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「義清の生涯」 其の参

 「義清の生涯」 ()(さん)


 諏訪家を滅ぼし、次いで交渉決裂した高遠頼継を打ち破り、諏訪郡の上原城に重臣·板垣信方を城代(じょうだい)に置き諏訪を領国に治めた武田晴信は、信濃国制圧に向けさらなる侵攻を開始。

 

 天文十三年(1544年) 諏訪奪還を目指し武田軍に対抗する為に高遠頼継、信濃守護·小笠原長時の支援を受けて再び諏訪郡に攻め込むが武田晴信に破れ、自信の高遠城も落城(高遠合戦)、武田方に降伏し武田家に仕える事になる。


 天文十六年(1547年) 武田晴信と佐久郡志賀城主·笠原清繁(かさはらきよしげ)が争う小田井原(おたいのはら)の戦いが起こる。


 家督継承の(のち)、晴信率いる武田軍の勢い凄まじく、佐久郡を取り戻すべく侵攻、関東菅領·上杉憲政の後ろ楯を得て抵抗する志賀城の城主·笠原清繁を包囲し力攻めを行う。


 これを受け、上杉憲政は後詰(ごづ)めの援軍をおくり救援に向かわせる(この時、憲政の家臣·名将·長野業政(ながのなりまさ)は武田と余計な波風を立てまいとして援軍派遣に反対したと言われている)が、武田軍はこの援軍を撃破、いまだに徹底抗戦の姿勢崩さぬ志賀城の士気を下げる為、撃破した援軍の敵兵およそ3000の首を(さら)して威嚇(いかく)


 晴信の思惑通り、救援の望み絶った事を悟った志賀城内では士気が下がり、笠原清繁は討ち取られて志賀城が落城、落城の後には乱取りが行われ、城兵は労役に女子供は売り払われた。(生き残った志賀城兵は武田を強く怨み、村上義清に加担、武田軍敗北に尽力したと描こうと考えています)

 

 武田軍は佐久郡を制圧、やがて信濃全土を治めようと突き進む晴信の前には、どうしても倒さなければならない相手がいました。


 北信濃を支配する猛将·“北信の雄·村上義清”。


 武田晴信が大門峠を越えて小県郡南方に攻め込んだ事に村上義清も挙兵、これ以上武田を信濃に侵攻させまいと真っ向から立ち向かいます。


 天文十七年(1548) 二月 両軍が激突する上田原(うえだはら)の戦いが勃発。


 物語はここから始まります。


 

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