「越後の頭角」 其の弐
「越後の頭角」 其の弐
元服を果たし名を改めた長尾景虎は、兄·晴景の命で春日山城から出立。
三条城を経て旗揚げの城となる、栃尾城へと移った。
元服した翌年、天文十三年(1544年)
兄·晴景による越後の統制はとれておらず、守護·上杉定実の復権、反対勢力の拡大、病弱であった事に内乱の鎮圧ができずにいた。
その為、長尾景虎の越後筋本家·三条長尾家は侮られる立場となる。
十五歳の若輩者と軽んじられる長尾景虎、兄·晴景を侮った越後の国人衆が謀反を起こし栃尾城に攻め寄せた。
城は容易に落ちると思われたが一転、長尾景虎は国人衆の襲撃を撃退、謀反を鎮圧させ見事な初陣を飾った。 (栃尾城の戦い)
この戦いでの戦果に一目置かれる存在となった長尾景虎。
独立領主ながら長尾景虎の叔父にあたる高梨政頼や家臣として仕える立場の直江実綱といった一部の者達は、無力な兄·晴景への不満を募らせていく。
天文十四年(1545年)、十五年(1546年)
守護·上杉家の老臣が守護代·長尾家に対し謀反を起こし、兄·晴景の春日山城を強襲し立て籠った為、この討伐に弟·景虎が出陣、総大将として指揮をふるい鎮圧を成す。
これらの時を経て、予てより兄·晴景に不満を抱く者達は、弟·景虎を守護代に擁立する事を決意し兄の退陣を迫るなどした。
無力な兄と有能な弟で両者の関係も険悪なものとなってゆく。
天文十七年(1548年)
弟·景虎を擁立する動きが盛んになり、弟·景虎派と兄·晴景派で対立が表面化した。
弟·景虎派を支援する勢力が多く、兄·晴景派は追い詰められる中、兄の立場をわきまえて守護·上杉定実が調停に入る。
兄·晴景は、弟·景虎を自分の養子とした上で家督を譲り隠退する事を承認した。
家督を相続した弟·景虎、本拠·春日山城に入り、晴れて守護代の立場となる。
この時、景虎は十九歳。
甲斐の獅子·武田晴信や北信濃の猛将·村上義清に劣らぬ存在、越後の軍神·長尾景虎はその頭角を現した。