「雌雄の決戦」 其の壱
「雌雄の決戦」 其の壱
降りしきる雪が止み、僅かに寒さが和らいだ日の出、
「ボォォーーーーーーーーーーン!」
何処からと無く、法螺貝の轟音がなり響く。
音の波動が上田原一帯を木霊する。
天文十七年 二月十四日 卯の刻終わり(午前7時頃)
産川を挟み対陣する村上義清と武田晴信。
上田原の戦いが勃発。
戦の火蓋は切って落とされた。
先に動いたのは武田方の先陣、板垣駿河守信方率いる千の軍勢。
川を越え、村上勢に怒濤の勢いで迫り来る。
その迫力は、真冬の凍てつく水の冷たさに全く動じていない。
流石は、武田家譜代重臣にして宿将。
宿将は怒れる獅子の如く、目を覚ます。
迫り来る獅子の軍勢を目の前に、今、北信濃の猛将が立ちはだかる。
「武田家譜代家臣、板垣駿河守信方に御座る!村上義清殿!貴殿と相見える事、武士の誉れに他ならん!」
「板垣駿河守殿!天晴れ見事な立ち振るまい!流石は獅子の先陣よ!」
信方と義清は戦場にて対面の後、義清は自身の本陣に戻った。
板垣信方の先陣を受け、村上方より先鋒、楽巌寺雅方の兵数百がこれに応える。
「我、滋野一族より望月家元家臣、楽巌寺雅方と申す!武田家に破れた恨み数知れず、志賀城兵と共に命果てるまで突き進むのみ!」
「楽巌寺殿!恨みで戦われるか、それも良し!然れど、恨みで戦に勝つと御思いか?」
「何を申される!武田家は悪徳非道の限り!板垣駿河殿、御相手致す!」
武田方の先陣·板垣信方と村上方の先鋒·楽巌寺雅方、激突。
「放てぃーー!」
信方の号令に板垣勢弓矢隊、強く構えた弓矢を一気に解き放つ。
「放てっーー!」
同じく雅方も号令、楽巌寺勢弓矢隊、強烈な弓矢を解き放つ。
両勢力による、無数の弓矢による黒い雨が降りそそぐ。
しかし、雪の足場で不安定なのか、弓矢は見当違いに飛び散る事も多かった。
お陰で弓矢での負傷者は少ない。
「弓隊やめーーーぃ!、槍隊構え!前へ!」
続く信方の号令に板垣勢槍隊、槍を構え前進。
これに応え、楽巌寺勢も弓隊を下げ、槍隊を前に出す。
「槍隊構え!進め!」
槍を構えた両勢の歩兵隊、じわじわと歩み寄り、間をつめる。
槍の距離が届くまで進んだ所で停止、両勢の槍隊は槍を両手で握り攻撃体勢を整える。
「槍始めーーーーぃ!」
再び号令が鳴り響く。
握り締めた槍を突き上げ、相手めがけて降り落とす。
言わば叩きあい。
頭部、胴体、腕、足など、槍は激しく叩けば相手の体に致命的な傷を与える。
[突き刺す事が槍の特性ながら、相手と距離がある長い槍の場合、柄の部分を竹などで作られた槍は“しなり”が生じ上手く突き刺せない、しかし叩く方に生かすと破壊力が増すようです。]
両勢の槍隊の激しい攻防、強く頭部を叩かれ脳震盪を起こす者、脇腹を叩かれ肋骨の折れ脇腹を押さえて苦しむ者など致命の傷を負う者が出始める。
しかし武田への恨み強く、楽巌寺雅方に従った志賀兵達の執念が板垣勢を苦しめた。
「武田に討たれた友軍の仇、今こそ晴らす時なり!我に続け!」
「おおっーーーー!」
楽巌寺雅方は抜刀し、これに続く志賀兵達。
両勢の距離が縮まり、肉弾戦とかす。
勢い増す楽巌寺勢、板垣勢に襲いかかる。
「楽巌寺殿、中々の兵よ!板垣信方参るぞ!後に続くのじゃ!」
板垣信方、騎馬隊数騎引き連れ、現れる。
豪将率いる騎馬隊、足場の悪い雪の中をものともせず、楽巌寺雅方と交戦。
「武田の大将·板垣駿河守信方殿の首を討ち取れ!」
雅方の叫びに志賀兵達は勢い増す。
「おおっーーーーっ!」
激しい猛攻、数多の戦場を駆け抜けた板垣信方はやはり強い。
楽巌寺雅方も負けてはいないが、僅かに押され始めていた。
「申し上げます!板垣信方様、先陣を切り、村上勢と対峙すべく産川を越えた模様。村上方の先鋒·楽巌寺雅方勢と戦を始めた次第!」
武田軍·晴信の本陣に物見の報せが届く。
それを受け、家臣達は決起したが、
「誠か!?板垣、何故先に動いた!」
晴信は、信方が先に動いた事に焦りを感じていた。
普段の晴信らしくない慎重な様子である。
陣を敷き、暫く様子見を行った事からも見てとれる。
此れまでの戦、武田の力を見せつけるべく自らが先頭に立って指揮をとり、先陣を切る者を大いに励ましてきた。
しかし、此度の村上との一戦では何か目に見えない不安が渦巻く。
晴信の脳裏には敗北が浮かんでいたのかもしれない。
「板垣、何故に早まるか···」
「御館様、御心配は無用に御座います。板垣様は御館様の槍となり、突き進まれておるのです。甘利様も側に陣を構えておられます。武田家の両雄が先陣を切る戦、負けるはず御座いません!」
晴信の側に仕える勘助は応える。
「板垣、甘利、····。」
雌雄を決する大戦に、晴信は不安を募らせていた。
一方、村上義清の本陣にも報せが届く。
「申し上げます!楽巌寺雅方殿、見事な先鋒の務め!志賀兵達を引き連れ、板垣勢と善戦の御様子!」
「あい、わかった!報せ御苦労!然れど、板垣殿の勢いに押される事為れば、即、退却致せと伝えよ。」
「恐れながら、楽巌寺殿は決死の覚悟、退却など···」
言葉をつまらせる伝令兵。
「楽巌寺雅方、武田への恨み強く、それを晴らす為、先鋒を任せた。上田原で死なすには惜しい男よ!」
義清は己の思いを述べた。
「はっ!その様に御伝え致します。」
伝令兵は義清の本陣を後に楽巌寺雅方の元へ急ぐ。