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第三十七話 村松・小宮

 海賊船のそばに来た。


 ひんやりとした手すりに触れる。


「おい小宮、のぼってみろ」


 小宮が無言で階段に足をかけた。


 和樹は反対側の、幅の狭いはしごからのぼった。


 上に着くと、小宮は遠くを見ていた。


「あの水の下には」


 小宮が海を指差して言う。


「どれだけ多くの生き物がいるんでしょうね。地上の何倍とか、何十倍とかですかね」


 黒い海に目をやる。


「さあな。生物学者じゃないから知らん」


「ぼくは昔から、不思議なんですよ。どうして海には、あんなにたくさんの生き物がいるんだろうかって。しかもものすごく、奇妙な形のがいるじゃないですか」


「知らないよ」


「不思議じゃないですか?」


「そんなこと言ったら、なんでも不思議だよ。なんで地球があるのかだって」


「宇宙はどうしてあるんでしょうね」


「さあな」


「あの、村松さん」


「なんだよ」


「ぼく、いつか、こういう話を誰かとしたかったんです。ずっと前から。それがやっと、今日できました」


「なんの話だって?」


「宇宙です」


 情けなくなった。


 どこでまちがったんだろうと、また思った。


 ずっとこいつを、八つ裂きにしたかった。


 人生を棒に振っても、復讐したかった。


 でも自分が刑務所に入る気はなかった。だから計画を練った。


 ところが計画は狂った。小宮に殺させる予定だった子どもを、自分で殺すことになった。


 が――


 その、なにがなんでも苦痛を与えたかった相手と、なぜか海を見ながら宇宙の話をしている。


 風が休むことなく吹いている。


 赦そうか。


 ふと、そんな考えが降ってきた。


 とたんに胃液が逆流した。


 苦い酸を飲みくだす。


 どうしてそんなことを思う!


 せっかくかたきと二人っきりになったというのに。


 こいつに人間を感じてはならない。こいつは踏み潰すべき毒虫だ。毒虫を赦して、自分もまた神に赦してもらおうなどと、そんなふやけた考えに誘惑されてはならない。


「ああ、子どものころに帰って、もう一度海の家のラーメンを食べたいなあ」


 能天気な声を出した小宮を、にらみつける。


 と。


 海賊船の向こう端に、青白い顔が見えた気がした。


 さっと振り返る。顔は消えていた。


 気のせいか?


 が、残像はある。闇にぼうっと浮かんだ、やけに頬のこけた小さい顔が――


 ゾッとした。


 こんな時間に、人がいるはずがない。しかも振り向いたら、一瞬で消えた。


 あれは人間じゃない。


 死神だ。


 小宮を赦さず、死ぬまで殴るのを、手ぐすね引いて待っているのだ。


 もしかして、ずっと自分は、あいつに魅入られていたのだろうか?


「どうしたんですか?」


 小宮が顔を覗き込んでくる。


 心配そうな顔。


 殺人鬼の顔。友華を殺った――


 殴った。


 小宮がギャッと言い、尻餅をついた。


 その顎を蹴りあげる。


 後ろにひっくり返る小宮。ゴンという音が響く。


 小宮が頭を下にして、すべり台になっている坂をずり落ちていく。


 和樹も滑る。


 下は一面の砂だった。小宮はそこに落ちたまま、人形のように動かない。


 頬を叩く。反応がない。


 口のそばに手をやった。息をしていないようだ。


 気配。


 反射的に振り向く。


 縄ばしごの陰に、またしてもあの青白い顔。


 くそっ。あいつはずっと、ああやって見ているのだ。


 小宮の口に指を入れた。


 唾液がつく。おぞましい。それをこらえて、歯をこじ開けた。


 小宮がほうっと息をした。


 和樹もふうっと息をした。


 どうやら、一時的な脳震盪だったらしい。


 指についた唾液を、砂で何度もぬぐった。


   *   *   *


 記憶が飛んだ。


 憶えているのは、村松さんの険しい顔。次の瞬間、目の奥で火花が散った。


 夢らしきものを見た。


 陽射しの強い海岸にいた。波打ち際で、膝を抱えて坐る。


 波が寄せ、引いていく。尻の下の砂の動きが面白い。


「太陽はすごいよなあ」


 突然声がした。見上げる。海パン姿の村松さんが、腰に手を当てて立っていた。


「あんなに地球から離れてるのに、これほどの熱と光が届く。おい、小宮。このエネルギーのおかげで、おれもおまえも生きられるんだぞ」


「そうですね」


「今日一日生きる力を、太陽はくれるんだ。おれもおまえも、散々嫌なことがあったけど、今日またこうして生きている。太陽のおかげだと思わないか?」


「思います」


「不思議だよな」


「不思議ですね」


「おい、小宮」


「はい」


「水に流せるといいよなあ、この波みたいに」


「…………」


「百発殴って終わりにしよう。それでいいか?」


「はい、お願いします」


「よーし、いくぞ。娘を返せ! この変態野郎!」


 村松さんがのしかかってきた。


 ポカポカと立てつづけに殴られた。よけようとしても、砂に身をとられて動けない。


 でもそれほど痛くない。案外村松さんは力がないな、と思って見ると、村松さんは泣いていた。


 ちょうど百発で攻撃は終わった。


 村松さんが波打ち際に坐る。その隣に坐った。


「もういいんですか?」


「なにが」


「もっと殴っていいんですよ」


「疲れた。あとは純とやらを殺す」


「え? 約束がちがいますよ」


「やっぱり流せないよ。友華に申し訳ない」


「だから純を?」


「それしか終わりにする方法はないよ」


 村松さんと並んで太陽を浴びる。今こそ、あの疑惑を話すときだ。


「あの、村松さん」


「なんだ?」


「友華ちゃんの事件があったのも、こういう暑い日だったですよね」


「八月のな、気が狂いそうに暑い日だった」


「あれは、ぼくにとっては夏休みでした。世間にとってはなんでしたか?」


「……意味がわからん」


「お盆でしたよね? 一般的な会社は休みになる。だから村松さんも、一日中家族と過ごして、一緒にスーパーに買い物に行ったんじゃないですか?」


 村松さんが首を捻る。真剣に考えている。


 次の瞬間、


「おまえ、なにを言うつもりだ!」


 再びのしかかってきた。そして砂だらけの手を、ぐいぐい口に押し込んできた。


 救けて!


 叫ぼうとしたとき、意識が戻った。


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