テンプレによる転生
「暑い」
と、山口亮太は雲一つ無い空を見上げ、額の汗を手で拭った。本日快晴、無風、予想最高気温三十五度、照り返すアスファルト。地球温暖化は順調に進んでいると言わざるを得ない。まあ、暑いと文句を言っても始まらない。昼休みはあと五分、一秒たりとも無駄には出来ない。少しでも体を休めよう。
そこそこの大学を出て、それなりに地元では有名な企業……の子会社に就職。名刺には『サブリーダー』なんて肩書きがついている。何も知らない他人から見れば、順風満帆な人生に見えるだろう。
実際には、会社は超がつくほどのブラックだ。彼女と別れて何年経ったか。悲しいことに最近はそういった類いの話はゼロ。気付けば三十過ぎたというのに貯金は二桁万円。寝る以外に使い道が無いくせに月に五日も帰れば良い方というアパートの家賃と、無駄に高いコンビニ弁当で給料の大半が消えていく。ほとんど使わなくなった電子レンジに洗濯機、冷蔵庫を売り払っても問題なさそうなあたりがヤバい。前に家に帰ったのは先週の木曜か。次に帰れるのは多分来週だろう。冷蔵庫の中の卵と牛乳がどうなっているか確認するのが怖い。服は会社のビルの一階にあるコインランドリーで洗濯しているが、最近、そのオーナーが社長らしいと聞いて殺意がわいた。
そう言えば、少しでも癒やしになればと買ったサボテン、枯れてるかもな……
木陰にあるベンチに腰掛け、百円ショップで買った二本百円(税別)のスポーツドリンクを一本飲み干す。まったく、どの辺で人生の選択肢を間違えたのやら、と最近は三日に一度は思う。客にゴマをすり、仕入れ先には威圧的、部長課長にはごまかした数字を報告し、月末に色々手を回して帳尻を合わせる。ここ何年かそんな感じ。そりゃ彼女にも愛想尽かされて当然だな。
亮太の記憶はスポーツドリンクの二本目のキャップを開け、口を付けたところで途切れた。
気がつくと、森の中にいた。大きな木に背中を預けて眠っていたようだった。
「ここは一体……」
軽く頭を振りながら、記憶をたどるが思い出せない。体の感覚もなんだかおかしい気がする。
「テンプレだ、と言えばわかるか?」
老人の声に振り向くと、なんて言うか、本当にテンプレのような白髪に長いヒゲ、白いローブに節くれ立った杖、と言う老人が立っていた。
「えっと」
「先に言っておくが、神だよ」
「神様か」
「うむ、敬うと良いぞ」
「敬うって……そもそもここはどこ?」
「言ったろ、テンプレだ、と」
「もしかして異世界という奴か」
「その通り」
なんとなく空を見上げる。よく晴れていて、住んでいた街よりも、空気が澄んでいるような気がする。季節は初夏、時刻は朝九時頃、と言ったところか。
「そうか、俺は死んだのか」
「うむ」
「殺したのはお前か、よし俺の仇を討とう。勝てるかどうかわからんが、やれるだけのことはやる」
「いや待て話を聞け」
とりあえず待てというなら、と『神』を名乗る男を見る。んー、確かにちょっと光ってるかも。でもな、どうにも信じられない。
「お前はあの炎天下で倒れたんだよ。原因は睡眠不足から来る過労。しかも、ほとんど人が来ない場所だからな、発見が遅れて見つかったのは日が暮れてから。それから救急車で運ばれて病院で死亡が確認された、と言う流れ。ちなみに誰も付き添いに乗らなかったぞ」
「そう言う余計な情報いらないから」
「でもアレだよな」
「何?」
「とっくに心臓止まってるのに、病院に行くまでは死んだことにならないって、不思議に思わないか?」
「そこ、既に死んだ俺にとってはどうでも良くないか?」
あまり人が来ないから静かでいい場所だと思っていたが、そう言う欠点があったか、と亮太は反省する。手遅れだが。
「で、人生に不満があったようだったから、どうせなら心機一転、見知らぬ場所でやり直してみては、という神の粋な計らい」
「本音は?」
「この世界、少しばかり停滞していてな。ここ百年ほど、大きな事件もなく、ずっと季節を繰り返すだけになっている。平和なことはいいが、緩やかに衰退し始めているのはちとマズい。そこで、外からの刺激を少し与えて活性化しようと思って呼び寄せてみた、と言うわけ」
「刺激ねぇ……」
なんか面倒くさそうだな、と思いながら、質問をする。
「で、俺に何をさせるつもり?」
「別に何もないぞ」
「え?何も?」
「うむ、何もないぞ」
「いや、普通あるだろ。魔王を倒せとか、そう言うの」
「無い無い。って言うか、魔王とか何言い出してんの?って感じ」
「と言うことは」
「魔王なんていない。勇者とかマジ勘弁してって感じ」
