「義清の偏諱」 其の壱
「義清の偏諱」 其の壱
小県郡·砥石城を後にした村上義清、居城の葛尾城に戻る道中の事。
馬にまたがり、数名の家臣と進む中、葛尾城に近づくにつれ、見慣れた光景に出会した。
幼き頃、よく駆け回っていた草原、ふと、義清は昔の自分を思い出す···。
義清の少年時代、今の勇猛な武将とは程遠い少年。
少年は名を武王丸、文亀元年(1501年) 三月十一日 父は村上顕国と母は室町幕府三管領家の斯波義寛の娘の子として生まれる。
父·村上顕国は北信濃をほぼ手中に治める国人であったが、それ以上の領土拡大を望まず、領地の繁栄に勤しむ、そんな父の姿を目の当たりしながら武王丸は育つ。
「武王丸よ、いずれこの村上家の家督を継ぎ当主となるのだ。北信濃は恵み豊な地、それ故、他国から攻め込まれよう。北信濃を守る男にならねばならんぞ!」
父の決まり文句である。
「はい、父上!武王丸は立派な武士になります!」
幼き武王丸は元気よく応えた。
武王丸が生まれた頃、村上家は代々、信濃村上氏からの領地を守り、その規模を少しずつ拡大し、やがては北信濃を領する大名を夢見ていたが、父·顕国は領土の拡大を望まず、土地を豊に守る事に徹した為、有能であるが野心がないと家臣から疎まれる事もあった。
「父上はあまり戦を好まれないのですか?」
母·お通に尋ねる武王丸。
(お通は架空の名前です。)
「御父上は卑怯を嫌い、真っ直ぐに生き、先祖からの土地を守る事を何よりの使命とされる御方。戦は土地を侵す者とかまえるのです。無駄に戦うは愚か者のする事。よいですか武王丸。」
「はい!母上。武王丸も父上のような武士になりとう御座います。」
「精進するのですよ武王丸。」
母と子のたわいもない会話。
顕国が武力政策をとらず民主性を重視していた、土地の実りもあって、武王丸は争いに苦しむでなく、貧しくもなく、真っ直ぐに成長する事ができた。
信濃の草原を駆け回り、武術稽古に励み、農作業にも精を出す、中でも牛や馬の世話、触れ合う事を好む優しい心を持った少年時代を過ごす。
「若様、牛や馬に触れ合う事もよろしいが、学武術鍛練を疎かにしてはなりませぬ!若様は村上家の当主となられる御方。遊びも程々になされ。」
武王丸の傅役、顕国の家臣·石川長昌は頭を悩ませる。
武王丸は武術より、牛や馬と触れ合う事が楽しく、時より城を脱け出していた。
「長昌は容赦を知らん、いつもボコボコにされる。」
涙目の武王丸、石川長昌相手の剣術鍛練に、毎度負かされ、手痛い目に合う日々。
子供と言えど容赦せぬ姿勢の長昌に、まわりの家臣も苦笑い。
「石川殿は戦場での振る舞いを若様に叩き込んでおる。手厳しいのはよい、ちとやり過ぎな気もするが···。」
「大将を育てるのだ、男は手荒く叩き込む方が強くなる。」
「若様はいつも手痛い目にされておる。石川殿、たまには、手加減もせい。」
そのように家臣達は口々に囁いた。
しかし、長昌の厳しい鍛練が武王丸の素質を開花させていく。
石川長昌の鍛練は厳しいが、鍛練の後、必ず心の気遣いをしてくれた。
「若様は当主としての器を身につけねばなりません、厳しくあたる事、御許し下され。若様は強くなる!いずれこの長昌など足元にも及ばぬ程。痛い時は泣く、おもしろい時は笑う、勝った時は喜ぶ、これに尽きますぞ!」
父·顕国の教えが武王丸をさらに成長させる。
「武王丸、我が村上家の御先祖、信濃村上氏は清和源氏の流れを汲む一族。御主にも源氏の血が流れておるのだ。清く、正しく生きよ!戦場においては、卑怯も策の一つ。然れど、相手を背後から襲うは利に非ず。いずれ己も同じ目に会おう。真っ向から挑むが村上家の戦。戦場に立てば負け戦もあろう。負け戦は、憎しみや悲しみを背負うがそれでよいのだ。憎しみを抱いて戦うは、一時の強さ、いずれ負ける。己が劣ると潔く認めるが肝心、次は負けぬと前に進むのだ。押すべき時は前進、引くべき時は後退致せ!顕国の後を継ぎ、勇猛な武将になるのだ!」
父の教えを胸に武王丸は、武将としての生き様を身につけてゆく。
そして、武王丸十四才、元服を迎えようとしていた時、事件は起きた···。