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第八話 超絶ライブ

 夜の七時。蝶舌が、封筒でライブのチケットと一緒に送ってきた地図を見ながら、狭い通りに入っていく。居酒屋やカラオケ店などがあり、若者の姿が目立った。


 おれはなんで、こんなところを歩いてるんだろう。


 修一はふと、香織と蝶舌がグルになって、自分を罠に嵌めたんじゃないかと思った。おれはただ、早紀が本当に自分の娘なのかどうか、知りたかっただけだ。それがどこをどうまちがったか、デャーモンとかいう得体の知れない野郎と、二人っきりで会うハメになった。


 正直、怖い。


 さっきから、背中の毛が逆立ってしょうがない。なぜ恐怖を感じるのかは、自分でもよくわからない。ただただ本能が、危険を警告していた。


「ここか」


 地下ライブハウス〈DEEP HO〉の看板を見つけた。


 下へ延びる暗い階段を見つめる。これを降りていって、わけのわからぬ輩の集まっている会場に入り、大嫌いなやかましい音楽を聴かされるのは、拷問にも等しい苦行だった。


 修一は、重い後ろ肢で階段を降りて行き、開け放たれたドアの向こうを覗いた。


 入口にカウンターのようなものがあり、金髪で、顔も金色の女が坐っていた。


 なんだありゃ。金粉でも塗ってんのか?


 これが若者文化なのだろうか。全然意味がわからない。宇宙メタルのライブっていうのは、受付の女にまで、宇宙人っぽいメイクをさせるようだ。実にくだらん。


「これは……ここで出すんですか?」


 ポケットからチケットを出して見せると、


「ヨコセ」


 甲高い声でぶっきらぼうに言ってひったくり、半分ちぎって半分返してきた。信じられない態度である。こいつ、これでも人間かと思った。


「ソっから入レ」


 金色女が、黒いカーテンを指差した。呆れることに、指まで金色だ。


 修一は、こわごわカーテンをかきわけた。真正面にステージが見えた。


 ステージの高さは、およそ一メートルくらい。中央にドラムセット。左右にスピーカー。あとは用途のよくわからない機材がいくつか。ライブハウスのステージというものは初めて見たが、えらくたくさんスポットライトがあるな、というのが第一印象だった。


 客はすでに八十人ばかりいた。どいつもこいつも若造だ。男女比は、だいたい七対三で、男のほうが多い。


 椅子はないので、みんなてんでバラバラに立っている。会場の照明が暗くしてあるのではっきりとは見えないが、黒っぽい服を着ている人間が多い。どこか陰気だ。普通のコンサート会場とは、なにやら異質な感じが漂う。


 修一は、自分と同じ三十代の人間はいないだろうかと、目で探しながら歩いた。いない。というか、年齢不詳の人物ならちらほらいる。年齢も職業も、そもそも何者なんだかさっぱりわからぬ人間どもが。


 あるやつは、顔、首、両手両足と、服から出ている部分すべてに、蛇のうろこのような入れ墨をしていた。ガリガリに痩せていて、メシなど食ったことがないように見える。


 かと思うと、太りすぎて顎をなくした男がいた。顔が、特殊メイクかと二度見してしまったほど、豚そっくりだった。蛇と豚は知り合いらしく、小さな声でなにやら語り合っていた。


 またある女は、耳をピンととがらせていた。パーティグッズかなにかだろう。その耳を、どういう仕掛けでか、ウサギみたいにあちこちに向けている。まったくどいつもこいつも、人間以下の動物にしか見えん。


 マニアどもめ。早紀はどうして、こんなものに惹かれたんだ。おれの理解を超越している。いよいよあいつとは、血がつながっていないという確信が強まった。


 ライブ開始の直前になって、どっと客が会場へ入ってきた。百人がキャパと思える部屋に、百二十人ぐらいがすし詰めにされた。まるで満員電車だ。


 と、突然会場が真っ暗になり、それと同時に耳を聾する騒音がして、修一は床から跳びあがった。


 なんだなんだと思ったら、マニアどもがステージに向かって、いっせいにこぶしを突きあげた。


「デャーモーン!」


 客が口々に叫ぶ。それで今の騒音が、これから出てくるやつが鳴らしたギターの音であるらしいと、見当がついた。


 スポットライトがつく。レインボーカラーの光線。キャーッという女の悲鳴。列車が走りだしたみたいに、満員の客たちが揺れる。嫌悪とともに恐怖も感じて、修一の毛はもはや、ハリネズミのようになって服を刺した。