「えっと……それじゃあ?」
「好きに暮らせばいい」
「好きに?」
「この世界、ある程度のレベルでの常識は元の世界と同じ。盗みや人殺しは犯罪。どの街でも裏路地に行けばヤバい連中がたむろしているが、役人共は見て見ぬふりで私腹を肥やし、そんな役人連中を懲らしめる勧善懲悪物は芝居の定番。男達はそう言う話を肴に一発逆転、いつかでかいことをしてやるんだと酒場でくだを巻いているって感じ。どうだ、特に違和感なく生活できそうだろう?」
「なるほどね。でも異世界なんだろ?どんな世界なんだ?」
「言ったろ、テンプレだと」
「つまり?」
「ナーロッパ」
神的にその言葉で片付けていいのかよ、と突っ込みたかったがやめた。
「とは言え、そこそこの文明レベルにはなっているぞ。電気はないが、農業も工業も結構発展している。国によってはびっくりするレベルで科学技術が発達しているところもある」
「魔法は?」
「剣と魔法、好きだろう?」
もうなんか、色々ぶっ飛んでいて却って思考が追いつかないが……一応聞いておこう。
「俺のこの体は?」
「平均的な十三歳にしてみた。この世界の冒険者ギルドは十三歳から登録可能だからな。今は少し可愛い感じだが、大きくなればそこそこ精悍な感じになる予定。文字の読み書きも出来るようにしてあるから心配するな。あ、ハーレムとかやめておけ。さすがにそれは無理目な容姿だから」
冒険者ギルドとかマジでテンプレだな。しかしハーレムが無理とは少し残念だ。
「魔法がすごい!とかのチートは?」
「無い。普通レベルだな」
「をい」
「勇者を求めてるわけじゃないから、身体能力とかも普通にしておいた。その代わりと言っちゃ何だが、運の良さは人一倍にしておいた」
「運の良さ、ねぇ?」
「あと、成長性もAにしておいた。期待していいぞ」
「ステータスとか見えないんだけど」
「そう言うのが見える人って、頭おかしいと思わない?」
この軽さは何なの?
「あとは、その袋の中に色々入れておいた」
「これ?」
亮太の足下に膝より少し上くらいまでの高さにふくらんだ麻の袋がある。
「当座の資金として金貨・銀貨・銅貨、無駄遣いするなよ。それと魔法の使い方ガイドブックは町に着くまでの間よく読んで、練習するといい。あとは一ヶ月限定だが、決して折れず、刃こぼれもしない短剣を入れてある。至れり尽くせりだろ」
軽く引っ張ってみると確かに重い。毛布なんかも入っているようだ。
「魔法のガイドブックとは?」
「この世界の人間が通常思っているのとは違う、この世界を作った神による正しい魔法理論が書いてある」
「充分チートになりそう」
「ならないと思うぞ。例えるなら、ピッチャーが百六十キロ超えの剛速球を投げるか、変態的な曲がり方をするカーブを投げるか、の違いくらいだからな。ボールを投げて三振を取ると言う意味では変わらないだろ?まあ、工夫すればチートになることも可能だけど」
まあ、色々試してみるのも面白いか。
「あと二つ質問」
「おう」
「これからどこに行けばいい?」
「こっち……東だな、まっすぐ行けばすぐに街道に出る」
そう言いながら杖で方向を示す。ちょうど高い山が見えるので目印になるだろう。
「街道に出たら左、つまり北へ歩けば半日ほどで街に着く。この世界について、というか周辺について簡単にまとめた冊子も入れておいたから読んでおくのをお薦めする。町に入るときの無難な言い訳文例も入れてあるから参考にするといい」
「なるほど、あと一つだが、今後連絡を取ることは?」
「特にないな。干渉するつもりはない。一応時々見る予定だが、プライバシーとかあるだろ?」
「ま、まあな」
異性とアレコレとか見られたくないし。
「こっちもお前がトイレで力んでる姿とか見ていたくないし」
「そっちかよ!」
「もしかして、見せたい派?」
「違うわ!」
「じゃ、いいだろ?」
「わかった」
「それじゃ……と、先に言っておこう」
「何?」
「この世界、米とかないから」
「あ、そうなの?」
「味噌とか醤油とか作りたくても、微生物の性質がちょっと違うからな。日本の食文化再現して、とか食傷気味だろ?」
「まあ、確かに」
「ププッ……食べ物だけに食傷気味とか、ププッ」
ちょっとイラッとしてきた。
「なあ、あんた」
「あんたって、一応神だから、こう……」
「名前、もしかして界王?」
「うっさいわ!とりあえず説明は以上。後は頑張れよ」
そう言うと男性の姿はすっと消えた。ああ、一応神なんだな、と感心する。最後ちょっと涙目だったけど。
「じゃ、行くか」
と、荷物を持ち上げ……
「重っ!めっちゃ重っ!」
前途多難である。