」
今見えたものを素早く整理する。
はるか下に見えたのはヘルメスから入った魔の森、それと街並み。その周囲にある高い山の山頂も見えた。おそらく現在の高さは数千メートルというレベルだろう。
当たり前だが、そんな高さから落ちたら死ぬ。ギネスブックによると数千メートルでも生還した例はあるらしいが、普通は数メートルでも命に関わる。
パラシュートなんて物は無い。他に何か使える物は……無い。あの小さなダンジョンの入り口に全部置いてきてしまった。まあ、持っていても何が出来るわけでもないだろうが。
チラリと横目で下の方を眺める。順調に落下しており地面に激突するまで三十秒あるかどうか、と言ったところか。
現時点で出来るのは魔法による対応だけだろうが、どうやって対応するか。
風魔法。下から一気に吹き上げれば落下速度を減らすのは出来るだろうが、タイミングを間違えるとアウトだ。コントロールも難しそうだな。
水魔法。水を大量に作り出してクッションにするというのも手か?だが、百メートル以上の高さから落ちると水面はコンクリート並みの堅さになると聞いたことがある。
土魔法。土を盛り上げる?意味はなさそうだな。
考えている間にもどんどん地面が迫ってきている。仕方ない、これで行こう、と決めてイメージを作り出す。あまりのんびりは出来ないが、アニメや漫画で育った現代日本人の想像力をなめるなよ。
「風!」
まずは風魔法。自分を中心に半径三メートル程の空気をコントロール。風を球状に丸め、高速に回転させて、結界のようにする。そう、結界だ……左腕がうずく感じのイメージを維持しよう。眼帯や包帯を用意していなかったのが悔やまれる。
体に感じる風がほぼ無くなったところで体の向きを変えて地面を見る。もうそれほど時間は無い。
もう一つのイメージを構築。魔力を流し込む。同時に複数の魔法発動になる。出来るかどうかは魔法大全には書かれていなかった。だが、出来ないとも書かれていなかった。出来ると信じれば出来るはずだ。
「水!」
大量の魔力がズルッと引き出されていく感覚と共に大量の水を作り出す。縦横十メートル程、高さは五十メートル程になる水の塊を自分のわずか数メートル下に。
作り出したばかりの水はゆっくりと落下し始め、それより高速に落ちていたリョータはそのまま水の中に突っ込む。衝撃で風の結界がゆがみ、水が流れ込むが、体にはほとんど衝撃は無い。そしてそのまま水と共に落下し、地面へ。顔面からの落下は避けたいと体の向きを変えて背中から落ちていく。
「はあっ、はあっ」
全身ずぶ濡れ、落下の衝撃で全身が痛い上、魔力がごっそり持って行かれたので脱力感がすごい。満身創痍だが生きている。
なんとか体を起こして周囲を見渡す。あのダンジョンが少し離れた所に見える。ゆっくりと立ち上がり、少しふらつきながら向かう。
「ふう……」
ドサリ、と壁に背中を預けて座る。背中が痛い。骨が折れたりしなくてよかった。これも運の良さか?それとも頑丈な体になっているのだろうか。
袋の中から布を出して体を軽く拭く。暑い季節だから風邪を引いたりはしないだろうが、濡れたままというのもな。そして、水筒と昼飯――キャロルのBLT――を取り出し、ちょっと早いが昼食にする。
食べながら、一体何が起きたのだろうかと考える。
魔法はイメージの通りに効果を発揮する。あの神は結構ふざけた奴だし、魔法大全も無駄にイラストで空白を埋めているなど、ひどい出来だが嘘はない。そしてあのときのイメージは間違いなく『火を点ける』だけで、空高くにいきなり移るなんて言うイメージはカケラもなかった。
だが……
あのとき、魔力は何か別のイメージに引っ張られたような感じがした。
BLTを飲み込むと、ダンジョンの中へもう一度入っていく。
部屋の中はさっきまでとちょっと変わっている。床に散らばっていた葉っぱや泥が綺麗になくなっている。
身をかがめてそっと床を見ると、わずかに溝が掘られて何かが溝に埋め込まれている。そっと触れてみると冷たく、固い感触。溝にガラスを流し込んだような感じだ。