 気がついたら、ドラムセットに男が坐っていた。


 いや、たぶん男だろうと想像しただけだ。見た目はタコである。全身真っ赤で、手足が八本。火星人のつもりだろうが、仮装に凝りすぎだ。


 そいつが六本のスティックでめちゃくちゃにドラムを叩くと、客がこぶしと首をぶんぶん振りだした。それが前後左右から当たるので、修一の頭はくらくらした。


 続いてステージ脇から、ギターとベースが現れた。


 ギターは半魚人。ベースはミノタウロス。


 ギターがジャーンと巨大な騒音を出すと、目の前の女が失神した。すると女は、まわりのやつらに頭上に差しあげられて、バケツリレーの要領で出口のほうへと運ばれた。


 バカめ。バカどもめ。やっぱりおまえらは、蝶舌の言ったように人間のクズだ。


 ウォーという歓声が轟いた。


 驚いてさっと振り返る。するとステージの真ん中に、緑の小男が立っていた。


 デャーモン、チャチャチャ、デャーモン、チャチャチャ。


 するとこいつがデャーモンか。えらくちっちゃい。ちょうど蝶舌と同じくらいだ。世の中には、案外背の低いやつがいるもんだ。


 緑色の全身タイツを着たデャーモンが、頭から立てたアンテナを小刻みに震わせながら、表情の窺えない緑色の顔をマイクに近づけた。


「それでは聴いてください。おれは宇宙のはみ出し者」


 耳に障るキンキン声だったが、意外ときれいな日本語で言った。


 と、客たちが、いっせいに跳びはねだした。


 地震が来たように会場が揺れる。ドラムがまためちゃくちゃに叩かれる。ベースの指が異常な速さで動く。ギターが真っ赤な口を開けて弦をかき鳴らす。


 修一は、朦朧としはじめた頭の片隅で、なんとなく、ギターの形に見憶えがあるぞと思った。そういえば、蝶舌の事務所に置いてあったのも、あんなふうにボディがVの字をしていなかったっけ?


「おれは宇宙のはみ出し者〜。みんながおれを嫌ってる。おれはみんなを好きなのに。ああ、なんて、宇宙はちっちゃい。おれにはちっちゃすぎるんだ〜」


 みんながデャーモンの下手くそな歌にノッている。修一は荒波に呑まれたように翻弄され、たちまち船酔いした。


「ああ、なんて、ちっちゃい。そうさ、はみ出してやるんだ〜」


 唄いながら、デャーモンは身長を伸ばした。


 どういうトリックだろう。まったく見当がつかない。最近のマジックは、ずいぶん進化したようだ。


「はみ出してやる〜、はーみ出してやる、はみ出してやる〜」


 デャーモンは調子に乗って、どんどん長くなった。すでに頭は天井についている。


 すると客たちのボルテージも、ぐんぐん上がった。


 横の男に挟まれる。前の女がぶつかる。後ろの誰かが押す。ああ吐きそう。だが、なぜか修一は、一種の解放感のようなものを味わっていた。


 こんなバカな世界があるんだ。


 その真っ只中に、おれもいる。


「はーみ出してやる〜。乱してやる〜。実出してやる〜」


 人間とは、実はバカなんじゃないか。この人間以下の、動物みたいな姿こそ、本来の人間の姿なんじゃないのか。


 だとしたら。


「ハ! ハ! ハ! 見だしてやる〜、身出してやる〜、診だしてやる〜」


 小賢しい悩みなんて、どうでもいいじゃないか。早紀が誰の子だって。おれは妻と娘を愛してるんだ。だから、いいじゃないか。


 修一の目から、涙がこぼれた。


 くそお。愛が欲しい。愛してるって言ってくれさえしたら、早紀が誰の子だって、おれは香織を赦してやるのに。


「葉! 歯! 波! 乱してやる〜、実出してやる〜、み出汁てやる〜」


 愛をくれ!


 修一は、前の女を押した。すると女が、思いっきり押し返してきた。


 横の男にアタックする。すると両側から、ギュウギュウに潰された。


 修一は人知れず、天に向かってチュウと哭いた。


 くそお。誰もが羨む結婚をしたのに。


 それなのに、幸せは来なかった。哀しい。おれという生き物は、一匹の、哀しい獣だ。小さく、哀しく、悲惨だ。


 そして、この会場にいるやつらも、きっとそうなんだ。


 おれたちは、哀しい獣さ。


 デャーモンは、それをわかって、唄ってくれてるんだろう。きっと。


 なあ、そうだろう?


 破!

 刃!

 覇!


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