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第五話 実験メタル


「純亜、聞いてんのカヨ!」


 ハッとして見ると、そこにあったのは、ミス・コケティッシュのソースより濃いバター顔だった。


「あんたの子が泣いてんダロ! ボーッとしてないで、解決策を考えろヨ」


 早紀ちゃんは、ミス・コケティッシュの小山のような胸に顔を埋めていた。というか、完全に埋まっていた。


「死ぬ!」


 早紀ちゃんが胸から首を抜いて、プハーッっと息を吐いた。確かにその顔には、涙の痕があった。香織ちゃんとよく似た小さい顔――そこに面影を見出して、ぼくも涙があふれてきた。


「チビが泣いてる……キモ」


 早紀ちゃんは、あの美しい母親が決して言わないような悪態をつくと、


「修一をなんとかして。あいつ、マジキチだから」


 父親のことを呼び捨てにした。


 ん、待てよ?


 実の父親はぼくか。この子も香織ちゃんも知らないけど、本当はそうなんだ。


 つまり、修一は育ての親だ。やつもまた、真実を知らずに、十四年間娘を育ててきた。


 が、今は頭がおかしくなって、ネズミみたいになったという。残念ながら、もはや父親の資格はない。それだけではない。香織ちゃんを幸せにしていないあいつには、夫である資格もないのだ!


 じゃあ、本当に、その資格があるのは――


「早紀ちゃん」


 ぼくは、一生分の勇気を振り絞って言った。


「修一の代わりに、ぼくがパパになっても、いいかな?」


「はあ? なにそれ。あんたもマジキチ?」


 自分の娘が指を頭に向けてくるくるまわすのを見て、この子をしっかり育てていかねばならんのだぞと、ずっしり重い責任を感じた。


「今までほっといてゴメンな。こんなこと、子どもに聞かせることじゃないけど、実はぼくと香織さんは、昔一度だけ手をつないだことがある」


「あ、そ」


「きみは、そのときにできた子なんだ。修一の子じゃない」


「へ?」


「いや、やっぱりよそう。このことは、あとでゆっくりお母さんと話す。それより今は、修一をどうするかだ」


「逮捕してよ」


「ぼくは警察じゃないから、それはできない」


「純亜」


 ミス・コケティッシュが、横から口をはさんだ。


「できないじゃナクて、逮捕されるようにしろヨ。殺人未遂なんてドウダ?」


「味の素を投げただけで?」


「香織か早紀ちゃんを、そろそろ喰い殺そうとするサ。純亜がそれを取り押さえて、ふんじばって警察に突き出せばいい」


「それはやめよう。この子たちを、危険にさらしたくない」


「ならどうすんダヨ」


「そうだなあ……」


 さてどうしたもんかと、頭がよじれるほど考えているうち、ふと、早紀ちゃんが着ていたTシャツのプリントに目が留まった。


 まるで、古いSF映画に出てくる宇宙人みたいな、緑色をした男の顔写真。おそらく特殊メイクか顔面ペイントだろうが、いったいなんのキャラクターだろう。


「その写真、誰?」


 指差して訊くと、早紀ちゃんは自分のシャツを見おろした。


「知らない? デャーモンだよ」


「デャーモン?」


「宇宙メタルのね。それも知らない?」


「全然」


「修一と一緒でなんにも知らないんだな。バンドのリーダーだよ。激しい曲をやるの」


「ふーん。ファンなんだ」


「一回聴いてみな。超絶イケてるから」


 やっぱり血は争えないな、と思った。ぼくも学生時代は、激しい音楽であるスピードメタルをよく聴いた。


 ああいうものを聴くと、つい暴れたくなる。たまにライブにも行ったが、客たちは頭やこぶしを振って身体をぶつけ合ったり、奇声を発したりして痴態を演じていた。


 修一こそ、ライブに行ったらいい。鬱屈した感情を、思いっきり暴れることで、発散させたらいいのだ。


「早紀ちゃん、そいつのこと好きナノカ?」


 ミス・コケティッシュがTシャツを指差して訊くと、早紀ちゃんは嬉しそうに、


「おばさん、デャーモン知ってるんだ」


「わたし、あいつ大っ嫌い! まったく、おとなしく研究してりゃいいのに、地球人にちょっかい出したりしてサ」


「デャーモンってめっちゃ謎だよねー。アメリカ人かな?」


「アメ……うん、そう」


「世界中のライブハウスをまわってるんだよね。アジアからヨーロッパからアフリカから南太平洋の島々まで、コアなファンがいるから」


「キチガイの音楽をやって、地球人、じゃなくって、全人類の頭をパーにしてやろうと思ってんのサ。そういうアホな実験をしてるやつだから、相手にしないほうがいいヨ」


「あとライブでさ、大きくなったり小さくなったりするじゃん。あれむっちゃ興奮する。どんなトリックかわかる?」


「子ども騙しだヨ。伸びたり縮んだりしてるだけサ」


「だってさ、大きいときは天井に頭がついてんのに、小さくなったらこのチビくらいになるんだよ。エグくない?」


「今度会ったら、悪ノリすんなってひっぱたいてやる」


「え、おばさん、会えるの?」


「あ……ソウネ。わたしもアメリカだから」


「すごい! 超尊敬! わたしも会わせて!」


 早紀ちゃんがソファから跳びあがり、なわとびの三重跳びくらいのスピードで腕をぐるぐるまわした。


「絶対デャーモンに会うぞーっ!」


 興奮した早紀ちゃんは、ぼくを正拳突きで殴り、まわし蹴りでテーブルのコップを割り、ミス・コケティッシュにダイビングして、弾きとばされて後ろに一回転した。


「かわいそうに……あいつの音楽を思い出しただけで、頭オカシクなっちゃって。これじゃあホントに、全地球人がパーになっちゃうかもネ」


「宇宙メタルって、そんなにヤバいのか」


 と、そうつぶやいたとき、あるアイディアが浮かんだ。


 修一が、宇宙メタルにノッてるところを想像する。凶暴な気分になって、暴れまくるネズミ。そこをさらに刺激してやったら――


「純亜、なに考えてんダヨ」


 ミス・コケティッシュを見た。彼女には、ぼくの心が視える。だからこんなふうに言うってことは、


「このアイディア、気に入らない?」


「デャーモンのライブに連れていけっていうんダロ。イヤだよ」


「でも早紀ちゃんを見てよ。こうなったら、会わせてあげるしかないんじゃない?」


 早紀ちゃんは胸を叩いてドラミングしたり、横にカニ走りして書類戸棚に体当たりしたり、ツイストしながら時々舌を出してウォーッと吠えたりした。


「仕方ナイ。会わせてあげるけど、ただのお調子モノだからネ。ところで純亜、なんだか変なことを思いついたナ」


「ま、少々危険な計画だけど、すべてはこの子と香織ちゃんを守るためさ」


 スキットルを呷った。オレンジの酸味が、やけに胸に沁みた。


「さあ、もう時間も遅いから、早紀ちゃんを家に送ってあげて。ぼくは今から久々にスピードメタルを聴いて、顔面ペイントの研究をするから」



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