「信濃の波乱」 其の弐
「真田弾正忠筆頭、信濃先方衆御一同、其方等の働き見事為り!砥石城を落とした功績を讃え、村上より小県領を取り戻した暁、真田弾正忠に小県を与える!村上に滅ぼされし滋野一族、海野家の再興をここに認める証文を認めた!海野家の嫡流である常田の名を大いに轟かせ滋野一族の再興を果たすが良い!して矢沢家を継ぐその方、諏訪での一件を詫びねばなるまい。諏訪頼重殿を自害に追い込んだ事は事実、諏訪の姫君を側室としたも事実よ。全ては諏訪の行末を案じての事、あい済まぬ。常田の者、矢沢の者、その方等は真田弾正忠の弟分と聞いておる。過去の恨みを捨てよとは申さぬ。武田に従いし時、兄を敬い、その方等の悲願を為されよ!」
武田家当主の晴信は、砥石城の落城と小県を制圧した功績を讃える祝杯の場をもうけ、自身が為せなかった事を遂げた者達を大いに祝う。
この少し前
砥石城が落ちた報せを受け、武田晴信は直様に挙兵、真田幸隆を筆頭に信濃先方衆からなる軍勢を再び組織し、村上領であった信濃国小県を攻めさせる。
小県は元々、真田家が根付いた地、故郷奪還を悲願とする幸隆の想いはついに現実のものとなった。
村上義清率いる連合軍の襲撃、故郷を追われ滋野一族を滅亡に追い込んだ海野平合戦から凡そ十年。
常田家に養子に出された者、矢沢家に送り出された者、また滋野一族として村上軍と争った者、それぞれが過ごした十年を思い返していた。
「真田様!真田郷を取り戻す悲願、誠に祝着に御座います。真田様に拾われて幾年、この御恩を御返しする時を思うておりました。生涯の仇、村上大将を討つ時こそ、その御恩を果たす時と致します」
幸隆は、村上義清に立ち向かう滋野一族の少女を抑え、真田忍として生きる糧、教養と戦闘の術を教え菖蒲と名付けた。
村上義清に対し怒りに狂う自分を戒め、生きる術を与えてくれた幸隆を主とし菖蒲は真田家の為に生きる事を誓う。
菖蒲は幸隆の悲願達成を心底喜び、その顔は一時の安らぎを感じる乙女の屈託の無い笑顔に見えた。
「菖蒲、其方の活躍あっての今日。其方の笑顔が何よりの褒美じゃ!これより先も命を粗末に致すな!其方は真田に無くてはならぬ!」
幸隆の言葉に、顔を赤らかにして照れる菖蒲、喜びと安らぎの一時は静かに過ぎてゆく…。
話は戻り、
祝いの席を終え、数日後、晴信は武田筆頭家老及び重臣を集め軍議を開いた。
そこで次に砥石城の攻略と小県を抑えた事、防衛拠点を失った村上領本土への到達を一月の猶予で言い渡す。
「各々!砥石城を失い、小県を抑えた今、村上に争う隙を与えてはならぬ!此度は武田が村上領本土に到達した事を知らしめる好機!避れど、信濃の冬は越せぬ!戦が長引けは不利となる!攻略は一月の猶予を持って撤退と致す!」
天文二十年(1551年) 秋初旬
晴信率いる武田軍は甲斐を出陣。
晴信自身は諏訪の上原城に止まり、弟信繁が本隊を率いて信濃国を北上、村上本土へ到達を目標とした。
戸石城全体を武田軍の最前基地として機能させた事でより優位に戦略を立てられる。
信濃の冬は越せぬと見込んでいた晴信、また作物の収穫に人手がこれから必要な秋初旬、必要不可欠な男手を甲斐に残し、しかし村上本土へ攻め込む事は村上義清との大戦も視野に入れねばならず、実戦経験を重視した精鋭を選抜、弟の信繁を大将とする本隊、晴信を護衛する隊、信濃先方衆等の別働隊の軍勢を組織、其々に連携する伝達係を置き、情勢の把握に努め、前進と撤退の素早い判断が各隊指揮官に届くように促す。
防衛拠点を失った今、雪がちらつく前に武田が信濃北部への到達を知らせ、いよいよ武田が迫る事実と本格的な攻撃を翌年に控えるよう考えていた。
晴信が信濃へ着陣して半月、強引な手段を取りやめ、思慮深くかつ迅速な作戦は武田方に吉として、村上方には凶として結果を示す。
信繁の本隊は村上領本土への攻略を成し遂げ、いよいよ義清の本拠葛尾城へ足を伸ばせる範囲に迫っていたからである。
ここに来て晴信は、義清の静かすぎる動向といかに反撃を繰り出すのか不気味な感情を抱き、前進を取りやめ全軍の撤退の意向を伝えた。
前線に立つ信繁にこの意向は伝えられるも、義清が居城の葛尾城に不在である事実を突き止めた後、晴信に再度意向を確かめる。
今だ越後から戻っていないには遅すぎる、この窮地に必ず駆けつける武将、義清の策、越後を引き連れ背後からの強襲、様々な事を憶測するも晴信は前進を命じた。
命令を受けた本隊と別働隊は時差をつき、義清の本拠地への攻撃を開始。
武田晴信の信濃進行を二度食い止めた武将、村上義清の本拠地が因縁の武田に攻撃を受ける事となった。