暗くてよく見えないが、溝は部屋全体に広がっていて何かの模様になっているようだ。
外に生えていた木の枝を少し折って床に放り投げる。そして部屋に入らないように注意しながら、今度は水の魔法を使ってみる。木の枝をすっぽり包むような水をイメージ。
「水!」
魔力を流し込んだ瞬間、床の溝が淡く輝き、イメージが上書きされて流し込んだ魔力がそちらに吸い込まれる。そして、光が消えると同時に木の枝も消えたのを確認すると、外へ出る。
しばらく待つと、リョータが落ちてきたところよりも少し離れた所に木の枝が落ちてきた。リョータより空気抵抗が大きくて軽いので、より遠くまで風に流されたのだろう。
「結論。誰がなんのために作ったかわからないけど、これは上に乗っている物を上空に移動させる魔法陣だな」
おそらく今までにも誰かが発動させたかも知れないが、多分助からなかったんじゃ無いかと思う。助かっていたら、この情報が残っているはずだからな。
恐る恐る部屋の中に入る。『魔法を使う』というレベルでなければ魔法陣は発動しないようだ。
さらに奥の部屋に行ってみる。
入り口からの光はほとんど届かないので、あまりよく見えないが、床をそっとなでてみると同じように溝があり、固い何かが埋め込まれている。
もう一度木の枝を持ってきて部屋の真ん中へ放り投げ、魔法を使う。
「水!」
また床の模様が光り、魔力が吸い込まれ、木の枝が消える。外に出てみるが……かなり待っていても落ちてこない。
さて、どうしようか。どこかへ移動しているのは間違いないだろうが、どこへ行っているのか?確かめてみたいが……
「明日にしよう」
さっきの魔法同時使用でかなり魔力を使ったせいで、全身がだるい。この状態でさらにどこかに行くのは無謀すぎる。冒険者は時には引く判断も必要だ。いつもよりもだいぶ早い時間だが、今日はここまでにしよう。
街に戻り、いつものようにホーンラビットを納品したところで、ケイトさんから一枚の紙を見せられた。
「これは?」
「賞金首の手配書です」
「手配書?」
半年程前からラウアールの北部で小さな村を襲う盗賊達が報告されており、少しずつ南下してきているという。
「人数は三人。名前はデミアン、プーチ、スターク。かなり凶悪で命を奪うことを厭いません。ひどいところは村が一つ全滅したとも」
見せてくれた紙には人相や口癖などの特徴が書かれている。
「あちらにも貼ってありますので、よく確認しておいてください。この先、依頼によっては外に出ることもあるでしょうから」
「わかりました」
部屋に戻るときにじっくり確認することにして、ギルドの外に出る。そして二軒隣のダルクの店に行く。
「おう、リョータか。今日はどうした?」
空いている時間帯のせいか、店主のダルクが出てきた。
「えっと……」
欲しいものを伝えると、いくつか種類があると見せてくれた。
「ランタンなんてまだ使わないんじゃないか?」
「ええ、ちょっと確認したいことがありまして」
「ふーん、まあいいさ。それぞれ少しずつ違うんだが、大きな違いは燃料の差だな」
色々説明してくれたが、とりあえず一番安い物を購入。火打ち石は最初に買った中にあったから問題ない。金を払い、使い方を教えてもらって店を出ると、すっかり日が落ちていた。
「おいリョータ、それ大丈夫なのか?」
風呂に入っていたら顔見知りの冒険者にいきなり心配された。
「それ?」
「それ、その体中のアザ」
「アザ?」
鏡に映してみると、主に背中が青あざになっている。だいぶ衝撃は殺したはずだったが、全身の痛みやだるさはこれが原因か。打ち身、捻挫などに効くという薬湯につかり、早々に寝ることにした。明日までに痛みが引くといいんだけど。
翌朝、体の痛みは引いていて、アザもない。この体、回復力が高いのかね。今日はホーンラビット狩りはしないで、あのダンジョンの奥の部屋の調査だけに専念しよう。




