「猛将の挙兵」
「猛将の挙兵」
天文十七年(1548年)一月 信濃国埴科郡葛尾城
馬を走らせ、急ぎ城へと向かう伝令兵の姿があった。
「申し上げます!先頃、甲斐の武田軍が佐久郡へ侵攻。志賀城を攻め落とした次第。城主の笠原清繁殿は討ち取られ、落城の後は乱取りが行われた模様・・・。佐久郡を抑えた武田勢は小県郡に攻め入る様子。最早、信濃国を攻め取る勢いにございます!」
「あいわかった。この報せ、急ぎ殿へお伝え致す。大義であった!」
伝令兵の報せを受けた男は城主の元へと急ぐ。
他にもこの男の元には武田に関する報せが幾つか届いていた。
男は清野伊勢守信秀、城主三大老の一人である。
「御館様、火急の報せに!甲斐の武田が佐久郡を抑え、志賀城を攻め落とした次第、次に小県郡に攻め入る様子! 勢い増した武田は信濃を奪いとるに相違ありませぬ!」
清野伊勢守は城中に響かん声で続けた。
「なお、志賀城攻略に際し、武田は援軍に来た関東管領軍を撃ち破り、討ち取った首およそ三千を志賀城の眼下に晒して威嚇。救援の望み絶ち、眼下に広がる光景に恐れをなした志賀城の兵は皆士気を喪失。城主の笠原清繁殿は討ち取られ、城は落城。その後に乱取りがあったとの事・・・。」
「誠か!?おのれ武田、武田晴信め! 父君の信虎殿を追放し、諏訪郡に攻め込みかつて盟約を結んだ諏訪頼重殿を自害に追い込んだ悪党よ! して滅ぼした諏訪の姫君を側室に迎え入れ、諏訪領を取り込む非道なやり口。此度の非道も然り、武田晴信許すまじ!」
城主と思われる男は報せを受け、怒りが収まらない様子であった。
「伊勢守!これ以上、武田を信濃へ入れてはならん!我らも出陣致す!武田を迎え撃つぞ!」
出陣の下知を飛ばしたこの男こそ“北信の雄”と呼ばれし葛尾城の城主、後に甲斐の武田晴信(信玄)を二度負かした北信濃の猛将“村上義清”、その人である。
「はっ!直ちに出陣の支度を!」
城主の命を受け、清野伊勢守は出陣の用意にかかる為、再び城の中へ急ぐのであった。